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ポンコツ勇者と猫の話 の小説カバー

ポンコツ勇者と猫の話

ルージャルグ神学校の卒業予備生たちは、皆一様に「勇者」の称号を背負って世界へと旅立つ宿命にある。しかし、その一人である少女・ラーニエは、最弱の魔物であるスライムにすら苦戦を強いられるほどの実力しか持たない、自他共に認める「ポンコツ勇者」であった。周囲の期待とは裏腹に前途多難な冒険者生活を送っていた彼女だったが、ある日、運命を変える奇妙な出会いを果たす。彼女の前に現れたのは、自らを「ただの猫」だと言い張る、生意気な態度が目立つケット・シーだった。その外見とは裏腹に、彼はケット・シーという種族の常識を遥かに凌駕する、圧倒的かつ底知れない魔力を秘めていたのである。頼りない新米勇者のラーニエと、並外れた力を隠し持つ不遜な猫。正反対な二人が出会ったとき、波乱に満ちた冒険の幕が静かに上がる。果たしてラーニエは、この不思議な相棒と共に勇者としての試練を乗り越えていくことができるのだろうか。凸凹コンビが織りなす、新たなファンタジー冒険譚がここに始まる。
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3

そこにいたのは、ゾウのように巨大な犬だった。

 瞳に怒りの炎をありありと浮かべ、牙を剥いている。

 全身の毛を逆立て、話や文献に出てきたそれよりも大きく思えた。

「このへんはアイツの縄張りにゃ?」

 そう言ったケット・シーは、尻尾を体に巻き付けていた。

 無意識かもしれないが、腰も引け気味だ。

 シャア、と威勢のいい声は出しているが、どちらが本当のところだろうか。

「な、な、縄張り?」

 考えたこともなかった。確かに、魔物の中には広い縄張りを持つものもいる。

 でもあの犬にそういうものがあるのだろうか。

「縄張りを荒らすなって言ってるにゃ!」

 それを聞いた瞬間、思わず声を張り上げてしまった。

「私何もやってないよ?」

「うるさいにゃ、無能!」

「はあ?」

 意味がわからない。どうしてこの状況で罵倒されなければならないのだ。

 などと言っていると、犬が大きな叫び声をあげながら襲いかかってきた。

 心なしか、その目はケット・シーではなくラーニエを捉えているように思える。

 そして、どうやらその嫌な予感は間違っていないようだった。

 ぐわりと開いた大きな口からはケット・シーの尻尾ほどもある牙が太陽の光に照らされ、さながら死に神の鎌のように見える。

 その鎌からは、血の代わりによだれが飛び散っていた。

 いや、そんなことはたいした違いではない。

 もうすぐその牙は血塗れになるのだから。

 そこまで考えて、いよいよ背筋が凍り付いた。

 だがそれも一瞬のことだった。

「それじゃ、オレは逃げるにゃ」

 頑張るにゃ。そう言ったケット・シーに背筋の氷が溶ける。

「え? はぁ?」

 言った言葉に嘘はつかないと言わんばかりに踵を返したケット・シーの尻尾を、とっさに掴んでしまった。

「にゃっ!」

 掴んでから、そこはケット・シーが最も嫌がる部位であったことを思い出す。

 だがもちろん、もう遅い。

「なにするにゃ!」

「いっ!」

 手を思い切りかみつかれた。

 痛い。

 泣きそうになりながら顔を上げると、今まさに、犬が得物に噛みつかんとしているところだった。

 何とかしなければ。

 そう思ったが、体と本能は正直だ。

 体をのけぞらせ、顔を伏せる。

 目を閉じて、何も見なかったことにする。

 現実逃避の中で、なんとか腕だけは伸ばす。

 何とかしなければ。

 その思いが体を駆け、手のひらに集まる。

 次の瞬間、ぐおお、と犬の呻き声が聞こえた。

 そして待ち受けていた痛みと絶望はいつまでたってもやって来ず、不思議に思って目を開くと、犬は目をつぶってのたうち回っていた。

 そしてなぜか、ケット・シーもだ。

「そういうのやるなら……先に言えにゃ無能……」

 そういうの?

