この愛を、生涯の君と の小説カバー

この愛を、生涯の君と

9.7 / 10.0
黒田玄也に尽くし続けた三年間。森川清緒が得たものは、世間からの冷笑だけだった。夫から「仕事か離婚か」と非情な選択を突きつけられた彼女は、迷わず別れを選び、一人の女性として再生することを誓う。かつての彼女は、誰もが羨む美貌と類まれな才覚を併せ持つ「森川医薬」の正当な後継者だった。本来の自分を取り戻した清緒の前に、かつての夫は一族を連れて跪き、復縁を求めて懇願する。しかし、彼女の背後には規格外の家系が控えていた。財界を牛耳る父、名医として頂点に立つ母、裏表の顔を持つ溺愛気味の兄、そして芸能界の重鎮である弟。さらに、千億の遺産を背景に持ち、毒舌ながらも清緒にだけは甘い顔を見せる「宿敵」の存在までが彼女を支えていた。圧倒的な財力と権力を持つ家族、そして執着を見せる宿敵に囲まれ、清緒は華麗なる逆転劇を演じていく。無価値だと思われていた元妻が、実は手の届かない至高の存在であったと知った時、黒田の運命は大きく狂い始める。愛を捨て、誇りを選んだ令嬢の新たな人生が今、幕を開ける。

この愛を、生涯の君と 第1章

「手は尽くした」

13時間におよぶ手術。だが、宮沢和子の腹にいた6ヶ月の命は、守りきれなかった。

森川清緒のその言葉と同時に、手術室の外は一瞬にして悲鳴に包まれた。

その中心にいた黒田老夫人が、「私のひ孫がぁぁ――!」と叫び声を上げ、そのまま気を失った。

和子のストレッチャーが運び出されると、人々は我先にと彼女に駆け寄った。わざとらしい泣き声と、心ない慰めの言葉が入り混じり、清緒の耳に冷たく響いた。

清緒の心臓が冷たい塊のように沈んでいくのを感じた。

ふと見上げると、黒田玄也がベッドの柵を強く握りしめ、身を乗り出していた。その必死な横顔は、まるで彼こそが和子の夫であるかのように見えた。

人々は和子のストレッチャーを取り囲んだまま病室へとなだれ込んでいった。

取り残された清緒は、外したマスクを無意識に握りしめ、長時間の集中による極度の疲労で、足元がふらついていた。周囲を人々が慌ただしく行き交うが、「お疲れ様」の一言もかけてくれる者は誰一人いなかった。

疲れ果てて黒田家の屋敷に戻ると、使用人たちはまるで疫病神を見るような冷ややかな視線を向けてきた。

さらに、玄也の妹である黒田遥が、執事の手から箒をひったくり、清緒のふくらはぎを思い切り叩いた。「汚らわしい!人殺し!あっち行け!この家の空気を穢すな!」

ほうきの硬い竹柄が皮膚に食い込み、細い血筋がじわりと滲んだ。

清緒が眉を寄せて小さく呻くと、遥は鼻で笑った。

「何、お嬢様ぶってんの?あんたがこの家に入れたのは、和子姉さんの体が弱くて、あんたの医術とRhマイナスの血が役に立ったからよ。はっきり言えば、便利な『道具』で『生きた血液バッグ』なんだから! 何様のつもりか知らないけど、和子姉さんの子供を殺したこと、お兄ちゃんになんて言い訳するつもり?」

