
偽令嬢?いいえ、私が世界のルールですが何か。
章 2
30分ほど前、江川朱里が水を飲もうと階下へ降りた時、突然背後から江川咲月の助けを求める声が響いた。
その声で、江川家の全員が駆け寄ってきた。
何の証拠もないまま、彼らは口を揃えて朱里が咲月を突き落としたのだと決めつけ、散々に罵った。
出ていくにしても、身の潔白だけはきちんと証明してからだ。
父は面目を潰されたのが癪に障り、不快そうに眉をひそめた。
母はすぐさま目を吊り上げ、責め立てるように言った。「もういい加減にしなさい!こんな時まで咲月に罪をなすりつけるつもり? まさか、あの子がわざと自分で階段から落ちてあなたを陥れたとでも言うの?」
「私はお姉さんみたいに、いい教育を受けて育ったわけじゃありません。でも、私にもプライドがありますし、越えられない一線だってあります。これ以上、私を侮辱しないでください!」
江川咲月は顔を覆って母の胸にすがりつき、泣きじゃくった。だが、伏せた目の奥にはあからさまな挑発が浮かんでいる。
(どうせ、誰もこの女の言うことなんて信じないんだから!)
だが、なぜか朱里の顔には慌てた様子も怒りもなく、ただその涼しい瞳には嘲りが浮かんでいるだけだった。
まるで、すべてが彼女の想定内であるかのように。
咲月の胸に不安がよぎった。その時だった。不意に耳元に、かすかな物音が聞こえてきた。
トントントン……。
誰かが小走りで階段を下りてくる音。
続いて響いたのは、彼女自身の泣き叫ぶ声だった。「お父さん、お母さん、助けて……!足が……!」
咲月ははっとして顔を上げた。
気がつけばリビングのプロジェクターが起動していて、壁一面の大きなスクリーンには廊下の監視カメラ映像が映し出されていた。そこには、彼女自身が階段を下り、わざと倒れ込み、苦しげな顔で助けを呼ぶ姿がはっきりと記録されていた。
咲月の顔からさっと血の気が引いた。
(どうして、家の中に監視カメラがあるなんて、誰も教えてくれなかったの!)
江川夫妻は、完全に言葉を失っていた。
階段から落ちたというあの騒ぎが、まさか自分たちの可愛い娘の自作自演だったなんて。
咲月が助けを呼んだ瞬間から、朱里はこの後の流れを読んでいた。
だからこそ、あらかじめ準備していたのだ。
咲月が決定的な証拠を突きつけられるまで非を認めない人間だと知っていたからこそ、完膚なきまでに叩きのめすつもりだった。
父と母の驚愕の表情を見て、咲月は込み上げる焦りと怒りを必死に押し殺し、震える声で一転して素直に謝り始めた。
「ごめんなさい……お父さん、お母さん。ただ、長年一緒に暮らしてきたお姉さんの方が大事なんじゃないかって怖くなって……だから、こんな方法で気持ちを確かめようとしてしまったの」
実の娘が長年送ってきた苦しい日々を思い出し、父の表情が和らぎ、その目には憐れみの色が浮かんだ。
「まったく、お前という子は……どうしてそんな悪戯を…… まあ、朱里が寛大な子で助かったな」
「私は寛大じゃありません」
朱里は冷たく言い返した。
(ほんと、期待を裏切らない人たちだ。この状況でもまだそんな白々しいことが言えるなんて!)
咲月の目の奥に恨みがよぎったが、母の腕から身を起こした時には、また意地っ張りで可哀想な娘の顔に戻っていた。
「悪いのは私です。今すぐ荷物をまとめて江川家を出ていきます。これから先、お父さんもお母さんも、私のことなんて放っておけばいいんです。お姉さんが許してくれるなら、それでいいんです」
その言葉に、母の怒りはたちまち掻き立てられた。彼女は目を吊り上げたまま朱里を睨みつけた。「あなたは、ここまで追い詰めないと気が済まないの? そもそも、あなたが咲月の立場を奪わなければ、あの子がこんな風に思い悩むことなんてなかったでしょう!」
(またその決まり文句。少しはひねりなさいよ)
朱里は鼻で笑った。「私は出ていくと言った以上、残るつもりはありません。ですから、これ以上ここで芝居を続けて責任を押しつけ合うのはやめてください。こんなガラクタを争う気はないので」
江川家の三人の顔色がみるみる悪くなった。誰がガラクタだというのか。
咲月は奥歯を噛みしめ、今にも砕けそうなほど力を込めた。
(この女、どこからそんな余裕が出てくるのよ!偽物の令嬢のくせに、本当なら泣いて許しを乞い、この家に置いてくださいって縋るべきでしょう!)
朱里はショルダーバッグを手に、そのまま立ち去ろうとした。
江川夫妻は一瞬、呆気に取られた。
(あれだけの荷物で出ていくつもりなのか。服すら持たずに? どうせ引き留めてもらうための、見せかけに決まっている。 ふん、たかが養女の分際で、これ以上わがままを許すわけにはいかない!)
咲月もまた、朱里が本気でこのまま出ていくなどとはとても思えなかった。
(あのバッグの中に、きっとまだ何か隠してるに決まってる!)
彼女はわざと一歩前へ出て、探るように言った。「お姉さん、それだけしか持たずに出ていくなんて。お父さんとお母さんに可哀想だと思わせたいんですか?」
そう言いながら、朱里の手にあるバッグへ手を伸ばし、ぐいっと引っぱった。
ビリッ――!
バッグのファスナーが勢いよく開いた。中から、見慣れないカードが何枚もばらばらと床に散らばった。
それだけではない。一緒に転がり出たジュエリーボックスの中からは、青いダイヤがいくつも嵌め込まれたブレスレットまで現れた。
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