「え、何……? 私、なんかした? なんか、なんか、できた?」

 ラーニエが目を輝かせる。

 場違いだが、それだけの理由があった。生まれてこの方、魔法も剣術もろくに使えたことがない。

 それなのに、この草原最強の犬がのたうち回っているのだ。

 期待くらい、してもいいだろう。

「な、なんか……ぴかっと……。まぶしいにゃ……」

 うっすら目を開いた猫が、不機嫌そうに尻尾を揺らした。

「え、それだけ?」

 それだけなら、たいした魔法ではない。

 その通り、という答えは返ってこなかったが、同じく目を開いた犬がいよいよ怒りに震えていた。

 ぐおおお、と遠吠えをする。

 草原最強の魔物。

 種族名を、雷撃の野犬、という。

 遠吠えで呼ぶのは仲間ではなく、雷雲。

 自在に雷を操る魔法で、必中必殺の稲妻を浴びせる。

 そして、私は神学校の落ちこぼれだ。

 生き延びるためには、賭けるしかなかった。

「け、ケット・シー」

 犬から目を離せないまま、震える声で囁く。

 ケット・シーはしばらく黙っていたが、

「おまえが持ってる肉。全部くれるなら助けてやってもいいにゃ?」

「に、肉?」

 そんなもの持っていただろうか。

 いや、今はどうでもいい。

「わ、わかった! あげる! あげるから、どうにか、してえええええええ!」

 頭上の雷雲に稲光が走ったような気がして、思わず絶叫してしまう。

「ふん」

 と、猫が一歩前に踏み出す。

「さっきのドカーンをもう一回すればいいんだにゃ?」

 瞳を細め、犬を睨む。

 その表情は、得物を狩る狩人のそれだ。

「しょうがないにゃぁ」

 立てた尻尾に光が集まる。まるで、太陽のように明るく、丸い。

 あっという間にケット・シーよりも大きく育った光の玉が、犬の方へ飛んでいく。

「いけにゃあああああああああ!」

 犬を包み込んだそれが、二回りほど不自然に縮む。

 瞬間、魔力があふれ、爆発した。

「……っ!」

 目を刺すような、強烈な光に目を瞑る。

 肌を焼くような熱。

 地を揺るがす轟音。

 猛烈な風に、踏ん張りきれず尻餅をついてしまう。

 巻き上がった土が口の中に入り、気持ちが悪い。

 それら全てが通り過ぎ、どさりという音に改めて目を開くと。

 爆発で土が剥き出しになった地面の上、横に倒れた雷撃の野犬がびくびくと痙攣していた。

「ま、ざっとこんなもんにゃ」

 胸を張るケット・シーを尻目に、腰に付けた袋から薬草を準備する。

 どうしてこいつが爆発の魔法という超上級の魔法を扱えるのかはわからない。

 一発使えば経験豊富な魔法使いもひっくり返ると言われるそれを放っても、息切れ一つしない無尽蔵の魔力も謎だ。

 ただ一つ言えることは、犬がだいぶ哀れだ、ということ。

 なんなんだ、この化け物は。

「じゃ、約束の物よこせにゃ」

 そう言ったケット・シーを無視して薬草を犬に食べさせる。

 一時的に対象の再生能力を高めて傷を治すという効果を持つ、ヨモギのような葉っぱ。

 もちろんただの草ではなく魔力を持っており、草と名が付いているが実際には魔物に近い。

 人間が丹精込めなければ育たないが、一度育ってしまえば持ち前の再生能力でそう簡単には枯れないため、よく農家が育てている。

 だいぶ深い傷を受けているので完治とまではいかなかったが、どうやらお座りできる元気くらいは戻ったらしい。

 まだふらふらしている犬に、食べる? ともう一枚薬草を差し出す。

 素直に受け取ってくれた。

 薬草は苦い。それもとんでもなく。

 吐き出したい葛藤に耐えきった犬は、相変わらず傷だらけではあるが、ふらふらすることはなくなった。

 だが、耳は伏せ気味、尻尾は股の下で、頭を下げて服従の姿勢だ。

 視線はこちらを向いているような気がするが、多分本当に怖いのは後ろにいるケット・シーだろう。

「にゃー、何やってるにゃ。早く肉をよこせにゃー!」

 そのケット・シーは、なかなか約束の物を貰えなくて憤慨している。

 もう少ししたら二回目の爆発が起こるかもしれない。

 だが、困ったことがあった。

「あの……肉って、何のこと?」

 私は肉なんて持っていた記憶がない。

 にゃ? と猫が尻尾で地面を勢いよく叩いた。

「何言ってるにゃ。おまえからうまそうな匂いがプンプンしてるにゃ。隠そうとしたって無駄にゃ」

「いや、隠そうなんてしてないって。本当にそんなの持ってた覚えなくて……」

