余命わずかな私は、冷徹な元彼に最後の嘘をつく の小説カバー

余命わずかな私は、冷徹な元彼に最後の嘘をつく

9.7 / 10.0
「余命8年」という宣告を受けた日、かつて愛した高山翔一は別の女性との婚約を発表した。手術費を工面するため、私は屈辱を承知で彼を訪ねる。しかし、視力を回復させた彼が向けたのは、金目当ての裏切り者と蔑む冷徹な視線だった。2年前、失明した彼を見捨てたと誤解されているが、真実は違う。不治の病で記憶を失いつつあった私は、彼に絶望を与えぬよう姿を消したのだ。彼の隣には狡猾な婚約者サエコがおり、彼女の罠によって私は翔一から土下座を強要され、その衝撃で彼との子を失ってしまう。それでも、母を同じ病で亡くした彼にこれ以上の悲劇を知らせたくなくて、私は「悪女」のまま死ぬ覚悟を決めた。彼に拒絶され、全ての記憶が消える前に海外の療養所へ向かう私。だが空港へ向かう日、サエコが捨てた私の診断書を翔一が拾ってしまう。隠し通してきた残酷な真実を知り、激しく震える彼。彼が必死の思いで病院に駆けつけたとき、私の意識からは、最愛の人であったはずの彼の記憶さえも既に消え去っていた。

余命わずかな私は、冷徹な元彼に最後の嘘をつく 第1章

「余命はあと8年です」

医師にそう告げられた日、かつて私の全てだった男――高山翔一は、別の女性との婚約を発表した。

生きるための手術費を稼ぐため、私は恥を忍んで彼のもとを訪れた。

しかし、視力を取り戻した彼が私に向けたのは、氷のような冷徹な眼差しだった。

「金のために戻ってきたのか? 2年前に俺が失明した時、お前は逃げ出したくせに」

違う。あの時、私もまた脳が萎縮し記憶を失っていく不治の病を宣告されていたのだ。

彼のお荷物になりたくなくて、私は姿を消した。

だが、今の彼の隣には美しい婚約者・サエコがいた。

彼女は私をあざ笑い、わざと転んで私を悪者に仕立て上げた。

翔一は私にファイルを投げつけ、土下座を強要した。

そのストレスと衝撃で、私は彼との間にできていた小さな命さえも流産してしまった。

それでも私は真実を言わなかった。

かつて彼の母も同じ病で亡くなっていたから。愛する人が壊れていく恐怖を、二度も彼に味わわせたくなかった。

私は彼の中で「最低な裏切り者」として死ぬことを選んだのだ。

「俺の前から消えろ」

そう言われた通り、私は海外の療養所へ行くことを決めた。

すべての記憶が消え、私が「私」でなくなる前に。

しかし、私が空港へ向かったその日、サエコが勝ち誇った顔でばら撒いた私の診断書を、翔一が拾い上げてしまった。

「進行性健忘症……?」

震える手で真実を知った彼が病院に駆けつけた時、私はもう、目の前の男が誰なのかさえ思い出せなくなっていた。

第1章

「余命8年」

医師から告げられたのは、それだけの言葉だった。

私の脳はゆっくりと萎縮し、記憶は砂のように指の間からこぼれ落ちていき、やがて自分が誰なのかさえわからなくなるという。

私が空っぽの抜け殻になるカウントダウンが始まったまさにその日、かつて私の世界の全てだった男――高山翔一(たかやま しょういち)は、別の女性との婚約を世間に発表した。

震える手で病院の領収書を握りしめ、私は高山グループの高層ビルを見上げた。

あまりに残酷な皮肉だ。

生きるために必要な高額な医療費を稼ぐため、私は自分を最も憎んでいる男の会社で働かざるを得なかったのだ。

自動ドアが開くと、冷房の冷たい風が肌を刺した。

ロビーの巨大スクリーンには、翔一と冴子(さえこ)の写真が映し出されている。二人は幸せそうで、完璧に見えた。

視線を足元に落とし、受付に向かって歩き出した。

その時だった。

カツ、カツ、カツ。

大理石の床を叩くヒールの鋭い音が、私の鼓動のリズムを乱した。

ロビーの空気が一瞬にして変わるのを感じた。社員たちの視線が一点に集中する。

「あら、美咲(みさき)じゃない」

甘い毒のような声が鼓膜に絡みつく。

顔を上げると、そこに冴子が立っていた。スクリーンの写真と同じ、完璧な微笑みを浮かべて。

彼女は輝いていた。

高級ブランドのスーツに身を包み、自信に満ち溢れている。それに比べて、私はどうだ。色あせたシャツに、履き古した靴。病魔に蝕まれ始めた体は、あまりに惨めだった。

「久しぶりね」彼女は少し首を傾げて言った。「まだ生きてたの?」

彼女は私を、まるで靴底についた汚物を見るかのように見下ろした。

周囲から、社員たちの嘲笑が聞こえてくる。

「奥様の言う通りだわ」

「裏切り者のくせに、よく顔を出せるわね」

「翔一さんが失明した時に逃げ出した女でしょう?」

彼らの言葉の一つ一つが鋭利なナイフとなって、私の背中を突き刺す。

唇を噛み締め、拳を握りしめた。

違う。

私は逃げたりしていない。でも、今さら真実を話したところで、誰が信じてくれるだろうか。

「仕事の……書類を届けに来ました」

私の声は情けなく震えていた。

冴子は鼻で笑った。

「仕事?まだ翔一に寄生するつもりなの?あなたは彼の暗黒時代の汚点に過ぎないのに」

彼女は一歩近づいてきた。

その手首には、エメラルドグリーンの翡翠(ひすい)の腕輪が鈍く光っていた。

息が止まった。

それは、翔一の母が私に託してくれた形見の品だった。

「これ、お義母様が私を実の娘だと思ってくださっている証拠よ」私の視線に気づいた冴子は、わざとらしく腕輪を撫でた。

胸が焼けるように痛んだ。

それは私のものだ。翔一と私を繋ぐ最後の絆だったはずなのに。

「ほら。これを手切れ金だと思って受け取って、さっさと消えなさい」

冴子は鞄から封筒を取り出し、私の足元に投げ捨てた。

白い封筒が汚れた床に落ちる。

「あなたの顔を見るだけで翔一は吐き気がするのよ。2年前みたいに、黙って消えてくれないかしら?」

周囲の人々の視線が私を貫く。

拾え。

プライドを捨てて拾えと、彼らの目が言っているようだった。

私は動けなかった。ただ、床に落ちた封筒を見つめることしかできない。

「どうしたの?お金が欲しいんでしょ?」冴子の嘲笑がロビーに響き渡る。

その時、一人の女性社員が私を助けようと一歩踏み出した。

だが、冴子が冷たい視線を投げかけた瞬間、その女性は怯えて後ずさりした。

誰も私を救えない。

私は一人だ。

いつだって一人だった。

ゆっくりと膝を折り、震える手を伸ばして封筒を拾い上げた。

確かにお金は必要だった。

生きるためではない。

静かに消え去るために。

「……ありがとうございます」

絞り出した声は、自分のものではないようだった。

冴子は満足げに微笑み、踵を返した。

「行きましょ。翔一が待ってるわ」

去っていく彼女を見ながら、私は悟った。

私の尊厳は傷ついたのではない。とっくの昔に死んでいたのだと。

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