偽りの天才作家と影武者の妻 の小説カバー

偽りの天才作家と影武者の妻

8.5 / 10.0
「天才作家」の夫が発表する全作品を代筆してきた妻。過労による流産を経て、夫が愛人を「ミューズ」としてパリへ連れて行くと宣言した時、彼女の忍耐は限界に達した。本作は、才能を搾取され続けた女性が、自身の人生を取り戻すために仕掛ける静かな復讐を描くモダンな愛憎劇。夫の栄光を支えたゴーストライターが、空港で彼を突き放した瞬間から真の物語が始まる。人気のweb novelとして、裏切りと再生をテーマにしたromance fiction booksの中でも、特に冷徹な決意が光る一冊。
「偽りの天才作家と影武者の妻」のあらすじ
世間から「天才作家」と称賛を浴びる夫。しかし、その華々しい名声の裏で全ての原稿を執筆していたのは、妻である私だった。過酷なゴーストライティングによる過労で流産し、二度と子供を授かれない体になった私を、夫は「便利な道具」としか見ていない。パリへの移住を目前にしたある日、夫は残酷な提案を突きつける。自らの愛人を「創作のミューズ」として同行させ、私には現地で家政婦として仕えろというのだ。愛人の偽りの妊娠を盾に、私の尊厳を無残に踏みにじる夫。その身勝手な振る舞いに、長年抱き続けた愛情は完全に冷め、静かな殺意にも似た決意へと変わった。私は独り、秘書へ電話を入れ、自分の航空券だけをキャンセルするように淡々と告げる。夫が空港で私の不在に気づく時、彼が築き上げた偽りの栄光は音を立てて崩れ去るだろう。これは、夫に人生を搾取され続けた女が、自らの手で自由と尊厳を取り戻すために仕掛ける、静かで残酷な復讐の物語である。物語の幕が今上がる。
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偽りの天才作家と影武者の妻 第1章

夫は「天才作家」として世間から崇められているが, そのすべての原稿を書いているのは, 実は妻である私だ.

パリへの移住を目前に控え, 夫は愛人を「ミューズ」として帯同すると言い放った.

「君は家政婦として生活を支えろ. 彼女は創作を支える. ウィンウィンだろう? 」

私のゴーストライティングによる過労が原因で流産し, 二度と子供を望めない体になったことを, 彼は知っているはずだ.

それなのに, 愛人の嘘の妊娠を盾に私を追い詰め, 私の尊厳を泥足で踏みにじった.

夫にとって私は, 才能を搾取するための「便利な道具」でしかなかったのだ.

私の心の中で, 夫への愛情は完全に冷え切り, 静かな決意へと変わった.

私は秘書に電話をかけ, 淡々と告げた.

「私の航空券だけ, キャンセルしてください」

夫が空港で私の不在に気づいた時, 彼の栄光は終わりを告げる.

これは, 私の人生を取り戻すための, 静かで残酷な復讐の始まりだ.

第1章

「長浜様, 失礼いたします. 坂梨先生のパリ行きのご予定ですが, 本当に, このままキャンセルでよろしいのでしょうか? 」

秘書の戸惑った声が, 受話器越しに響いた.

私の手は, 冷たいテーブルの上で, ゆっくりと, しかし確実に, 受話器を握りしめていた.

窓の外では, 冬の薄暗い空が広がっている.

その空の色が, 私の心の色と重なった.

「ええ, 問題ありません」

私の声は, 驚くほど冷静だった.

まるで, 他人のことのように聞こえた.

秘書は明らかに混乱している.

それも無理はない.

坂梨遼佑. 私の夫.

彼は, 今や日本の文壇を牽引する人気小説家だ.

その彼の海外移住計画を, 私がたった今, 何の躊躇もなくキャンセルしたのだから.

私は立ち上がり, 窓辺へと歩み寄った.

冷たいガラスに額を押し付ける.

そこに映る自分の顔は, 感情を一切映していなかった.

何年も, この瞬間のために生きてきたような気がする.

この決定は, 私のすべてを, 根底から覆すものだ.

しかし, 後悔はなかった.

ただ, ひたすらに, 静かな決意が胸を満たしていた.

