
仮面夫婦の残酷な真実
章 2
琴莉 POV:
私は, 彼らの計画を完遂させるふりをした.
演技は得意ではないが, この状況で生き残るには, 顔に感情を出してはならない.
冷たくて硬い仮面を被らなければ.
私は, 彼らが私に期待する「夫を愛し, 子供を望む妻」を演じ続ける.
「一朗, 昨日から少し体調が悪いの. 今日の家事は, 少し休ませてもらってもいいかしら? 」
私は声を震わせ, 弱々しく言った.
疲労にやつれた顔を作るために, 一晩中眠らなかった.
目の下には, くっきりと隈ができている.
一朗は, 心配そうに私の顔を覗き込んだ.
「ああ, もちろん. 琴莉は何も心配しなくていい. ゆっくり休んでくれ」
彼の声は優しさに満ちていた.
その優しさが, 私の胸を深く抉る.
彼は, 私が彼の言葉を信じ切っていると思っているだろう.
なんて愚かな男だろう.
彼が書斎に戻っていくのを確認し, 私は静かに心の中でカウントダウンを始めた.
あと, 数時間.
私の自由への道が, もうすぐ開く.
私は, この偽りの世界から, 必ず抜け出してみせる.
数日後, 一朗と一緒に産婦人科を訪れた.
エコー検査のモニターには, 小さな命の姿が映し出されている.
「順調ですね. 赤ちゃんも元気に育っていますよ」
医師は笑顔で言った.
一朗は, 私の手を握り, 感動したような表情を浮かべている.
「琴莉さん, 旦那様は本当に優しい方ですね. 毎回, こんなに熱心に付き添ってくださって」
医師は一朗を称賛した.
私の心の中で, 冷たい嘲笑が響く.
彼のこの演技は, プロの俳優でも及ばないだろう.
私は, ただ微笑んでみせた.
「琴莉, 赤ちゃん, こんなに大きくなったんだな. 早く会いたいものだ」
一朗は私のお腹にそっと手を当て, 優しい声で語りかけた.
その言葉を聞くたびに, 私の胃の奥から吐き気が込み上げてくる.
この子供は, 彼にとっては藍との愛の結晶であり, 私にとっては, 彼らの裏切りの証だ.
早く, この体から, 引き離したい.
病院の廊下を歩いていると, 聞き慣れた声が聞こえた.
「あら, 琴莉じゃない. 偶然ね」
松本藍だった.
彼女は, 数ヶ月前にはなかったはずの, ふっくらとしたお腹を抱えている.
その腹は, 私たちの産院の受付で, わざとらしく膨らんでいた.
藍の顔色は, 健康的で, 喜びにあふれているように見えた.
しかし, 彼女の視線は, 私のお腹ではなく, 私の顔に注がれていた.
その視線の中に, 見覚えのあるどす黒い嫉妬の炎が揺らめいている.
彼女は, 私を徹底的に利用し尽くした上で, 私の全てを奪い去ろうとしているのだ.
私は, 彼女の完璧な演技に, 心の中で冷たい笑みを浮かべた.
「琴莉, あなたも妊娠したの? まあ, 私と同時期なんて, 本当に奇遇ね」
彼女は, わざとらしい驚きの声を上げた.
私のお腹を, いかにも親しげに触ろうと手を伸ばしてきた.
私は, その手が触れる寸前で, さっと体をかわした.
私の体に, 彼女の汚れた手が触れることなど, 絶対に許さない.
「ええ, そうみたいね. でも, 藍は何だか, 随分と元気そうね」
私は, 冷たい声で言い放った.
藍の顔が, 一瞬にして凍りつく.
彼女の目は, 私を睨みつけた.
「何よ, その言い方. 私が妊娠して, 嬉しいんじゃないの? 」
「あら, そんなことないわ. ただ, 少し驚いたのよ. だって, 藍は確か, 体が弱いって, いつも言っていたものね」
私は, 微笑みながら突き放す.
藍は, 私の言葉に激しく動揺した.
彼女の顔は, 赤くなったり青くなったりしている.
彼女は, 私の態度に苛立ちを隠せないようだった.
