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最凶の狂犬令嬢と、猫かぶりな摂政王様 の小説カバー

最凶の狂犬令嬢と、猫かぶりな摂政王様

京都の街で「不吉」の象徴と蔑まれる侯爵令嬢。実母の死を招き、継母を病ませ、最後には賊に捕らわれるという悲惨な運命を辿る彼女だったが、その絶望の淵で劇的な変化が訪れる。彼女の肉体に宿ったのは、現代で最強の名を欲しいままにした「特級工作員」の魂だった。もはや以前のような、他者に蹂躙されるだけの儚い少女ではない。冷酷な実父や呪詛を吐く継母、そして裏切りに耽る婚約者と義妹。家族という名の敵たちが渦巻く中、彼女は工作員としての卓越した戦闘技術と冷徹な知略を武器に、クズ揃いの一族を完膚なきまでに叩き潰していく。しかし、そんな苛烈な彼女の前に、冷徹さで知られる摂政王が立ちはだかる。なぜか彼は執拗に彼女を見つめ続け、ついには「救われた恩を返すため、この身を捧げる」と忠誠を誓い始めた。復讐に燃える最強令嬢と、裏の顔を持つ摂政王。運命が交錯する中、彼女の新たな戦いが幕を開ける。圧倒的な力で理不尽を粉砕する、痛快な逆転ファンタジーが今始まる。
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2

山賊の瞳孔が、はっとするほど急に縮んだ。

男が次の言葉を発する間もなく、蘇清叙(そ せいじょ)が冷えた声で告げる。「ひとつ」

「見逃してくんなせえ……そうすりゃ、なんでも吐く」

脂汗が頬を伝い落ちる。それでも、彼の胸には、まだ甘い望みを持っていた。

(黒幕を知りたがっている以上、そう易々と殺すはずがない――)

清叙は、その愚かな希望を嘲笑うかのように、唇の端を吊り上げた。「ふたつ」

――ドン。

声が響くと同時に、振り下ろされた刃が銀閃となり、一筋走る。

その一刀は、山賊の喉笛を容赦なく断ち切った。

彼は信じられぬものを見るように目を見開き、血を滲ませた唇で掠れた声を漏らした。「みっ……つ……数える、と申した……」

「語る気なき者ならば、時の無駄にあらずや?」

清叙は、流れるような所作で刀を納めた。その手慣れた動きには、一切の無駄がない。

ごくり。

小五が息を呑み込む。

「そやつを殺せば、誰がそなたを陥れんとしたか、知る術を失わざらむや?」

突然、背後から、低く重みのある声が響いた。

清叙は警戒しながら振り返る。そこにいたのは――まるで名工が彫り上げたかのような、峻厳な顔立ちの男だった。

美しく整った顔立ち。纏う気配も常人ならざるものがある。だが、両脚に不自由があるのか、車椅子に身を預けていた。

彼女は元の主の記憶を手繰り寄せた。瞬時に情報が脳裏に流れ込む。

摂政王、裴玄褚(はい・げんちょ)。現皇帝の弟だ。かつては「晋王」の爵位を授かった、一皇族に過ぎなかった。だが、数々の戦功により先帝から摂政王の座を命じられ、現皇帝を補佐する男。 しかし、臣下と民の目には、朝廷を牛耳り、大軍を掌握する「独裁者」――悪名高き男として映っていた。

その後、奇毒に侵され、両脚の自由を失ってしまう。それ以来、朝廷の政にはほとんど関わらなくなったという。

まさか、このような場所で彼に遭遇するとは。

軍人という存在には、彼女は敬意を抱いている。元の主の記憶が告げる裴玄褚は、辺境で本朝の国土を守り、失地を奪還し、赫々たる戦功を挙げた英雄だった。

一瞬の驚きはすぐに去り、清叙はいつもの冷静さを取り戻す。

「わたくしを陥れむとする者など、おのずと限られておりましょう。誰であるか判然とせぬならば、一人ずつ順々に、清算すればよいだけのこと」

その口調はあくまで淡々としていたが、隠しきれない殺意が滲んでいた。

小五はぞくりと身を震わせた。(人は見かけによらぬとは、このことか。か弱い令嬢かを装いながら、その内に棲むのは修羅……)

その時、遠くから馬蹄の音が響いてきた。

清叙はわずかに眉をひそめた。(――もう来たのか。思ったより早い)

だが、死体はまだ片づけられていない。しかも先ほどの一部始終は、目の前の男に全て見届けられていた。

(この京城で、元の主は身を浮き草のように頼りなくさせられていた。もし、この「摂政王」という巨大な後ろ盾を得られれば――どれほど多くの事が、やすやすと片付けられるだろう)

清叙の胸に、ひとつの策が浮かぶ。彼女は覚悟を決め、玄褚を見据えた。「晋王殿下。わたくしと手を組むご興味はござりませぬか?」

玄褚は、すらりとした指先で車椅子の肘掛けを軽く叩いた。「根拠は何ぞ?」

清叙は玄褚の両脚に視線を落とす。唇にかすかな笑みを浮かべ、言い切った。「その、おみ足を治せるゆえにございます」

その言葉を耳にした瞬間、向かいに立つ小五の顔色が瞬時に変わった。

警戒に満ちた眼差しを清叙に向ける。その瞳には怒りの色さえ浮かんでいる。

玄褚の瞳の色も沈み、興は失せたようだった。

(面白い女かと思ったが、これもまた手の込んだ芝居の一環か)

(背後で糸を引くのは、あの「善き兄君」たる帝か――それとも「可愛い甥」どもか……)

