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花嫁はひとりきり、愛は戻らない の小説カバー

花嫁はひとりきり、愛は戻らない

桐原千景は、いつか夫に振り向いてもらえる日が来ると信じ、理想の妻として振る舞い続けてきた。しかし、夫である望月颯斗の心には常に別の女性の影があり、千景がどれほど尽くしてもその想いが報われることはなかった。華やかな結婚式の日も、心細い入院生活の間も、彼女は常に孤独の中に置かれ、それでも颯斗への愛だけを唯一の心の支えにして生きてきたのだ。そんなある日、過酷な運命が千景を襲う。医師から余命宣告を受けた彼女は、残された僅かな時間で、彼への執着を捨てて自由になることを決意する。だが、千景の心が自分から離れたことを悟った瞬間、それまで冷徹だった颯斗は豹変し、異常なまでの執念を見せ始める。「今さら遅すぎるの。私はもう、あなたを愛さない」と告げる千景。かつては一途だった純愛が、皮肉にも残酷なすれ違いへと変貌していく。終わりへと向かう二人の関係が辿り着く、衝撃の結末とは。孤独な愛の果てに待つ、切なくも狂おしい現代ラブストーリー。
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2

「颯斗…私のこと、愛してるの?」

あの夜の記憶は、今でも彼女の胸に鮮明に残っている。二人の関係が始まったきっかけ──それは、決して優しいものではなかった。

当時、早瀬杏璃は別の男を追って、国外へと去った。

絶望の淵にいた望月颯斗は、酒に溺れ、理性のタガを外した。

そして、あの夜──彼は彼女を強く押し倒し、泣き叫ぶ声も、震える身体も気にかけず、ただ狂ったように、繰り返し彼女を…

翌朝、静まり返ったベッドの中で、彼はぽつりと呟いた。「…理不尽に思ったなら、俺の女になればいい。嫌じゃなければ」

彼女はただ、小さくうなずいた。

それが、ふたりの始まりだった。

そこにあったのは、ただの責任。愛ではなかった。

……けれど、今は?