言い捨てると、遥は清緒に向かって「ペッ!」と唾を吐きかけた。

黒田家に嫁いで3年。清緒はこの家での自分の地位など、とっくに理解していた。利用価値があるだけの、軽蔑される存在だった。

ここでは、誰もが彼女を見下し、罵倒する権利を持っている。

反論する気力も、そもそも抗う資格など最初からなかった。彼女は息を殺すようにして階段を上った。

13時間の手術に加え、術中に大量出血した和子への輸血。その後も処置を続けたせいで、微熱が出ている。意識は朦朧としていた。

ベッドに横になって、ほんの少し経った頃だった。

彼女は強い力でベッドから乱暴に引きずり起こされた。

その勢いで頭がベッドボードに激突し、「ガンッ」と鈍い音が響いた。

清緒は痛みに顔を歪めながら目を開いた。そこに立っていたのは、玄也だった。彼の姿を見た瞬間、目頭が熱くなった。「玄也、帰ってたのね。和子の赤ちゃんのことだけど、私、本当に手を尽くしたの」

玄也は清緒を見下ろし、胸倉を掴み上げた。その瞳は刃物のように鋭かった。「手を尽くしただと? 数日前、和子の全身検査の結果が出た時、お前は何て言った? 『全て順調です』だと言っただろう。それなのに、たった数日で子供が死んだ。それでよく『手を尽くした』なんて言えるな」

清緒は唇を噛み、潤んだ瞳で彼を見上げた。「玄也、信じて。本当に全力を尽くしたの」

和子には先天性の心臓病があった。三年前は数歩歩くだけで息切れがし、酸素吸入が必要なほどだった。

玄也と結婚してからの3年間、清緒は来る日も来る日も、和子のために東洋医学と西洋医学を駆使して治療を続けてきた。

その甲斐あって、彼女の体は健常者と変わらないほどに回復していたのだ。

和子が新婚当初、夫の正哉と「夜の営み」をして発作を起こした以外は、経過も良好だった。

数日前の定期検診でも数値は完璧だったのに、その数日後、状況は急転した。

清緒がわずか一日、休息を取ったその隙に、和子は激しい腹痛を訴え、彼女が病院に駆けつけた時には、胎児の心拍は既に停止していた。

それでも清緒は諦めず、手術中に自らの血液を提供しながら、最後まで全力で処置を続けた。

自分に恥じることなど、何一つない。

しかし、彼女の説明を聞いても、玄也の表情は凍りついたままだった。

彼は冷笑を浮かべた。「そうか?なら、なぜ和子は目を覚ますなり泣き叫んだんだ?お前に、飲んではいけない薬を飲まされたとな!」

清緒は眉をひそめた。「何それ?あり得ない」

玄也は手に力を込め、清緒をさらに強く引き寄せた。その顔には嫌悪感が滲んでいた。「言い訳なら、直接和子に言え!」

玄也はそれ以上、言葉を交わす気もなかった。

元々体の弱い和子にとって、妊娠自体が命がけだったのだ。

今回流産したことで母体は傷つき、今後妊娠できる可能性はほぼゼロに近い。

従兄の正哉と和子が抱いていた唯一の望みを、清緒が打ち砕いたのだ。

気絶していた老夫人も、目を覚ますなり「清緒を病院へ連れ戻せ!」と玄也に命じていた。

病室に入った瞬間、黒田家の親族たちが清緒を取り囲んだ。

背後から突然、強い力で押された。

微熱と疲労で体力の限界を迎えていた清緒は、そのままバランスを崩し、和子のベッドの前で跪くような姿勢で倒れ伏した。

震える膝でなんとか起き上がろうとしたその時、今度は背後から蹴りが入った。清緒が怒りで振り返ると、そこに立っていたのは、玄也だった。彼の深い瞳には、一片の情けもなかった。