だが清叙は、口から出まかせを言ったわけではない。彼女が世界屈指のスパイであったことは周知だが、かつて鬼医に師事し医術を学んだことを知る者は少ない。玄褚の両脚を見た瞬間から、彼女にはすでにその原因を見抜いていた。

清叙は黙したままの玄褚を見つめる。

(信用されてないわね)

彼女は静かに、しかし言い切る口調で告げた。「わたくしの見立てが正しければ、王爺のおみ足を蝕むは寒毒なり。夜ごと、万の蟲に喰い荒らされるが如き激痛に、苛まれてはおりませぬか?」

「無礼者!」

小五が鋭く声を上げた。

疑いの目を向ける玄褚に、清叙はひと息置き、半歩踏み出した。そして、彼の手首にそっと指を添える。

これほどの炎天下だというのに、玄褚の手は骨の芯まで凍みるように冷たい。

さらに清叙が手を伸ばすと、玄褚は反射的に振り払おうと、手を上げた。

だが――その動きは途中でぴたりと止まった。彼は、ふと何か思い当たったように目を細め、清叙を一瞥すると、あえて自ら手を差し出した。

小五は即座に刀を抜き放ち、目の前の女を鋭く警戒する。

彼女が少しでも妙な動きを見せれば、その刃は容赦なく振り下ろされるだろう。

清叙は玄褚の脈に神経を澄ませ、脈の運びを丁寧に追った。

「王爺を蝕むは、粋寒の毒なり。初めは僅かな倦怠感のみ、大方の者は異変に気づきませぬ。されど、やがて下半身より徐々に体の自由を奪いゆく。ついには――毒、全身に回りて果つ。その死に様は、見るに堪えぬほど凄惨なものとなりますわ」

清叙は玄褚の深い瞳を見据えた。「王爺、わたくしの申し上げたことに、相違ございませぬか?」

玄褚の視線が、ほんのわずかに揺れた。だが表情は崩さない。

(……いささかの狂いもない)

遠くの馬蹄のざわめきが次第に近づき、林を貫いて彼女の名を呼ぶ声まで届いた。

継母が案じるふりをして差し向けた追手だろう。真の狙いは、賊に辱められた清叙の姿を「目撃者」に見せつけ――証人をつくること。

玄褚は、清叙の曇りなき瞳をじっと見据え、そして命じる。「小五、綺麗に片付けよ」

「はっ、王爺」

小五は何か言葉を重ねようとしたが、主君の眼差しに押し黙り、踵を返して命じられた役目へと向かった。

呼ばれた数人の衛兵が、手際よく山賊たちの骸を引きずり去り、地に残る血痕を土で覆い隠していく。

瞬く間の出来事であった。清叙の横転した馬車を除けば、あたり一帯には、何事もなかったかのような静寂が戻っていた。

清叙は唇の端に笑みを浮かべた。(……ふふ、やはり話の分かる相手は嫌いじゃないわ)

裴玄褚へ向き直り、彼女はしとやかに膝を折り、流れるような動作で一礼した。「わたくしの馬車が本日、不慮にも横転いたしました。御者は崖へ落ち、命を落としたようにございます。王爺がお助けくださらなければ、わたくしも無事では済まなかったでございましょう。ただ、馬車がこの有様では……屋敷へ戻ることも叶いませぬ」

玄褚はわずかに目を細め、淡々と応じた。「……よかろう。そなたが厭わぬのであれば、余が送り届けてやろう」

清叙が待っていたのは、その言葉だった。

二人は共に玄褚の馬車に乗り込んだ。

継母が差し向けた手の者たちは、どうやら空振りに終わる。

馬車は広々として豪奢な作りで、二人が乗ってもなお余裕があった。

玄褚は単刀直入に切り出した。「余を治せると、違えなく申すか?」

「もちろんでございます。一度誓いしこと、必ずや成し遂げてみせまする」

清叙は静かに頷いた。

服は乱れているが、その表情に動揺の色はなく、彼女の言葉は、不思議と人を信じさせた。

玄褚は目を細め、興味深げに言った。「蘇令嬢。そなたは深窓の令嬢と聞くが、その医術はどこで身につけた? 余を謀る者の末路がどうなるか、知らぬわけではあるまい」

「もちろんでございます」

清叙は淡々と告げた。「師より門を明かすことを固く禁じられておりますゆえ、医術の出所についてはお答えいたしかねます。 ですが、王爺がわたくしをお救いくださった――それこそが、おみ足を治せるのは、このわたくししかおらぬという、何よりの証にございましょう」

「して、治療の手立ては?」

清叙は落ち着いて答えた。「用いる薬材は、いずれも尋常ならざるものばかり。後ほど処方を記し申すが、お集めになるにも時を要することでございましょう。かつ、長年毒に侵されたる御身は、一朝一夕に癒ゆるものにはあらず。王爺には月一度、拙宅にて鍼を施さねばならぬと存じます」

玄褚は一瞬、唇端に笑みを浮かべた。「……ほう。賢しや」

ひと月に一度となれば、その間、彼は清叙の命を守らねば治療も続かない。見事なまでに計算された提案だった。

清叙は否定もせず、紅い唇をかすかに吊り上げ、小悪魔のように微笑んだ。

ほどなくして小五が筆と紙を運ぶと、清叙は迷いなく処方を書き上げた。

馬車に揺られることしばし、やがて侯爵府の門前で静かに止まった。

どうやら捜索に出た者たちより、先に屋敷へ着いたらしい。

「本日はお見送り賜り、誠にかたじけなく存じます。王爺のおみ足は、この蘇清叙が治してみせまする」

そう言い終えると、清叙は玄褚に一礼し、軽やかに馬車から降り立った。そして、振り返ることなく、毅然とした足取りで侯爵府の中へと消えていった。

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