その溺愛、手遅れです。 の小説カバー

その溺愛、手遅れです。

7.9 / 10.0
結婚から一年、理想の夫・緒方慎也は冷酷な本性を現した。妻の望月星奈が献身的に尽くす傍ら、慎也は実家に幼馴染を囲い、星奈を「商売の道具」としてしか見ていなかった。義母からも蔑まれ、孤独な「生ける未亡人」となった星奈は、ついに決別を決意。未練を断ち切り、離婚届を突きつけて家を飛び出した。専業主婦という仮面を脱ぎ捨て、ビジネスの世界へと返り咲いた彼女は、磨き抜かれた宝石のような輝きを放ち始める。その魅力に惹かれ、星奈の周囲には新たな恋の予感と求婚者たちが次々と現れるようになった。一方、失って初めて彼女の価値に気づいた慎也は、焦燥感に駆られ、かつての傲慢さを捨てて復縁を懇願する。「俺が間違っていた、戻ってきてくれ」と縋る彼に対し、星奈の瞳に宿るのは冷徹な拒絶のみ。裏切りの代償はあまりに大きく、手遅れとなった執着愛が虚しく響く。自らの足で歩み始めた星奈は、過去の因縁を振り払い、華麗なる逆転劇を繰り広げていく。

その溺愛、手遅れです。 第1章

誕生日当日。

望月星奈は自分へのご褒美ケーキを抱えて、ほんの少しだけ浮かれた足取りで街を歩いていた。

家に着いた頃には、すでに深夜近くだった。途中で土砂降りの雨に全身びしょ濡れで、髪先から雨水がぽたぽたと落ちていく。

星奈がリビングに入ると、招かれざる客と鉢合わせた。義母だ。夫である緒方慎也の母親である。

星奈のみじめな姿を見るなり、義母は露骨に顔をしかめて一歩後ずさり、怒鳴りつけた。「夜更けに家を空けて、どこほっつき歩いてたの!大奥様が情けをかけなきゃ、あんたなんか緒方家に入れるわけないでしょ! 結婚してもうすぐ2年になるのに、ガキの1人も産めないなんて!恩を仇で返すつもり!?」

義母の嫌味には慣れっこだ。星奈はソファ脇のタオルで髪を拭きながら、淡々と言い返す。「結婚して18ヶ月、緒方慎也がまともに帰ってきたことなんてありました?私、空気で妊娠する能力なんて持ってませんから」

義母は鼻で笑った。「今すぐ慎也を呼び戻しなさい。妻なら、夫の機嫌取りくらいして当然でしょ!」

星奈は相手にする気になれず、黙ってスマホをいじり始めた。 結婚してからの2年間、この義母の嫌味にはもう十分すぎるほど耐えてきたのだ。

義母の小言をBGMに聞き流していると、星奈のスクロールする指がピタリと止まった。

藤原初実がSNSを更新していた。「急に土砂降り。でも、ピンチの時にいつも現れてくれる人がいて救われた」

写真の隅に見切れている黒いロールス・ロイス。星奈はすぐにそれが慎也の愛車だと気づいた。国内にたった1台しかない車だ。

初実の父親は、かつて慎也をかばって爆発事故で亡くなっている。それ以来、緒方家は初実を目に入れても痛くないほど可愛がってきた。

慎也とは幼馴染として育ち、ずっと言葉にできない曖昧な関係を続けている。

胸のあたりがつかえるように痛み、星奈は義母に吐き捨てた。「そんなに孫が欲しいなら、藤原初実に産んでもらえばいいじゃないですか」

「何バカなこと言ってんの!大奥様が無理やりあんたと慎也を結婚させなきゃ、チャンスなんて欠片もなかったくせに!」 義母は逆上し、手近にあった陶器の花瓶を星奈めがけて投げつけた。

避ける間もなく、花瓶が頭を直撃する。ガシャーンと音を立てて床で砕け散った。

涙が出そうなほど痛かったが、幸い花瓶が小さかったおかげで、流血沙汰にはならずに済んだ。 誕生日に顔に傷が残るなんて、それこそ悲劇だ。

義母は星奈を見下ろし、冷たく言い放つ。「私に口答えする暇があるなら、夫の心を取り戻す努力でもしたら?」

言い捨てると、義母は鼻を鳴らして去っていった。

ドアが乱暴に閉まる音が響いて、ようやく星奈は我に返る。

リビングを見渡すと、ガランとした空間が孤独をいっそう際立たせていた。

去年の誕生日、2人はまだ新婚だった。

慎也は派手なパーティーを開いてくれて、みんなの前でキスをし、熱っぽい瞳で見つめてくれた。 焼き尽くされそうなほど、遠慮もせず注がれた愛。

目は口ほどに物を言う。(あの瞬間、慎也の心には確かに私がいたはずだ。)

(だからこそ彼女は溺れた。本気で愛し、契約結婚の中で愛に巡り合えたことに、心から幸せを感じていた。)

(だが、その愛は刹那的なものだった。激しく燃え上がり、あっという間に冷めていった。最後にその場に立ち尽くしたのは、たった一人の彼女だけだった。)

着信音が鳴り響く。見知らぬ番号だったので無意識に拒否ボタンを押したが、相手はしつこくかけ直してきた。

電話に出ると、相手は息を荒げた声で切り出した。『もしもし、緒方さんの奥様でしょうか? こちら県立第二病院です。緒方さんが交通事故で搬送されまして……』

初実のSNS投稿を思い出し、星奈は医者の言葉を遮って冷たく告げた。『どうも。忙しいので行けません。 彼の“彼女”に連絡してください』

初実が慎也からの寵愛を享受しているのなら、介護の義務だって引き受けるべきだ。

しかし、医者の声色が一段と厳しくなる。『そういうわけにはいきません。患者様は大出血を起こしており、命の危険があります。手術同意書には直系親族のサインが必須なんです』

その言葉は雷のように星奈の頭の中で炸裂した。心臓が跳ね上がり、慌てて答える。『わかりました、すぐ向かいます』

恨んでもいるし、憎んでもいる。でも、死んでほしいなんて思ったことは一度もない。

慎也は確かにろくでなしだが、死刑になるほどの罪人じゃないのだ。

……

着替える暇さえなかった。病院に着く頃には、びしょ濡れだった服が生乾きになり、シワシワになって肌に張り付いている。見た目だけで言えば、患者よりも悲惨かもしれない。

「すみません、さきほど事故で運ばれた緒方慎也はどこに……」 彼女は慌てて通りがかりの看護師を呼び止めた。

返事を聞く間もなく、次の瞬間——星奈の瞳は看護師の肩越しに廊下の奥を捉えた。言いかけた言葉が喉で凍りつき、全身が雷に打たれたように硬直した。

病院のベンチに慎也が座り、その足元で初実がしゃがみ込み、彼の手のひらを自分の頬にそっと押し当てていた。

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