「それから, いくつか変更をお願いしたいのですが」

私は秘書に指示を始めた.

声は淡々としている.

パリ行きはキャンセル.

しかし, 夫は予定通り, 指定された日時に空港へ向かうことになるだろう.

そして, その日.

私は彼らの前から, 忽然と姿を消す.

二度と, 彼らの人生に現れることはない.

秘書は, 私の言葉の端々から, 何か尋常ではないものを感じ取っているようだった.

しかし, 彼女はプロだ.

私の指示に, ただ「かしこまりました」と答えるだけだった.

私の声には, 一切の迷いがなかった.

それは, 何年もかけて, 私の心の中で熟成させてきた決断だからだ.

「分かりました, 長浜様. それでは, そのように手配いたします」

秘書の返事は, 機械的だった.

電話を切る.

受話器を置く音だけが, 静かな部屋に響いた.

これで, 終わった.

私の, すべてが.

部屋のドアが開く音がした.

遼佑だった.

彼は, 苛立ちを隠せない様子で私を見つめた.

その視線が, 私の心臓を氷のように冷やす.

「おい, 真悠枝. いつまで電話してるんだ?  こっちはお前が出発の準備をしないから, 何も進まないじゃないか」

彼の声には, 常に私への不満が滲んでいた.

私が, 彼の人生を滞らせる妨げであるかのように.

私は振り返らず, 窓の外の景色を見つめたまま答えた.

「今, 終わったところよ」

「それで, パリへの移住の件はどうなったんだ?  結泉のビザの手配は?  俺の新しい執筆環境の確保は? 」

彼の言葉は, まるで私の存在が, それらの「準備係」でしかないとでも言うかのようだ.

私はゆっくりと振り返った.

彼の目は, 私の顔ではなく, 私の手元にあるはずの書類を探している.

「全て, 手配済みよ」

私は, 嘘をついた.

完璧な嘘を.

彼は安堵の息を漏らした.

そして, 私の前に, 臆面もなく立ち尽くした.

「ああ, そうか. さすがだな, 真悠枝. お前がいれば, 何も心配いらない. ところで, 今回のパリ行きだが, 結泉もアシスタントとして連れて行くことにした」

彼の言葉は, 私の心をナイフでえぐるように突き刺さった.

しかし, 私の表情は, 微動だにしなかった.

私は, ただ彼を見つめていた.

彼の瞳の奥に, 何の悪意も, 罪悪感も見て取れないことに, 心底, 吐き気がした.

「結泉も, だと? 」

私の声は, かすかに震えた.

それを彼は気付かない.

彼は, 私がただ確認しているだけだと思ったのだろう.

「ああ. 決めたんだ. 結泉は俺のミューズだからな. 彼女がいないとインスピレーションが湧かない. だが, お前がいないと, 生活が回らない. お前は実務家として, 俺の生活を支えてくれればいい. 結泉は俺の創作活動を支える. ウィンウィンだろう? 」

彼は, 自己満足げな笑みを浮かべた.

彼の言葉の中に, 「愛」という言葉は, 一片も見当たらない.

私への感謝も, 労いも.

「それに, 結泉はまだ若いし, 海外は初めてだからな. お前が現地での生活のセットアップと, 彼女の世話をしてやってくれ. 俺は創作に専念したいから」

彼の要求は, 際限がなかった.

私の心臓が, まるで氷漬けになったかのように冷たくなった.

目の前の男は, 私の夫ではない.

ただの, 自分勝手な搾取者だ.

結泉の世話.

その言葉が, 私の脳裏に焼き付いた.

数ヶ月前, 私は流産したばかりだった.

長い不妊治療の末, ようやく授かった命だった.

しかし, その命は, 私のもとを去ってしまった.

不妊の原因は, 彼の不摂生だと医者は言っていた.

彼には言わなかった.

言えば, きっと, 私のせいだと騒ぎ立てただろうから.

流産を乗り越えようと必死だった私に, 彼は何の気遣いも示さなかった.

それどころか, 結泉が「妊娠したかもしれない」と騒ぎ立てたとき, 彼はこう言ったのだ.

