
裏切りの愛、復讐の旋律
章 3
松原百合紗 POV:
秀夫が去り, 一人になった病室で, 私はベッドに横たわっていた. 冷たいシーツが, 私の肌に触れるたびに, 全身の痛みが蘇る. 視界がぼやけ, 熱いものが頬を伝っていく. 私は, もう泣くことさえできないほど, 乾ききっていた.
私の頭の中には, 彼との出会いが鮮明に蘇ってきた. 初めてオーケストラの練習場で秀夫を見た日のこと. 彼は, 舞台の中央で, まるで光を放つかのようにタクトを振っていた. その集中力と情熱に, 私は一瞬で心を奪われた.
彼が, 私のヴァイオリンの音色に気づいてくれた日のこと. まだ駆け出しの指揮者だった彼が, 私の演奏を聴いて, 深く感動してくれた. 彼は, 私の才能を誰よりも高く評価し, 私を「日本の宝」だとさえ言ってくれた.
あの頃の彼は, 優しくて, 情熱的で, 私の全てだった. 私が風邪を引けば, 夜通し看病してくれた. 私が落ち込んでいれば, 私の好きな曲を弾いてくれた. 私がヴァイオリンを弾いていて, 弦が切れて指を怪我した時, 彼は自分の服を破って, 私の指を包んでくれた. その時, 彼は言った. 「百合紗, 君の指はヴァイオリンのためにあるんだ. 大切にしないと. 」彼の言葉は, 私の心を深く温めた. 私は彼に, 心から愛されていると信じていた. そして, 私も彼を, 心から愛していた.
私は彼のために, 自分の全てを捧げた. 彼のキャリアを支えるために, 私は自分のヴァイオリン活動を休止した. 希少な血液疾患を抱える私が, 彼の子を身ごもった時, 彼は私を抱きしめ, 「ありがとう, 百合紗. 君がくれた最高の贈り物だ」と言ってくれた. あの時の彼の笑顔は, 偽りではなかったはずだ.
だが, あの笑顔は, いつから歪んでいったのだろう. あの優しい眼差しは, いつから私を道具としか見なくなったのだろう. 私の愛は, いつから彼の支配欲にすり替わったのだろう.
「秀夫... 」
私の唇から, か細い声が漏れた. しかし, その声は, もう彼への愛情を宿してはいなかった. ただ, 深い絶望と, 冷たい憎悪がそこに宿っていた. 私は, 彼が私から全てを奪い去ったことに気づいた. 私の人生を, 私の希望を, そして私の未来を. 彼は, 私の全てを破壊したのだ.
その時, 病室のドアが静かに開いた. 秀夫が, 私のベッドサイドに立っていた. 彼の右手には, 温かいスープの入ったカップが握られていた.
「百合紗, 何か食べられるか? 」
彼の声は, あの頃の優しい響きを取り戻していた. 私は, 彼の言葉に, 一瞬だけ心が揺らいだ. しかし, その甘い言葉は, もはや私には届かなかった.
「... 結構です. 」
私は, 目を閉じたまま答えた. 彼の優しさは, 私には毒でしかなかった.
「頼む, 少しでいいから食べてくれ. 赤ちゃんのためにも... 」
彼の言葉に, 「赤ちゃん」という単語が混じっていた. 私の心臓が, 締め付けられるように痛んだ. 彼は, この子の存在を, 心歌穂の治療のための道具としか見ていない.
「食べたら, 骨髄提供について, 前向きに考えてくれるか? 」
彼の言葉は, 私の予想通りだった. 彼の優しさは, いつも取引と引き換えだった. 彼の瞳は, 私に向かって, 懇願するように見つめていた. しかし, その瞳の奥には, 冷たい計算が隠されているのが見えた.
「... 」
私は, 何も答えなかった. 私の心は, 完全に凍りついていた.
