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夫が選んだのはあの女 の小説カバー

夫が選んだのはあの女

薄れゆく意識の中で千栄子が目にしたのは、愛する夫・竜介が自分を見捨て、秘書の小春を抱きかかえる姿だった。山奥の廃墟に監禁された二人。救助に現れた竜介は、十年連れ添った妻を「産業スパイ」と冷酷に罵り、お腹に宿った新しい命の訴えさえも嘲笑って背を向ける。絶望の淵で命を落とした千栄子は、霊魂となり現世を彷徨う。忠実な部下が真相を追い、母が涙に暮れる傍らで、竜介は小春との甘い生活に溺れていた。しかし、誘拐犯の再来によって小春の裏切りが露呈し、千栄子の死を証明する診断書が彼の前に突きつけられる。ようやく真実を悟り、亡骸の前で血の涙を流して懺悔する竜介。だが、その謝罪が届くことは二度とない。かつての愛は憎悪へと変わり、復讐の鬼と化した夫が自ら破滅の道へと突き進む。最愛の妻を死に追いやった代償を払うべく、後悔という地獄の業火に焼かれる彼の末路を、千栄子はただ冷ややかに見つめ続ける。愛と裏切りが交錯する、切なくも残酷な復讐の物語。
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2

助けは来なかった. 私は暗く冷たい洞窟の奥で, ただ一人, 死を待っていた. 竜介が小春を連れて去ってから, どれくらいの時間が経ったのか分からない. 彼の声も, 彼の車の音も, もう聞こえない. ただ, 冷たい風が吹き荒れる音だけが響いている.

私は, もはや竜介の心の中に, 私という存在はなかったのだと, 深く理解した. 彼は, 私を助けに来るはずがない. 私はただ, 彼の邪魔な存在だった.

薄れゆく意識の中で, 私は自分の死を悟った. 身体はもう限界だった. 胎動も, もう感じられない.

その頃, 山の中を駆け回る一人の男がいた. 小石慎也. 高田グループの真面目な社員. 彼は, 私の状況を訝しんでいた. 私の失踪. そして, 竜介の不自然な態度. 彼は, 何か悪い予感がして, 私を捜しに来たのだ.

しかし, 私が死を迎えるのは, 彼が私を見つけるよりも早かった. 私は, 冷たい岩肌に背中を預け, 静かに息を引き取った.

私の魂は, 身体から抜け出ると, まるで透明な羽衣のように軽くなった. 私は, まるで夢を見ているかのように, 小石の動きを傍観した. 彼が必死に私の名前を叫んでいるのが聞こえる.

小石は, 焦りながら竜介に電話をかけた.

「社長! 松原副社長のGPSが途絶えました! まさか, 本当にあの場所に…」小石の声は, 明らかに動揺していた.

「何を騒いでいるんだ, 小石. 千栄子は, 少し休暇を取っただけだ. お前は彼女の言葉を信じすぎている. どうせ, また芝居だろう. 」竜介の声は, 電話越しでも冷たかった. 彼の声には, 私への不信と, わずかな苛立ちが混じっていた.

「芝居…? 社長, 何を言っているんですか! 松原副社長がどれだけ必死に会社のために働いてきたか, ご存知ないんですか! 」小石は怒りを露わにした. 「彼女は, 本当に危険な目に遭っているんです! 」

「くだらない! お前は千栄子に騙されているだけだ. 彼女は, 元々信用できない人間だ. お前も, あまり彼女と関わらない方がいい. お前まで, 会社に泥を塗る羽目になるぞ. 」竜介は, 小石の言葉を一蹴した.

「社長…一緒に捜しに行きましょう. もし, もしものことがあったら…」小石は懇願するように言った. 彼の声は, 悲痛な響きを帯びていた.

「もういい! お前は, 彼女のことで私を煩わせるな! どうせ, また私の気を引こうとしているだけだろう. そんな女のことなど, どうでもいい! 」竜介の声は, 怒りに震えていた. 彼は, 電話の向こうで, 私の存在を心底嫌悪しているようだった.

「社長…! 」小石は, まだ何か言おうとしたが, 竜介は一方的に電話を切った.

私の魂は, その言葉を聞いて, 身体が震えるような衝撃を受けた. まるで心臓が, もう一度引き裂かれるような痛みだった. 私と竜介が共に過ごした十年という月日. その全てが, 無意味だったのだ. 私の命の終わりは, 彼にとって何の価値も持たなかった.

私の魂は, なぜか小石の後を追った. 彼は, まだ私を捜し続けている.

竜介は, 小春の病室に戻っていた. 彼は, 小春のベッドサイドに座り, その手を優しく握っている.

「大丈夫か, 小春. もう, 怖い思いはさせないからな. 」竜介の声は, ひどく甘く, 優しい. 私が一度も聞いたことのない声だった.

小春は, 怯えたように竜介の腕にしがみついた. 「竜介さん…千栄子さんのこと, 大丈夫でしょうか…私, 彼女が心配で…」小春は, 涙ぐみながら, 私への「気遣い」の言葉を口にした.

「心配するな. 千栄子なら, どうせまた何か企んでいるだけだろう. お前は, 何も気にしなくていい. 」竜介は, 小春の髪を優しく撫でた. 「お前は, ただ私と一緒にいればいい. お前に何かあったら…私は生きていけないから. 」

彼の深い愛情のこもった言葉は, 私の魂を深く抉り取った. 私が生きていた時に, 彼が私に言ってくれた言葉は, 全て嘘だったのか.

私の魂は, 痛みと絶望で震えた.

小石は, 諦めずに山中を捜索し続けていた. 彼の足は, もうボロボロだった. それでも, 彼は立ち止まらない.

ようやく, 彼は私を監禁していた洞窟を見つけた. 彼は, 恐る恐る洞窟の中に入っていく. 湿った土の匂い. 暗闇.

そして, 彼は私を見つけた. 冷たい岩肌にもたれかかるように, 横たわる私の遺体. 私の顔は, 恐怖と苦痛に歪んだままだった. 薄く開いた唇からは, 血が滲んでいる. まるで, 魂が抜け落ちたかのように, 虚ろな目.

私の魂は, 自分の遺体を, まるで他人のものを見るかのように眺めていた.

小石は, 私の遺体を見て, 激しく動揺した. 彼は, その場で膝をつき, 嗚咽を漏らした. 「松原副社長…うそだ…」彼の声は, 悲痛な叫びとなった.

私の魂は, 最早何も感じなかった. 痛みも, 悲しみも, 絶望も. ただ, 空っぽだった.

死後の世界で, 竜介の甘い声と, 小石の悲痛な泣き声が, 交互に私の耳に響く. そして, 竜介のあの, 失望に満ちた目が, 私の魂に焼き付いていた.

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