「琴莉, どうしたんだ. 藍にそんな言い方をして」
一朗が, 藍を庇うように私の前に立った.
彼の腕が, 私の背中に回される.
私は, その腕を振り払うことはしなかった.
彼の温かい手が, 私の背中から, ゆっくりと離れていく.
私は, わざとらしく顔をしかめた.
「ごめんなさい, 一朗. 急に気分が悪くなってしまって... 」
私の言葉に, 一朗は慌てた.
「大丈夫か, 琴莉. 顔色が悪い」
彼は私を支えようと, 肩に手を置いた.
その瞬間, 一朗の視線が, 藍に向けられた.
彼の目の中に, 微かに後悔と, そして「大丈夫だ」と語りかけるような優しい光が宿っていた.
藍もまた, 彼の視線に応えるように, 小さく頷いた.
彼らの間に流れる, 密やかな共謀の気配.
私は, その全てを見逃さなかった.
「一朗, 私, 先に帰らせてもらえるかしら. もう, 我慢できないわ」
私は, 悲劇のヒロインを演じるように, か細い声で頼んだ.
一朗は, 一瞬ためらった.
彼の視線が, 藍と私の間をさまよう.
しかし, 私の顔色の悪さに, 彼は最終的に折れた.
「分かった. 無理はするな. タクシーで帰りなさい」
一朗は, そう言って私を送り出した.
私は, 彼らに背を向け, ゆっくりと歩き出す.
病院の出口に向かう途中, 私は振り返り, 彼らを盗み見た.
一朗は, 藍の傍らに寄り添い, 彼女の肩を抱きしめている.
藍は, 一朗の胸に顔を埋め, 泣きじゃくるように言葉を紡いでいた.
「琴莉が, 私を馬鹿にするのよ. 私の妊娠を, 信じてくれないの」
その声は, 私にははっきりと聞こえた.
彼女の演技は, 見事なものだった.
一朗は, 藍の頭を優しく撫で, 何かを囁いている.
「藍, 大丈夫だ. そんなことはない. 琴莉は今, 体調が優れないだけなんだ. 君のことは, 僕が守るから」
一朗の声は, 藍を慰めるように, 甘く響いていた.
彼は藍の頬に触れ, 彼女に何か小さな箱を渡している.
藍は箱を開け, 中に入っていたネックレスを首にかけた.
それは, 以前一朗が私に贈ってくれたものと, よく似ていた.
「一朗, ありがとう. これで, また少し, 元気が湧いてきたわ」
藍は, 涙を拭い, 満面の笑みを浮かべた.
彼女の指には, まばゆいダイヤモンドリングが輝いている.
それは, 私が一朗から贈られたものと同じデザインだった.
私の心臓が, 冷たい氷で締め付けられるような痛みを感じた.
私は, 彼らの会話から, 藍が最近, 投資で大きな利益を得たことを知った.
「一朗のおかげで, また一つ, 夢が叶ったわ. 本当に感謝しているわ」
藍は, そう言って一朗に抱きついた.
私は, 自分が彼らの計画の駒でしかないことを, 改めて思い知らされた.
私の存在は, 彼らの幸福を踏み台にするためのものだったのだ.
私は, タクシーを捕まえ, すぐに病院を後にした.
車内では, 震える手でスマートフォンを取り出し, 産婦人科に電話をかけた.
「あの, 堕胎手術の予約を取りたいのですが…」
私の声は, ひどく震えていた.
受付の女性は, 淡々と日付と時間を告げた.
電話を切った瞬間, 私のスマートフォンの画面が点灯した.
「琴莉, 無事家に着いたか? 」
一朗からのメッセージだった.
その時, 玄関のドアが開く音が聞こえた.
一朗が帰ってきたのだ.
私は, 慌ててスマートフォンを隠した.
「琴莉, 大丈夫か? まだ顔色が悪いようだが」
一朗は, 心配そうに私の顔を覗き込んだ.
私は, 精一杯の笑顔を作った.
「ええ, 少し休んだら, だいぶ良くなったわ. ありがとう, 一朗」
彼の視線が, 私の手に向けられた.
私は, 握りしめた手のひらに, 深く爪を立てた.
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