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裏切りの果て、私は医師となる の小説カバー

裏切りの果て、私は医師となる

婚約者の樹世は、元カノである雅美の「余命わずか」という卑劣な嘘を鵜呑みにし、私を無残に裏切った。彼は私の大切な祖母の形見である秘伝のレシピノートを雅美に譲り渡し、私との婚約を一方的に破棄して彼女と結婚することを誓ったのだ。樹世の蛮行はそれだけに留まらず、私が雅美を突き飛ばしたという無実の罪を着せ、さらには彼女が私の亡き父の墓を破壊する光景を黙認し続けた。「君を愛している、信じてくれ」と彼は身勝手な叫びを上げるが、裏切りの連続によって私の愛情は冷酷な灰へと変わり、その言葉が心に響くことは二度とない。すべてを捧げた男に踏みにじられた私は、かつて志した医学の道へと戻ることを決意する。本作は、愛する男にすべてを奪われた女性が、過酷な戦地の医師として再起を遂げ、自分を陥れた者たちに容赦のない報いを与えるまでの軌跡を描いた復讐と再生の物語である。凄惨な裏切りの果てに、彼女が掴み取る未来とは。
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堀井純奈 POV:

樹世は, 昨晩から家に帰ってきていない. 私は, 彼の帰りを待つことも, 彼に連絡を取ることもなかった. もう, 何もかもどうでもよかった. 空っぽになった心は, 何の感情も抱かなかった. 朝になって, 私の携帯が鳴った. 画面には「藤川先生」の文字. 私のパティシエとしての才能を見出してくれた, 世界的なパティシエだ.

「もしもし, 純奈ちゃん. 元気にしてる? 」

藤川先生の穏やかな声が, 私の耳に届いた. 私は無理に笑顔を作って, 「はい, おかげさまで」と答えた. 元気なわけがなかった.

「実はね, 君に話があるんだ. 海外のコンクールで, 緊急の参加枠ができたんだ. 君なら, 素晴らしい結果を残せると思う」

彼の言葉は, まるで遠い世界の出来事のように聞こえた. コンクール? 私が? 今の私に, そんな気力はどこにもなかった.

「でも, 先生…」

私は声を絞り出そうとしたが, 言葉にならなかった.

「これはね, ただのコンクールじゃない. 戦地で食料を必要としている子供たちのための, チャリティイベントを兼ねているんだ. 審査員には, 世界の食料支援団体も名を連ねている. 簡単な道のりではないだろう. 危険も伴うかもしれない」

藤川先生の声は真剣だった. 危険. その言葉が, 私の凍りついた心を, ほんの少しだけ揺さぶった.

「私…行きます」

気づけば, そんな言葉が口から出ていた. 驚いたのは, 私自身だった. 行きます. 本当に? なぜか, そうすることが, 今の私にできる唯一のことのように思えたのだ.

「純奈ちゃん…君, 何かあったのかい? 」

藤川先生の声に, 心配の色が滲んでいた. 私の返事があまりにも唐突で, 彼を驚かせたのだろう.

「はい. もう, 樹世とは終わりです」

私の声は, まるで他人事のように平静だった. 彼との関係を断ち切る. その決意が, 私の中に確かなものとして芽生えていた.

「…そうか. 分かった. 君の覚悟, 受け止めよう. すぐに手続きを進めよう. 何も心配いらないから, 君は準備だけしていなさい」

藤川先生は, 私の決断を深くは追求せず, 全面的に受け入れてくれた. 彼の温かい言葉に, 心の中に小さな光が灯った気がした. 私は, この光を手放してはいけない.

携帯を置くと, 樹世からメッセージが届いていた.

「純奈, 心配かけてごめん. 雅美のことでね…近いうちに必ず埋め合わせをするから. 愛してるよ. 」

雅美のこと. 愛してる. その言葉が, 私の心を激しく揺さぶった. 怒り, 嫌悪, そして深い悲しみ. しかし, それらはすぐに麻痺していく. 彼の言葉は, もう私には何の力も持たなかった.

私は, 海外への渡航に必要な書類を準備し始めた. パスポート, ビザ, 健康診断書. 一つ一つ書類を揃えるたびに, 私の心は少しずつ整理されていくようだった. 私は, 新しい人生を始めるのだ.

私の実家は, 地方の小さな洋菓子店だった. 祖母は, その店を一代で築き上げた, 腕利きのパティシエだった. 私は祖母の背中を見て育ち, いつしか彼女のようなパティシエになりたいと願うようになった.

