離婚届と黒いグローブ の小説カバー

離婚届と黒いグローブ

9.3 / 10.0
結婚七周年を迎えた記念すべき日、子作りに対する価値観の相違から陸原湊と激しい口論になり、二人の仲に亀裂が入った。その直後、彼の幼なじみがSNSに投稿した写真には、サーキットで親密に微笑み合う湊と彼女の姿があった。周囲も二人を公認のカップルのように扱う。この七年間、危険だからという理由で一度もレース場に招かれなかった自分とは対照的に、彼の傍らには常に彼女がいたのだ。かつては優しかった湊の言葉も、今では義務的な拒絶にしか聞こえない。彼が本当に大切に想っていたのは私ではなく彼女だったのだと悟り、私は結婚指輪を外して湊に離婚を突きつけた。悲しみに暮れる暇はない。私は長年封印していたガラスケースの中の黒いグローブを再び手に取る。時速三百キロの世界を危険だと決めつけ、私を遠ざけた彼への答えは、ハンドルを握るこの手で証明する。愛を捨て去った元妻が、かつての情熱を取り戻して再起する物語。

離婚届と黒いグローブ 第1章

結婚七周年の記念日――陸原湊と私は、子どもを望まないという私の考えを巡って激しく口論し、最悪の形で終わった。

その直後、私は桐島香織の投稿を目にした。

【君が初めてサーキットに立った日から、今こうして名声を手にするまで、ずっとそばにいたのは私だけ】

添えられた写真には、陸原湊と彼女、そして数人のチームメイトが並んで写っていた。

チームメイトたちはからかうような視線を二人に向け、陸原湊と桐島香織は見つめ合って微笑んでいる。まるで恋人のように――。

けれど、結婚してからの七年間、私は一度たりとも彼のレース場へ行ったことがなかった。彼のチームメイトと顔を合わせたことすらない。

その理由を尋ねるたび、彼はいつも優しくこう言っていた。

「サーキットには時速300キロのマシンが飛び交ってるんだ。危険すぎるよ。君は僕の大切な人だ、万が一にもケガをしたら僕は耐えられない」

けれど、もう一歩踏み込んで問いただせば、その優しさはすぐに苛立ちに変わった。

――七年もの歳月の中で、彼の心の最優先がずっと桐島香織だったのだと、ようやく気づいた。

私は取り乱すこともなく、黙って左手の指輪を外し、一通のメッセージを編集して送信した。

【陸原湊、離婚しましょう】

そのあと、ガラスケースにしまってあった黒いグローブをそっとはめる。

……時速300キロが危険?いつからそうなったのか。

1

私は神崎悠真に電話をかけ、復帰の意思を伝えた。

彼の声には、抑えきれない喜びがにじんでいた。

「当時、君は強制的に離脱させられて、関連情報もすべて封印された。七年も消息が途絶えたから、もう戻ってこないと思っていたよ」

私は小さく笑った。「あなたたちが恋しくて、戻らずにはいられなかっただけ」

神崎悠真は冗談めかして軽く責めるように言った。

「とはいえ、復帰手続きには最短でも一か月はかかる。残りわずかな自由時間を楽しんでおくといい。戻ってきたら、そのぶんきっちり働いてもらうからな」

HCクラブの代表とは思えない軽口だったが、それが彼らしいとも言える。

そして予想外にも、私が陸原湊にメッセージを送って間もなく、彼は勢いよく帰ってきた。

玄関を開けるなり、彼は怒りをあらわに叫んだ。

「御園紫苑、お前は一体、何をそんなに騒いでるんだ! たかが一つの投稿じゃないか、器が小さすぎる!」

「香織は幼い頃から親もいない。俺を“お兄ちゃん”と呼ぶなら、俺が守ってやるのは当然だろ!」

私の唇には、自然と皮肉が浮かんだ。「実の兄として?それとも“そういう関係”の兄として?」

その瞬間、彼の表情が強ばった。図星だったのだろう。

「御園紫苑、君はその汚れた目で他人を見つめるの、やめてくれないか?」

「それに、君の希望通り七年間も子どもを持たずにいた。そろそろ欲しいと思ってる。まさか陸原家を断絶させたいわけじゃないよな?」

視線を向ける気にもなれなかった。

陸原湊は一瞬言葉を飲み込み、声色を和らげる。

「紫苑、分かってるだろ。君のことをどれだけ愛してるか……だからこそ、僕たちの愛の証を残したいんだ」

「香織のことは僕が甘やかしすぎた。ちゃんと話しておくよ」

「もう怒らないでくれ、な?」

昔なら、こんなふうに言われたら心が揺らいだかもしれない。でも、何度も繰り返されれば、感情も擦り切れる。

握られていた手をそっと引き離し、静かに告げた。

「私たちの愛なんて、もうとっくにあなた自身の手で壊されてる」

「子どものことなら、私が産まなくても、あなたに産んであげたいって人はいくらでもいるでしょう」

私の冷たさに、陸原湊はついに取り繕うのをやめた。

「御園紫苑、お前、いい加減にしろよ!」

「……陸原湊、今日は何の日か覚えてる?」

男は一瞬きょとんとし――そのとき、彼のスマートフォンが鳴り出した。

「湊お兄ちゃん、お腹がすっごく痛いの……もうダメかも……会いに来てくれる……?」

甘ったるく耳障りな声は、聞き間違えるはずもない。彼の幼なじみ、桐島香織だ。

陸原湊は眉をひそめ、焦った声で答える。

「バカなこと言うなよ、香織。すぐに行くから、待ってろ」

電話を切ると、私を睨みつけるように言い放った。「少しは自分を省みろ」

扉が激しく閉まる音が響いた。私は立ち上がり、自分で赤ワインを一杯注ぐ。

ここまで来られたのも、桐島香織のおかげだ。

陸原湊が七年かけて築いた仮面は、ようやく剥がれ落ちた。

幸い、子どもがいなかったことだけは救いだ――心から、そう思う。

スマホの画面を開くと、目に飛び込んできたのは桐島香織の新しい投稿だった。

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