「なあ真悠枝, もし結泉の子がお前の子と同じ時期に生まれたら, 俺は一体どうすればいいんだ?  あの子は繊細だから, ショックを与えたくない」

その言葉が, 私を完全に絶望の淵に突き落とした.

私の中で, 何かが, 音を立てて砕け散った.

「結泉が妊娠? 」

私は, その時の衝撃を思い出し, 無意識に口に出していた.

遼佑の顔色が変わる.

「いや, 違う!  それは... ただの勘違いだったんだ. もう心配ない」

彼は動揺した.

しかし, その動揺は, 私への配慮からではなかった.

ただ, 自分が墓穴を掘ったことへの焦りだ.

「勘違い... ね」

私は, 虚ろな目で彼を見た.

彼は, 私の表情から何かを読み取ろうとしているようだったが, すぐに諦めた.

そして, 再び, 傲慢な態度に戻る.

「とにかく, そういうことだから, よろしく頼むぞ. お前は俺の妻なんだから, 俺の成功を支えるのは当然の務めだろう? 」

彼の言葉は, 私の心を深々と抉った.

私の中で, 何かが, 完全に死んだ音がした.

もう, 何も感じない.

「わかったわ」

私は, 小さく頷いた.

その瞬間, 遼佑の顔に安堵の色が浮かんだ.

彼は, 私が「自分の言いなりになる妻」であることに満足している.

私が, 彼の傲慢な要求を, 今までと同じように受け入れたのだと信じ込んでいる.

「さすが真悠枝だ. お前は本当に, 俺を理解している」

彼は, 私の肩をぽんと叩いた.

その手のひらから伝わる熱が, 私には, 嫌悪感でしかなかった.

私の心は, 冷たい氷に覆われている.

もう, 何を言われても, 何をされても, 傷つかない.

なぜなら, 私の中に, 彼への感情は, もう何も残っていないからだ.

「ところで, 結泉だが, 彼女はまだ実力不足だからな. お前のように, 俺の原稿をゴーストライティングすることはできない. だから, お前は引き続き, 俺の作品のプロット作成から執筆まで, 実質的に全てをこなしてくれ」

彼は, まるで当たり前のようにそう言った.

私の才能は, 彼のもの.

私の努力は, 彼の功績.

何一つ, 私のものとして認められたことはない.

私が彼と出会ったのは, 大学の文学サークルだった.

彼は才能ある若手作家として期待されていたが, 執筆にムラがあり, 締め切りには常に遅れていた.

私が彼の作品を整え, 時には物語の核となるアイデアを与え, 彼の代わりに執筆することさえあった.

そうして, 彼の作品は次々とヒットし, 彼は「天才作家」として祭り上げられた.

私は, 彼の陰で, 黙々と彼の成功を支え続けた.

それが, 私の愛だと信じていたから.

彼の携帯電話が鳴った.

彼は画面を一瞥し, 顔をほころばせた.

「悪い, 結泉からだ. ちょっと出てくる」

彼は, そう言い残して部屋を出て行った.

彼の足音は, まるで私の存在を, 完全に無視しているかのように遠ざかっていった.

広い部屋に, 私一人.

静寂が, 私の心を包み込む.

私は, ゆっくりとソファに腰を下ろした.

膝の上で, 私の指が震えていた.

その震えは, 怒りでも悲しみでもなかった.

ただ, 空虚な震えだった.

私の人生は, この男のために, すべてを捧げてきた.

私の才能も, 時間も, そして, 子供を授かるための身体さえも.

彼が人気作家としてメディアに露出するたび, 彼の隣にはいつも, 私がいた.

彼のマネジメントも, スケジュール管理も, すべて私がこなしてきた.

彼の生活は, 私の献身によって成り立っていた.

しかし, 彼は, 私の存在を「当たり前」だと思っていた.

いや, それどころか, 私の才能を「彼のもの」だと信じ込んでいた.

私は, 彼のゴーストライターであるだけでなく, 彼のすべてだった.

彼の文章は, 私の言葉で彩られ, 彼の物語は, 私のアイデアで紡がれていた.

だが, 彼は, その真実を知ろうとしない.

知っていたとしても, 認めることはないだろう.