幼い頃, 私は体が弱く, よく病気にかかっていた. その度に, 祖母が作ってくれる甘いお菓子が, 私にとって何よりの薬だった. その時, 私は思った. 私も, 困っている人の心を癒せるようなお菓子を作りたい. そして, その延長線上に, 人の命を救う, 医者という夢があった. 医師になることを目指して, 私は猛勉強した.

樹世と出会う前, 私は医学部に合格し, 海外の大学への留学の誘いも受けていた. しかし, 樹世の存在が, 私の選択を大きく変えた. 彼は私の夢を応援すると言いながら, 結局は私をそばに置いておきたかっただけだった. 彼のそばにいるために, 私はそのチャンスを手放した.

私は医学の道でも優秀な成績を収めていた. 教授からは, 何度も海外での研究を勧められた. しかし, そのたびに樹世は, 私の体を心配し, 日本に留まるよう懇願した. 私は彼のために, その誘いを断り続けてきた.

だけど, 今の私は違う. 彼のそばにいる必要など, もうどこにもない. いや, むしろ, 彼の元から離れることが, 私の新しい人生の始まりなのだ. 私は, もっと大きな世界で, 自分の力を試したい. 誰かの役に立ちたい. それこそが, 私の本当の夢だった.

私の携帯が再び震えた. またしてもメッセージ. 今度は, 雅美が樹世の腕に抱きつき, 動画の中で得意げに微笑んでいる.

「樹世が, あなたとの婚約を解消して, 私と婚約するって約束してくれたわ. あなたなんかがいたから, ずっと苦しんでいたのよ, 樹世は. これでやっと, 彼も自由になれるわね. ありがとう, 純奈. 」

動画の音声も聞こえてきた. 樹世が雅美に, 「これで君も安心しただろう. 僕もようやく肩の荷が下りた」と優しく語りかけている. 私の心臓は, もう何も感じなかった. ただ, 冷たい水が流れ込むように, 感覚が麻痺していく.

雅美はさらにメッセージを送ってきた.

「私たちの結婚式は, 梅原堂で挙げることになったわ. あなたの祖母のレシピノートも, 樹世が私にくれるって. 私には, あなたの秘伝の技が必要なのよ. ふふ. 」

私の体が, 冷たい電流に打たれたように硬直した. 祖母のレシピノート. それは, 私の命よりも大切なものだ. 樹世は, それを雅美に渡す約束をした? 彼は, 私の心を, 私の魂を, 雅美に売り渡そうとしているのだ.

私は, 震える唇で「樹世…」と呟いた. 私の脳裏に, 彼が私にプロポーズした時の言葉が蘇った. 「純奈, 君は僕のすべてだ. 僕と結婚してほしい」. あの時の彼は, 一体誰だったのだろう.

彼の言葉は, 空虚な嘘だった. 私への愛など, 最初からどこにもなかったのだ. 私は, 彼にとって, ただの道具に過ぎなかった. 彼の味覚と嗅覚を取り戻すための道具. 彼の跡取りとしての地位を守るための道具. そして, 雅美の病を癒やすための, 都合の良い道具.

私は, 携帯を強く握りしめた. 彼の虚偽, 彼の裏切り, そして私の愚かさ. すべてが, 私を深く深く絶望の淵に突き落とした.

私は, 病院に辞職願を提出した. 同僚や上司は引き止めたが, 私の決意は固かった. もう, この国に, 彼がいるこの場所に, 私を繋ぎ止めるものは何もない.

再び携帯が鳴った. また雅美からの動画だ. 今回は, 樹世が梅原堂の店主と雅美の父と共に, 和やかに談笑している様子が映し出されていた. 雅美は, 樹世の隣に座り, 幸せそうに微笑んでいる. そして, 樹世が雅美の手に, 私の祖母の秘伝のレシピノートを握らせる瞬間が, はっきりと映っていた.

動画の中の樹世は, 雅美の手を優しく握り, 「これで, 梅原堂と高畑製菓は, 共に新しい未来を築けるだろう」と, 誇らしげに語っていた. 雅美は, その言葉に満足げに頷き, 私に向かって, 嘲るような視線を投げかけていた.

その瞬間, 私の心は, 本当に死んだ. 魂が, 体から抜け落ちていくような感覚. もう, 痛みも, 悲しみも, 何も感じない. ただ, 冷たい虚無だけがそこにあった.

