夫が選んだのはあの女 の小説カバー

夫が選んだのはあの女

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薄れゆく意識の中で千栄子が目にしたのは、愛する夫・竜介が自分を見捨て、秘書の小春を抱きかかえる姿だった。山奥の廃墟に監禁された二人。救助に現れた竜介は、十年連れ添った妻を「産業スパイ」と冷酷に罵り、お腹に宿った新しい命の訴えさえも嘲笑って背を向ける。絶望の淵で命を落とした千栄子は、霊魂となり現世を彷徨う。忠実な部下が真相を追い、母が涙に暮れる傍らで、竜介は小春との甘い生活に溺れていた。しかし、誘拐犯の再来によって小春の裏切りが露呈し、千栄子の死を証明する診断書が彼の前に突きつけられる。ようやく真実を悟り、亡骸の前で血の涙を流して懺悔する竜介。だが、その謝罪が届くことは二度とない。かつての愛は憎悪へと変わり、復讐の鬼と化した夫が自ら破滅の道へと突き進む。最愛の妻を死に追いやった代償を払うべく、後悔という地獄の業火に焼かれる彼の末路を、千栄子はただ冷ややかに見つめ続ける。愛と裏切りが交錯する、切なくも残酷な復讐の物語。

夫が選んだのはあの女 第1章

意識が朦朧とする中, 夫が私ではなく, あの女に手を差し伸べるのを見た.

山奥の廃墟で誘拐された私を助けに来てくれたと信じていた夫, 高田竜介. しかし彼は, 私を冷たく突き放し, 共に囚われていた彼の秘書, 桑名小春だけを救い出した. 「お前はもう用済みだ」と言い残して.

私は身ごもっていた. 彼との子供を. その事実を告げても, 彼は「お前のような女が」と嘲笑い, 私を産業スパイだと決めつけ, 見捨てた.

絶望の中, 私は冷たい床の上で息絶え, お腹の子も命を落とした.

私の魂は, 忠実な部下, 小石が真相を追い, 母が悲しみに暮れる姿をただ見つめていた. 一方で竜介は, 私の死の報せを無視し, 小春との甘い時間に溺れている.

なぜ, 十年連れ添った夫は, 私をここまで憎むのか. なぜ, 彼は小春の嘘に気づかないのか.

やがて, 誘拐犯の出現が小春の裏切りを暴き, 死亡診断書という鉄の証拠が竜介の目を覚まさせる. 私の亡骸の前で, 彼は初めて真実を知り, 血の涙を流して崩れ落ちた.

「千栄子…ごめん…」

その懺悔の言葉も, もう私の心には届かない. 復讐の鬼と化した彼が, 自ら破滅へと向かう「火葬場」を, 私はただ, 冷ややかに見届けるだけだ.

第1章

私は意識が朦朧とする中, 夫が私ではなく, あの女に手を差し伸べるのを見た. 山奥の廃墟. 冷たい床に倒れ込み, 身体が鉛のように重い. 手枷の金属が皮膚に食い込み, 擦れた傷が脈打つ. 薄暗い光の中で, 夫, 高田竜介の顔が見えた. 私の夫. 会社の社長. 彼は私を助けに来てくれた――そう, 私は信じていた.

「千栄子, これ以上は無理だ. 諦めろ. 」竜介の声は, いつも私に向けてくれる優しい響きとは全く違っていた. まるで, 遠い他人に話しかけるような, 冷たく乾いた声. 私は目を凝らした. 彼の瞳に映るのは, 私が知っている愛ではなかった.

「り…ゅ…すけ…? 」私は掠れた声で呼びかけた. 口の中が砂のように乾いている.

彼は一歩も動かない. ただ, 私を見下ろす. その視線は, 私がまるで邪魔な石ころであるかのように, 感情のないものだった.

「私が何を言っているのか, 分からないのか? 」彼の声は苛立ちを含んでいた.

分からない. 何もかもが分からない. 私は一体, 何のためにここにいるのだろう. そして, なぜ竜介は私にそんなことを言うのだろう. 心臓が冷たい水に漬けられたように縮こまる.

数時間前, 私は高田グループの副社長として, 夫の病状悪化により混乱する会社を立て直すため, 必死に働いていた. 私にとって, それは彼のためであり, 私たちが築き上げてきた全てを守るための戦いだった. まさか, こんな場所で, こんな形で, 彼の冷酷な顔を見る羽目になるとは.

あの時, オフィスを出た瞬間, 不穏な気配を感じた. 背後から強い衝撃. 意識はそこで途切れた. 次に目覚めた時には, この薄暗い部屋だった.

私は背中から落ちた衝撃で地面に顔を押し付けられる. 髪が乱れ, 顔に土が付いた. 息が詰まる. 喉から「うっ」という呻き声が漏れた.

「千栄子, 大人しくしろ. 」背後から聞こえる低い声. 私は両腕を強く掴まれ, 無理やり立たされた. 手首が悲鳴を上げた. 意識が浮上する. ああ, 私は誘拐されたのだ.

私が必死に呼吸を整えようとしていると, さらに奥の暗闇から, 別の呻き声が聞こえた. そこにいたのは, 桑名小春. 竜介の有能な秘書だ. 彼女も私と同じように縛られ, 口を塞がれていた. 顔は恐怖に歪んでいる.

竜介が, 救いの手を差し伸べるのなら, それは私に向けてだろうと思っていた. 私と竜介は, 深く愛し合っていたはずだから. 私だけが, 信じていた.