なぜなら, 彼の自己愛は, 彼の才能と成功が, すべて彼自身のものだと信じ込ませるからだ.

その彼が, 目の前で, 別の女との関係を, まるで当然のように私に突きつけた.

私の流産の直後, 結泉の偽りの妊娠を盾に, 私を追い詰めた.

「芸術家にはミューズ (結泉) と実務家 (真悠枝) の両方が必要」

彼の言葉が, 私の耳に, 再び, 冷たく響く.

彼は, 私を, 感情のない「実務家」としてしか見ていなかったのだ.

私という人間を, 完全に否定する言葉だった.

私が知ったのは, 数ヶ月前のことだ.

彼の携帯電話に届いた, 見慣れないメッセージ.

「今日もお疲れ様, 愛してるよ, 遼佑」

差出人は, 福本結泉.

彼女は, 彼の「担当編集者」だと名乗っていたが, 実際は, 何の役にも立たない, ただの若い女だった.

私は, そのメッセージを見た瞬間, 心臓が凍り付くのを感じた.

震える手で, 彼の携帯電話を手に取った.

そこには, 私には見せたことのない, 結泉との親密なやり取りが, いくつも残されていた.

私の知らない, 彼の一面.

私の知らない, 彼の言葉.

彼は, 私が見ているとも知らず, 平然と私を欺き続けていた.

あのメッセージの数日後, 私は彼を問い詰めた.

私の声は, 震えていた.

心臓が, 痛くて, 苦しくて, 呼吸ができなかった.

「これは, どういうこと? 」

私は, 彼の目の前に, 携帯電話を突きつけた.

彼の顔から, 血の気が引いた.

しかし, 彼はすぐに, その動揺を隠した.

そして, 私を蔑むような目で睨みつけた.

「見たのか. 人の携帯を勝手に覗き見るなんて, 最低だな, 真悠枝」

彼は, 逆ギレした.

私は, 怒りよりも, 悲しみで胸が張り裂けそうだった.

「最低なのは, あなたでしょう?  これは, どういう意味なの? 」

私の声が, 震えていた.

涙が, 溢れて止まらなかった.

しかし, 彼は, 私の涙を気にも留めなかった.

「ああ, そうさ. 俺は結泉と付き合っている. それがどうした? 」

彼は, 開き直った.

その言葉が, 私の心臓を, もう一度, 深く抉った.

私は, その場で, 崩れ落ちそうになった.

「いつから? 」

私の声は, かすれていた.

震える唇で, 私は, その言葉を絞り出した.

彼は, 冷たい目で私を見下ろした.

「いつから, だと?  そんなこと, お前に言う必要はないだろう」

彼はそう言った.

しかし, 私の目を見て, 彼は少しだけ躊躇した.

そして, 嘲るような笑みを浮かべた.

「そうだな... お前が俺のゴーストライティングを始めた頃から, かな. 俺の作品が売れ始めた頃からだ. お前は, 俺の成功を支えてくれる実務家だが, 結泉は俺のミューズなんだ. お前には, ミューズとしての魅力がない」

彼の言葉は, 私を完全に打ち砕いた.

私の献身を, 私の愛を, 私の存在そのものを, 彼は, 完全に否定したのだ.

私は, 彼のために, すべてを捧げてきた.

しかし, 彼は, 私を, ただの道具としてしか見ていなかった.

そして, その道具さえも, 古くなれば, 新しいものと入れ替えようとしている.

彼の言葉は, 私の心を, 完全に, 死なせた.

私は, もう, 何も感じなかった.

ただ, 静かに, 目の前の男を見ていた.

彼の顔には, 何の罪悪感も, 後悔もなかった.

彼の価値観では, これが「芸術家の特権」なのだとでも言いたげな傲慢さだった.

彼の言葉が, 耳の奥で繰り返される.

「お前には, ミューズとしての魅力がない」

私は, ゆっくりと目を閉じた.

私の心は, 完全に, 冷え切っていた.

もう, この男に, 何の感情も抱かない.

ただ, 一つの決意が, 私の心の中で, ゆっくりと, しかし確実に, 形作られていった.

それは, 彼への, 最大の復讐だった.

そして, 私自身の, 再生への道でもあった.

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