思わず動きが止まった。

「玄也……あなた」

長身で引き締まった腰。その鋭い眼光は、窓から差し込む逆光によって、より一層陰湿に見せている。

彼は唇を真一文字に引き結び、ゴミでも見るような目で地べたの清緒を見下ろしていた。その目には、感情の微動だに感じられなかった。

その瞬間、清緒は悟ってしまった。

この三年間、和子のために尽くし、いつかは積み重ねた努力で玄也の心を動かせると信じていた自分は、ただの笑い者だった。

「人殺し!」病室のベッド脇で、宫泽夫人が怒鳴りつけた。「あんたみたいな残酷な女は、和子の代わりに命で償うべきだ」

言い放つと。

手にした湯呑みを床に叩きつけた。飛び散った陶器の破片が清緒の手の甲を切り裂き、細い血筋が走った。

その傍らでは、和子が母親の胸にすがりつき、今にも息が止まりそうなほどに泣き崩れていた。

だが、清緒は知っている。

宮沢夫人の影に隠れ、誰の目にも触れないその角度で、和子が悪意に満ちた、陰湿な笑みを浮かべていることを。

「玄也、本当に手は尽くしたの。なぜ胎児の心拍が急停止したのか、私にも分からない。でも、時間をください。必ず原因を突き止めるから」

清绪は膝に手をつき、今にも崩れそうな体をなんとか起こした。理性だけを頼りに言葉を紡ぎ、せめて誰かが耳を傾けてくれることを願っていた。

だが。

彼女の言葉は、和子の悲痛な泣き声にかき消された。和子は顔を覆い、肩を激しく震わせながら訴えた。

「清緒さん、何てこと言うの!?」

「私のお腹の子よ?たった一人の私の赤ちゃんを、私が殺すとでも言うの?」

「あの日、変な味の漢方薬を飲ませたのはあなたじゃない!私が苦いって言ったのに、無理やり飲ませて、それから――」

和子は涙をぬぐい、怯えと辛さを湛えた目で中央に座る黒田老夫人をそっと見上た。

老夫人が卓を叩く音が重く響く。「森川清绪は、ほかに何と言った!」

「清绪さんが……き、聞かないなら、お腹の子を流すって……」

和子は顔を上げ、絶妙なタイミングで一粒の涙をこぼした。その儚げで傷ついた様子は、完璧に計算されていた。「私、言う通りにしたじゃない。薬もちゃんと飲んだのに、どうしてこんな酷いことをするの?」

「私をいじめるだけじゃ足りなくて、赤ちゃんまで手に掛けるなんて……」

「玄也が私に優しいから嫉妬してるんでしょ?でも、私たちは幼馴染なの。こればかりはどうしようもないじゃない」

和子は悲痛な叫びを上げながら、老夫人の反応を観察していた。

老夫人の怒りは頂点に達し、握りしめた杖が軋む音が部屋に響き渡った。

和子は満足げにまぶたを伏せ、誰にも気づかれない角度で唇の端をわずかに上げた。

そしてすぐに、力尽きたふりをして母親の胸の中へぐったりと倒れ込んだ。

重く振り下ろされた杖が、清绪の背に直撃した。

清绪は避ける間もなく一撃を受け、体が前にのめった。

誰も助けようとはしなかった。彼女の額は紅木の椅子に激しく打ち付けられ、ぱっくりと割れた。

視界が粘つく鮮血で赤く染まる。

「今日限りで病院は辞めな!これからは和子の世話だけに専念して。お前は、一生をかけてこの罪を償うのだ!」

老夫人の宣告が鉄槌のように頭の上に落ち、清緒はまたしても激しいめまいに襲われた。

「あり得ない!」清緒は額の傷を押さえながら、毅然と言い放った「私は医者になるために生きてきたの。誰かのために、この道を諦めるなんて絶対に無理です。それに、何度も言うけど私は手を尽くした。心停止の原因は不明だけど、私に過失はないし、変な薬なんて飲ませてない!」

「まだ減らず口を!」老夫人の杖が再び振り下ろされ、今度は清緒の肩を直撃した。「玄也!これがお前の選んだ嫁か!」

「年長者に逆らい、家族を害するとは、とんでもない女だよ!」

清緒は誤解を解こうと口を開きかけた。だが、それより早く、背後から玄也の氷点下の声が突き刺さった。「病院を辞めて一生和子に償うか、俺と離婚するか。今すぐ選べ!」

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