裏切りの果て、私は医師となる の小説カバー

裏切りの果て、私は医師となる

9.3 / 10.0
婚約者の樹世は、元カノである雅美の「余命わずか」という卑劣な嘘を鵜呑みにし、私を無残に裏切った。彼は私の大切な祖母の形見である秘伝のレシピノートを雅美に譲り渡し、私との婚約を一方的に破棄して彼女と結婚することを誓ったのだ。樹世の蛮行はそれだけに留まらず、私が雅美を突き飛ばしたという無実の罪を着せ、さらには彼女が私の亡き父の墓を破壊する光景を黙認し続けた。「君を愛している、信じてくれ」と彼は身勝手な叫びを上げるが、裏切りの連続によって私の愛情は冷酷な灰へと変わり、その言葉が心に響くことは二度とない。すべてを捧げた男に踏みにじられた私は、かつて志した医学の道へと戻ることを決意する。本作は、愛する男にすべてを奪われた女性が、過酷な戦地の医師として再起を遂げ、自分を陥れた者たちに容赦のない報いを与えるまでの軌跡を描いた復讐と再生の物語である。凄惨な裏切りの果てに、彼女が掴み取る未来とは。

裏切りの果て、私は医師となる 第1章

婚約者の樹世は, 元カノの雅美が「余命数日」だと嘘をついた途端, 私を裏切った.

彼は私の祖母の形見である秘伝のレシピノートを雅美に渡し, 私との婚約を破棄して彼女と婚約すると約束した.

それだけでは飽き足らず, 樹世は私が雅美を突き飛ばしたと濡れ衣を着せ, 彼女が私の父の墓を破壊するのをただ黙って見ていた.

「純奈, 君を愛している! 僕を信じてくれ! 」と彼は叫ぶが, その言葉はもう私の心には届かない.

彼の裏切りで私の愛は冷たい灰と化し, 私は医学の道に戻ることを決意した.

これは, すべてを捧げた男に裏切られた私が, 戦地の医師として再生し, 彼らに無慈悲な結末をもたらす物語.

第1章

堀井純奈 POV:

彼の唇は, 私のものに柔らかく重なっていた. 腰にそっと置かれた彼の手の重みが心地よかった. 焼きたての抹茶大福の香りはまだ部屋に漂っていて, 私たちの未来への甘い約束のようだった. その時, 耳障りな着信音が静かな親密さを切り裂き, まるで壊れやすいガラスのようにその瞬間を粉々にした. 樹世がぴくりと体を硬くし, 少しだけ私から離れた. 暗がりの部屋に明るく光る彼の携帯の画面には, 見慣れた名前が表示されていた. 「雅美」.

私の心臓は, 突然冷たい水に凍りついたようだった. 雅美は, 樹世の元恋人だ. 私たちが婚約したと知って以来, 何度も彼に連絡してきていた. いつもは無視する携帯なのに, 彼はその時だけ, 画面をじっと見つめていた. まるで呪文にかかったように, 指がゆっくりと画面に伸びていった. 私の胸には, 嫌な予感が広がり始めた.

樹世は私の視線に気づいていないようだった. 彼の目は画面に釘付けになり, 微かな震えが彼の手から私に伝わってきた. 私は何も言わなかった. ただ, 彼の次の動きを固唾を飲んで見守っていた. その沈黙は, これから起こるであろう嵐の前の静けさのように, 重くのしかかっていた.

電話が繋がった瞬間, 受話口から漏れ聞こえる声に, 私の体は一瞬で凍りついた. 男性の声だった. 焦燥感と, 抑えきれない興奮が混じったような, 耳障りな声. 樹世の顔色が変わるのが分かった. 彼の目は大きく見開かれ, まるで信じられないものを見たかのように, 焦点が定まらない.

「…すぐに行きます」樹世はそう言って, 電話を耳から離した. 彼の声は震えていた. 一体何が起こったのだろう. 私の不安は, どんどん膨れ上がっていった. 彼は私に背を向け, 何かを隠すように小声で話し始めた. 日本語ではない言葉. 私には理解できない, でも緊急性を帯びた響きだった. 彼の声はさらに激しさを増し, まるで誰かをなだめるかのように, 必死の調子で話していた.