私は, アパートに帰ると, 樹世との思い出の品をすべて片付け始めた. 彼からもらったプレゼント, 彼と撮った写真, 彼との手紙. すべてを箱に詰め, ガムテープで封をした. もう, 彼の痕跡など, 何もいらない.

その時, 玄関の鍵が開く音がした. 樹世が帰ってきたのだ. 私の心臓は, 何の感情も抱かなかった. まるで, そこに存在しないかのように.

「純奈, ただいま. 遅くなってごめんね」

樹世の声が, 私の耳に届いた. 私は何も答えない. ただ, 黙って箱にガムテープを貼っていた.

「どうしたんだい? こんな時間に片付けなんて」

樹世の声に, 戸惑いの色が滲んでいた.

「もう, いらないものばかりだから」

私の声は, ひどく冷たかった. まるで, 氷の塊のようだ.

「いらないもの? 一体何を言っているんだい? 」

樹世は, 私が詰めた箱を覗き込もうとした.

「私たちの思い出よ. もう, 私には必要ない」

私は, 彼の目を真っ直ぐに見つめた. 彼の目に, 戸惑いと, ほんの少しの不安が浮かんでいるのが見えた.

「純奈…君, まさか…」

樹世は, 私の言葉の真意に気づき始めたようだった.

「私たちは, もう終わりよ. あなたと私の間には, もう何もない」

私の声は, 確固たる決意を込めていた.

「何を言ってるんだい, 純奈! 何か誤解しているんだ! 僕は君を愛している! 」

樹世は私の肩を掴んだ. 彼の指が私の肌に触れた瞬間, 私は吐き気を催した. 彼の嘘にまみれた言葉, 彼の裏切り. すべてが, 私を深く深く傷つけていた.

「やめて! 触らないで! 」

私は, 彼の手を払いのけた. 私の体は, 彼の触れることさえ拒絶していた.

「純奈…君, まさか…赤ちゃんができたのかい? 」

樹世は, 私の青白い顔と, 憔悴しきった様子を見て, 突然そう言い出した. 彼の目に, 一瞬の喜びが浮かんだように見えた.

「まさか. そんなはずないでしょう」

私は, 冷たく言い放った.

「そうか…よかった. でも, もしできていたら, 君には堕ろしてほしかった. 今はまだ, 僕たちの状況は複雑すぎるからね」

樹世の言葉に, 私の心は再び凍りついた. 彼は, 私の子どもさえも, 自分の都合で決めようとする. 雅美には優しいのに, 私にはこんなにも残酷な言葉を吐く.

「冗談よ. そんなこと, 絶対にしないわ」

私は, 精一杯の平静を装って言った. 彼に, 私の本当の気持ちなど, 決して悟らせてはいけなかった.

「ああ, そうだね. 君らしいよ, 純奈」

樹世は, 安心したように笑った. 彼は, 私の言葉の裏に隠された真意に, 全く気づいていなかった.

「お腹空いただろう? 何か作ってあげるよ」

彼は, 私の言葉に安堵し, キッチンに向かった. その背中に, 私は虚しい笑みを浮かべた. 彼は, 本当に何も分かっていない.

私は, 彼の虚偽の優しさに, もう何の感情も抱かなかった. 彼の作る料理を食べる気にもなれなかった. 彼の優しさは, 刃物のように私の心を切り裂く.

「樹世, 今日は疲れているから, 一人で食べたいの」

私は, 冷たく言い放った. 樹世の顔に, 少しだけ失望の色が浮かんだが, 彼はすぐにそれを隠した.

「そうか. 分かったよ. おやすみ, 純奈」

彼はそう言って, 部屋を出て行った. 彼の足音が遠ざかるのを聞きながら, 私は確信する. 彼は, 雅美の元へ向かったのだ.

私の携帯に, 再びメッセージが届いた. 雅美が, 樹世と梅原堂で食事をしている写真. そして, その写真には, こんなメッセージが添えられていた. 「樹世が, 私のためにお料理を作ってくれたの. あなたは, もういらないのよ. 」

私の心は, 本当に空っぽだった. もはや, 悲しみも, 怒りも感じない. ただ, 遠い場所で, 冷たい風が吹き荒れているような感覚. 私は, もう, 彼を愛していない.

「さようなら, 梅原樹世. 」

私は, 誰にも聞こえない声で呟いた. もう, 私の心は, 完全に決まっていた.

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