しかし, それはあまりにも幼稚な願いだったと, すぐに悟ることになる.

竜介は私の隣を通り過ぎた. 彼の視線は, 私を完全に無視して, 小春に向けられていた. 冷たい風が, 私の頬を撫でる.

「小春, 大丈夫か! 」竜介の声に, 焦りと深い愛情が滲む. 彼は小春に駆け寄ると, その顔を覗き込んだ. 小春は怯えたように目を伏せ, 首を横に振った. 彼の瞳の中に, 私が決して見たことのない, 切実な光が宿っていた.

「頼む…小春を解放してくれ! 彼女に何かあったら…」彼の言葉は震えていた. 私はその声を聞いて, まるで心臓を直接掴まれたように感じた.

その時, 背後から無造作に突き飛ばされた. 私はバランスを崩し, 再度床に膝をつく. 鋭い痛みが走った. 下腹部から, 何かが伝う感覚.

「痛い…お腹が…」私は掠れた声で訴えた. 全身から冷や汗が吹き出る. 体調が悪い. それだけではない. 私は…

「どうした, 千栄子? 」竜介は, 私の方を見もしないで尋ねた. その声には, 何の感情も込められていない. 彼は小春の拘束を解こうと, 必死になっている.

「お腹が…凄く痛いの. お願い, 助けて…」私の声は震えていた. 恐怖と, 身体の痛みで, 視界が歪む.

「黙れ. 大人しくしていれば, 命までは取らない. 小春を解放するなら, お前は無事に帰れるはずだ. 」竜介は, 私の方を見もせずに言った. その声は, 凍てつくほど冷たかった. 彼の口から出る言葉は, 私にとって刃物だった.

私はただ, その場で膝を抱え込み, 静かに涙を流すしかなかった.

突然, 男の一人が乱暴に小春を引っ張った. 小春はバランスを崩し, 頭を壁に打ち付けた. 「きゃっ! 」彼女の口から小さな悲鳴が漏れた.

竜介が, 小春の額から滲む血を見て, ハッと息を呑んだ. 彼の顔色は真っ青になった.

「小春! おい, 何てことをするんだ! 」彼は怒りに震える声で叫び, 男に掴みかかろうとした. その様子は, まるで理性を失った獣のようだった.

私は, 必死に感情を押し殺した. 私の身体も, 私の内側も, 激しい痛みに襲われている. 私は, 妊娠していた. まだ, 誰にも告げていなかったけれど. この子を, 私たちの子どもを, 彼に伝えるつもりだったのに.

私は, もはや体裁も何もかもかなぐり捨て, 竜介の方に這い寄った.

「竜介…お願い…私を助けて. 私たちの子が…」私は彼の足元に縋り付いた. 彼の瞳に, 一瞬の動揺が走ったように見えた.

だが, その動揺はすぐに消え去った.

「馬鹿なことを言うな! お前がそんなこと, ありえないだろう! 」彼は私の言葉を遮り, 冷たく言い放った. 「お前のような女が, 私の子供を宿すなど…小春と比べたら, お前は…」

彼の目は, まるで私を憎むように鋭かった. その視線は, 私を氷漬けにするかのようだった.

「千栄子, お前はもう用済みだ. お前が私を裏切り, 会社の秘密を売り渡したのだと, 彼らに証拠を突きつけられた. お前が産業スパイだという証拠が. だから, お前はこれ以上, 私のそばにいる資格はない. 」彼はゆっくりと私から離れていく. その言葉が, 私の全身を切り裂いた.

「違う…違うわ, 竜介! 私は…」私は必死に反論しようとした. しかし, 私の言葉は, 彼の耳には届かない.

「黙れ! 」彼は苛立ち, 私の顎を掴んだ. 骨が軋むほどの力で, 私の顔を無理やり持ち上げる.

「お前がそうやって, いつも私を困らせる. その嘘つきの口を開くな. 」彼の指は, 私の頬に強く食い込んだ.

私は, その暴行に耐えるしかなかった. 彼の瞳に映る私には, もはや彼の妻としての面影はなかった.

竜介は, 小春を抱きかかえ, 入口へと向かい始めた. 彼は小春を優しく抱きしめ, その耳元で何か囁いていた. 小春は, 彼の腕の中で, 安堵したように目を閉じた. 彼らの間には, 私が入る隙間など, どこにもなかった.

私は, 彼が小春を乗せた車が闇の中に消えていくのを, ただ呆然と見つめた. 私の身体は, 何者かに乱暴に引っ張られ, 別の車に押し込まれた.

「やめて…! 」私は叫んだ. 激しい衝撃が, 私のお腹を襲う.

「うるせぇ! お前みたいな女, 生きてる価値もねぇんだよ! 」男の汚い罵声が, 私の耳朶を打った.

私は, 最後に竜介が去っていく車のテールランプを見た. その光が, 徐々に小さくなっていく.

私の心は, その瞬間に完全に死んだ. 息をするのも苦しい. 何もかもが, 終わったのだ. 私は, ゆっくりと目を閉じた. 意識が, 深い闇へと沈んでいく.

十年という月日を, 私は彼に捧げてきた. 私の全てを. それなのに, 彼は私をこんなにも簡単に切り捨てた. 私の心は, 血を流しながら, この残酷な真実を受け入れた. 彼の愛は, 小春だけのためにあったのだ. 私には, 最初から何の価値もなかったのだ.

私は, 薄れゆく意識の中で, 彼が去って行った方向をもう一度見つめた. 私の唇には, 乾いた苦笑が浮かんでいた.

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