 と、腰に付けた袋をあさってみる。

 薬草袋、小銭入れ、道具袋。

「……あ」

 そこまで探したとき、見つけたものがあった。

「えっと……ひょっとして、これ?」

 それは、干し肉。

 水ネズミと言う魔物の安い肉で、日持ちがよく、保存食としてよく売られている。

 すっかり存在を忘れていたのは、できればこんなものは食べたくないからだ。

 すれくらい、不味い。

「そうにゃ! それにゃ! よこすにゃ! 食わせろにゃ!」

 だが、ケット・シーはこれがどうしても食べたいらしい。

「え、本当にこれ? これ食べるの?」

「にゃあにゃあうるさいにゃ雑魚!」

 再三の警告を雑魚と切り捨て、ケット・シーが飛びかかってくる。

「ひゃっ!」

 一瞬にして干し肉を奪われる。

 本当にそれを食べるつもりなんだろうか。

 機嫌悪くされて爆発の魔法でも使われたら、理不尽すぎて死んでも死にきれない。

 そんな心配をよそに、ケット・シーは何も言わず淡々と肉を食べ始める。

 水ネズミはどこにでもいる小型の魔物だ。繁殖力も高く、スライムの次に生命力の高い魔物として有名である。

 すばしこいが知能は低く、簡単な罠にもあっさり引っかかるために子供でも捕らえることができ、それ故に水ネズミの肉は安い。

 そして重要なのが、栄養豊富な代わりに不味いということだ。

 水っぽくて味がない。水の魔法を使えるから水ネズミなのか、肉が水っぽいから水ネズミなのかわからないくらいだ。

 干すことで水っぽさはなくなるものの、不味いことには変わりがない。

 しばらく見守っていると、ケット・シーが最後のひとかけらを飲み込んだ。

「……」

 お口に、あっただろうか。

 嫌な汗が流れる。

 ケット・シーがバッ、と顔を上げた。

 やはり不味かったか。

 警告なしの爆発の魔法だけは止めてくれ。

 というかそっちがほしがったんだ、こっちに罪はない。

「う、うまい……!」

「……え?」

 うまい?

 水ネズミの肉が?

 何で?

「こんなうまいものは初めて食べるにゃ! 何やってるにゃ、全部出すにゃ!」

「え、え?」

 あんなのがうまいなんて、味覚おかしいんじゃないの?

 などと思っていたら、猫特有の脚力を活かして飛びかかってきた。

「ひゃあっ!」

 勢いに押され、尻餅をついてひっくり返る。

 おなかと腰を足蹴にされ、なぜか笑いがこみ上げてくる。

 なんかすごくかわいい。お肉全部あげたい。

 ふと見ると、雷撃の野犬が声も出せないまま震えていた。

「え、えっとその、ごめんね? もう行っていいよ」

 そう告げると、犬は一目散にどこかへ行ってしまった。

 そんなことをしているうちにケット・シーが袋から肉を奪っていく。

 一心不乱に食べ始めたケット・シーに持っている肉を全部差しだす。五枚あった。

 一瞬顔を上げたケット・シーは少しの間五枚の肉を眺めて、再び食事に戻った。

 なんだかよくわからないが、どうやらそんなにおいしいらしい。

 その様子をじっと見つめるうちに、ふと思いついたことがあった。

 お肉を全て食べてから、ケット・シーがふとこちらを見る。

「ん、なんだ、おまえまだいたのかにゃ。もう行っていいにゃ」

 ケット・シーがあくびをする。

 だがもちろん、そうはいかない。

「ねえ、もし一緒に来てくれたら、このお肉毎日食べさせてあげてもいいよ?」

 笑みを浮かべる。

「にゃっ」

 大口を開けたまま、ケット・シーが固まった。

 にゃあ……、とそのままこちらを見つめる。

 葛藤しているのがよくわかる。

「毎日五枚にゃ」

「五枚か……」

 いくら水ネズミの肉は安いといっても、毎日五枚となると馬鹿にならない出費だ。

「……」

「……」

 だが、ケット・シーは譲歩するつもりはないようだ。

「わかった、わかったよ。五枚ね」

 一応お金はそれなりに残っているが、すぐ底をつきるだろう。

 これからはお金を稼ぐことも考えなければ。

 ……力は簡単には手に入らない。校長先生の言葉だ。

 彼は正しい。

「しょうがないにゃ。そこまで言うならついて行ってやってもいいにゃ」

 毛繕いをし始めたケット・シーを眺めながら、やられたな、と苦笑した。

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