彼の右手が, 微かに震えているのが見えた. 彼は, 私への言葉を, 必死に探しているようだった. しかし, その震える手は, 私にはもはや届かない.
「百合紗... 頼む. 心歌穂には, お前の助けが必要なんだ. 」
彼の声は, 懇願するように響いた. しかし, その懇願は, 私をさらに絶望の淵に突き落とした.
「私には, 関係ないわ. 」
私は, 冷たく答えた. 彼の顔が, 一瞬にして凍りついた.
「何を言っているんだ? 心歌穂は, お前の妹だろう? 」
彼の声は, 信じられないという響きを帯びていた.
「妹だから何? 私を傷つけてきた人間を, 私が助ける義理はないわ. 」
私の言葉は, 鋭い刃のように彼に突き刺さった. 彼の顔が, みるみるうちに青ざめていく.
「百合紗... 」
彼の唇から, か細い声が漏れた. しかし, その声は, もう私には届かない.
私の頭の中には, 幼い頃の記憶が蘇ってきた.
私がヴァイオリンの練習に励む傍らで, 心歌穂はいつも私を邪魔した. 私が両親に褒められれば, 彼女は私を突き飛ばし, 私のヴァイオリンを壊した. 両親は, 病弱な心歌穂を溺愛し, 私には常に「お姉ちゃんなんだから, 我慢しなさい」と言い聞かせた. 私の才能は, 彼女の嫉妬の対象でしかなかった. 家族の中で, 私はいつも孤独だった.
私は, 家を出て, ダンススクールに通って, ヴァイオリンを弾くことを選んだ. 私は, 自分の才能を磨き, 両親に認められたいと願っていた. しかし, 心歌穂は, 私の夢を嘲笑した.
「所詮, お前は私の代わりだ. 両親は, お前を愛していない. お前は, ただの道具でしかない. 」
彼女の言葉は, 私の心を深く傷つけた. 私は彼女に, 私の存在を肯定してほしいと願っていた. しかし, 彼女の心には, 私への憎悪と嫉妬しかなかった.
そして, 秀夫との出会い. 彼もまた, 私を道具としてしか見ていなかったのだ. 私の人生は, いつも誰かの道具として利用されてきた.
「もう, うんざりよ. 」
私は, 心の中でそう呟いた. 私の頬を, 熱い涙が伝った. 私は, 彼の言葉を聞きながら, まるで自分が, 彼の憎しみの対象であるかのように感じた.
「秀夫, あなたは, 私から全てを奪った. 私の人生を, 私の希望を, そして私の愛を. あなたは, 私の全てを破壊したのだ. 」
私の声は, 冷たく響いた. 彼の顔が, 一瞬にして凍りついた.
「何を言っているんだ? 」
彼の声は, 低い唸り声のようだった.
「私は, もうあなたの妻ではない. そして, 私は, もう誰の道具にもならない. 」
私の言葉は, 鋭い刃のように彼に突き刺さった. 彼の顔が, みるみるうちに青ざめていく.
「百合紗... 」
彼の唇から, か細い声が漏れた. しかし, その声は, もう私には届かない.
私の心には, 冷たい復讐の炎が燃え上がっていた. 私は, 彼が私から全てを奪い去ったことに気づいた. 私の人生を, 私の希望を, そして私の未来を. 彼は, 私の全てを破壊したのだ.
私は, 彼の顔を見て, 冷たい笑みを浮かべた.
「秀夫, あなたは, この子の存在を, 心歌穂の治療のための道具としか見ていない. だから, 私は, この子を, あなたから奪い去る. それが, 私からの最高の復讐よ. 」
私の言葉は, 彼の心を深くえぐった. 彼の顔は, 絶望の色に染まっていた. 私は, 彼の苦しむ顔を見て, 心の中で冷たい笑みを浮かべた.
私には, もう何も失うものはない. 全てを奪われた私に残されたのは, 冷たい復讐心だけだった.
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