電話の向こうの相手は, 感情を抑えきれないようだった. その声は樹世の必死な言葉を遮るように, さらに荒々しくなった. 樹世が再び受話器を耳に戻すと, 彼の顔色はさらに蒼白になった. そして, 電話の向こうから, 衝撃的な言葉が私の耳にも届いた.

「…余命, 数日…」

まるで氷の刃が心臓を貫いたようだった. 余命数日? 誰が? 雅美が病気だということは知っていたが, そんなに深刻だとは聞いていなかった. 樹世の指が, まるで心臓の鼓動のように激しく携帯を握りしめている. 彼は電話を切ると, 私の方を振り向きもせず, 玄関に向かって走り出した.

「樹世, 待って! 」

私の声は届かない. 彼はもう私の言葉を聞いていなかった. 背中が小さくなり, やがてドアの向こうに消えた. 部屋には, 彼が出ていった後に残された, 冷たい沈黙だけが残った. 私はそこに立ち尽くし, ただ彼の残像を見つめていた. その時, 私の携帯が震えた. 樹世の携帯ではない. 私の携帯だ. 開いてみると, 雅美からのメッセージだった.

「これで, あなたはおしまい. 樹世は私のものよ. 」

メッセージには短い動画が添付されていた. 動画の中では, 雅美が薄く笑いながら, 樹世の腕に寄り添っている. そして, 樹世が電話で話している声がはっきり聞こえた. 彼は雅美の「余命数日」という嘘を信じ込み, 私の祖母の形見である秘伝のレシピノートを雅美に渡すことを約束していたのだ. 私の全身から血の気が引いた.

私は, その場で膝から崩れ落ちた. 彼の言葉, 彼の行動, そして雅美からのメッセージ. 全てが繋がり, 私を激しい絶望の淵に突き落とした. そうか, 彼は私を裏切ったのだ. 私の心を温めていたはずの愛の炎が, 一瞬にして冷たい灰燼と化した.

「馬鹿みたい…」と, 私は枯れた声で呟いた. これまでの私の献身は, 一体何だったのだろう. 彼を支え, 彼のためにすべてを捧げてきた日々が, まるで砂上の楼閣のように崩れ去っていく. 私の愛は, 彼にとって何の意味も持たなかったのだ.

私は震える手で, 床に落ちた携帯を拾い上げた. 画面の中の雅美と樹世の姿が, 私の心を深くえぐった. 彼との出会いを思い出す. それは, ちょうど一年前のことだった.

樹世は, 京都の老舗和菓子屋「梅原堂」の跡取り息子だった. 代々続く名家で, その名前は和菓子業界では誰もが知る存在. 一方, 私は地方の小さな洋菓子店の娘で, 祖母から受け継いだレシピノートだけが私の宝物だった. 私たちはまるで違う世界に生きていた.

彼と初めて会ったのは, ある洋菓子コンクールでのことだ. 私は無名の参加者で, 彼は審査員の一人としてそこにいた. 私の作った, 和菓子の技法を取り入れた繊細な洋菓子は, 彼の目を引いた. 彼は私に, まるで運命の出会いだと囁いた. 彼の情熱的な言葉に, 私はすぐに心惹かれた.

そこからの日々は, 夢のようだった. 樹世は私の才能を誰よりも理解し, 応援してくれた. 彼が交通事故で味覚と嗅覚を失った時も, 私は必死で彼を支えた. 彼の口に合うものを見つけるため, 何度も何度も試作を繰り返した. 伝統的な和菓子に, 洋菓子の精密な技術を応用する. それは, 祖母のレシピノートに記された, 私の秘伝の技だった.

私は彼のために, 毎日新しい和菓子を作り続けた. 彼の失われた感覚を取り戻すために, 五感を刺激するような, 記憶に訴えかけるような味を追求した. 樹世は, 私の作った和菓子を口にするたびに, 少しずつ笑顔を取り戻していった. 彼の目にかつての輝きが戻るたびに, 私の心は満たされていった.

あの頃, 彼は私の手を握り, 「純奈, 君は僕の光だ. 君なしでは, 僕は何もできない」と何度も言った. 彼の言葉は, 私の心を温かく包み込み, どんな困難も乗り越えられると信じさせてくれた. 彼は, 洋菓子職人としての私の夢も応援してくれた. いつか, 二人で力を合わせ, 新しい菓子作りをしたいと語り合った. 彼の隣にいられるなら, どんなことでも乗り越えられると, 私は心の底から信じていたのだ.

樹世の事故は, 彼の元恋人である雅美が運転する車との衝突によるものだった. その事故で, 雅美は軽傷で済んだ. 樹世の味覚と嗅覚が失われた時, 梅原堂の跡取りとしての地位は危うくなった. 多くのプレッシャーが彼にのしかかり, 彼は深く絶望していた. その時, 私が彼のそばにいた.

「純奈, 君だけが僕を救える. 君がそばにいてくれれば, きっと乗り越えられる」

彼の弱々しい声に, 私は胸を締め付けられた. この人を, 絶対に守り抜こうと誓った. 私は彼のために梅原堂の仕事を手伝い, 彼の感覚を取り戻すために私のすべてを捧げた.

彼の視覚が回復した後も, 彼は私を必要としていた. 「君が僕の目となり, 鼻となってくれる」と言って, 私に頼りきりだった. 梅原堂の家族からは, 私がただの洋菓子職人であるという理由で, 樹世との婚約を反対する声もあった. しかし, 樹世は毅然として私を守り抜いた.

「純奈がいなければ, 僕は梅原堂を継ぐことなどできない. 彼女こそが, 僕の未来だ」

彼はそう言って, 家族を説得した. その言葉を聞いた時, 私はこの先, どんなことがあっても彼についていこうと心に誓った. 彼が再び梅原堂の跡取りとして認められ, 私たちの結婚も間近に迫っていた. 私は, 彼との未来に何の疑いも抱いていなかった.

しかし, 雅美が再び樹世の前に現れてから, すべてが狂い始めた. 彼女は樹世の事故の原因を作った張本人であり, ライバル店の令嬢だった. 雅美は, 病気で味覚を失いつつあると嘘をつき, 樹世の罪悪感を刺激した. 最初は私も, 雅美が樹世を苦しめることを恐れて, 彼女を警戒していた. だけど, 樹世は彼女をただの昔の知り合いだと言い, 私を安心させた.

「純奈, 君は僕を心から愛してくれている. 雅美はただの友人だ」

彼の言葉を, 私は愚かにも信じていた. 雅美からの執拗な連絡が増えても, 私は彼を信頼しようと努めた. 雅美は私の存在を無視し, 樹世に頻繁に連絡を取り続けていた. 彼女の行動は私を苛立たせたが, 樹世は私に「雅美はただ寂しいだけなんだ. 可哀想に」と言い聞かせた.

私は, 彼の言葉を信じ, 雅美を軽視していた. だけど, 今日のメッセージと動画. そして, 電話の向こうで聞こえた「余命数日」という言葉. 雅美は, 樹世の罪悪感を利用して, 私から彼を奪おうとしているのだ. そして, 樹世は, その蜘蛛の糸のような嘘に, あっけなく絡めとられてしまった. 私の祖母の形見である秘伝のレシピノートまで, 彼女に渡そうとしているなんて.

心臓が, まるで冷たい石になったかのように感じた. あの優しい言葉, あの固い約束は, 一体何だったのだろう. 彼の瞳の奥に, 私だけが映っていると信じていたあの頃の私は, なんて滑稽だったのだろう.

私の愛は, 一方的な献身は, 彼にとってただの都合の良い道具だったのだ. 彼の感覚を取り戻し, 彼の地位を確立するために利用されただけ. そして, 用済みになれば, 簡単に捨て去られる.

私はゆっくりと立ち上がった. 体中の血が, 冷たい氷となって流れているようだった. 私の心は, 本当に死んでしまった. 彼の言葉も, 彼の優しさも, もう私には届かない. 私の愛は, 完全に裏切られた. もう, 終わりだ.

「梅原樹世, 私たち, もう終わりよ. 」

私の声は, 誰もいない部屋に虚しく響いた.

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