彼の心に、少しでも愛情や好意が宿っているのだろうか。

望月颯斗は、桐原千景の繊細な眉と瞳をじっと見つめて言った。「千景、もうすぐ俺たちは結婚する。これからは君が俺の妻だ。君を大事にして、守っていく…」

その瞬間、彼の唇にひやりとした感触が触れた。

千景の指が、そっと彼の言葉を止めていた。

「颯斗…もう言わなくていい。全部、知ってるから」

「一晩中動いてたんでしょ。着替えてから会社に行きなさい。服は、私が持ってくるから」

そう言い終えて、彼女は静かに背を向けた。

ただ、その一瞬。背を向けたとたん、こらえていた涙が頬をつたって落ちた。

たくさんのことを言ってくれた。優しい言葉も、甘いささやきも、心があたたかくなるような言葉も――

でも、どうしても言ってほしかった、そのたった一言だけは、最後まで聞けなかった。

もし本当に愛してくれているなら、一言でいい。ただ「愛してる」と、それだけでよかった。

言葉が多いほど、それは愛していない証拠。

だから、これ以上聞くことなんて、とてもじゃないけど、できなかった。怖くて、もう、聞けなかった。

クローゼットに入ったそのとき、桐原千景はスーツを一着手に取ろうとした。だが、次の瞬間――馴染みのあるぬくもりに、ふわりと包まれた。

望月颯斗の顎が、そっと彼女の頭に乗せられ、片方の手で彼女の手を優しく包み込む。

「寒くもないのに……どうして、こんなに手が冷たいんだ?」

千景の瞳には、まだ涙の名残が光っていた。

胸の奥が詰まっていて、返す言葉が見つからない。

戸惑う間に、彼の手が彼女の身体を向き直らせる。

見上げたその瞳――潤んで揺れる瞳は、まるで迷子の小鹿のようだった。

その瞳には、どこか無邪気さと哀れさが入り混じっていた。望月颯斗の胸の奥が微かに震え、もう抑えきれず、彼は桐原千景の顔を両手で包み、そのまま強く唇を重ねた。

激しいキスだった。彼女を骨の髄まで取り込んで、自分の一部にしてしまいたい――そんな衝動すら感じさせるほどに。

千景はつま先立ちになり、仰け反るようにして受け止めるしかなかった。

頬は真っ赤に染まり、呼吸も乱れに乱れていた。

けれど、その胸の奥には、淡く甘いものが広がっていた。

何年一緒にいても、彼が理性をかなぐり捨てて衝動に駆られるのは、こうして抱きしめてくれるときだけだった。

そのときだけは――彼に、愛されていると実感できた。

「颯斗…」

千景は、息もできないほどに深くキスされ、思わず甘い声を漏らした。

望月颯斗は我に返ると、惜しむように彼女を放す。

「…会社に行かなくて済むなら、今すぐ君を食べちゃいたいくらいだ」 その低く掠れた声には、抗いがたい色気が宿っていた。

顔を真っ赤にした千景は、彼の胸をそっと押す。「だって、昨日の夜……もう……」

最後までは言えなかった。恥ずかしすぎて、言葉にならない。

だけど、颯斗はお構いなしに彼女を抱きしめ、堂々と言い放った。「だから何だよ。 ――君は俺の妻だ。いくら抱いても、足りないくらいだ」

千景が口を開こうとした瞬間、ふと手元にひんやりとした感触が走った。

視線を落とすと、手首にはいつの間にか美しいブレスレットが。

ルビーがきらめきを放ち、雪のように白い肌に映えて、彼女の美しさをいっそう引き立てている。

「これ、私に?」顔を上げた千景は、少し驚いた表情で彼を見つめた。

「うん。気に入った?」

「あなたが選んだの?」

颯斗は静かにうなずいた。

「うれしい……すごく気に入った。ありがとう」

千景は優しく微笑み、そっと背伸びして、彼の頬に軽く口づけた。

だが、颯斗はまだ満足していなかった。わずかに眉をひそめると、自分の唇を指さす。

千景はすぐに彼の意図を悟った。

けれど、自分から動くのは苦手で、一瞬、気後れしてしまう。

「キスしてくれないなら、行っちゃおうか?」

冗談めかしてそう言い、彼女の手をそっと離した。

その瞬間、千景の胸がざわめいた。思わず、顔を近づけて――唇を重ねる。

だが、彼はまるで待ち構えていたかのように彼女の頭を抱き寄せ、情熱的に口づけた。

やがて、彼の服をぎゅっと握りしめた千景が「お願い…もうやめて…」と小さく呟いた時、ようやく彼はその唇を離した。

「ここ数日は無理せず家でゆっくり休んで。時間があったら、おじいちゃんやおばあちゃんの顔を見に行ってあげて。体調が完全に戻ってから、会社に来ればいいよ」 望月颯斗は、雪のように白い肌の千景の顔をじっと見つめ、優しく声をかけた。

静かにうなずいた。

彼女は美術系の大学を卒業後、ずっと望月グループで働いてきた。

今はデザイン部のマネージャーを務めている。

ただし、会社の同僚たちは、まだ二人の関係を知らない。

彼女は常に仕事に真剣で、全力を尽くしてきた。だが、ここ数日、無理な夜更かしが続いたせいで、めまいや頭痛、さらには吐き気まで現れるようになっていた。そんな状態でもなければ、彼女が仕事を休むことはなかっただろう。

でも、結婚すれば彼女の仕事の負担はきっと減るだろう。

そして、そのぶんの精力を家庭と望月颯斗に向けることになる。

「そういえば颯斗、結婚式の日取り、お母さんが占い師に見てもらって、もう決めてくれたのよ」

「うん、母さんから電話があったよ」

「それで……」桐原千景は少し戸惑いながら言った。「そろそろ私たちの結婚のこと、会社の人たちにもちゃんと伝えたほうがいいかなって」

「同じ部門の人には、私が結婚するってことだけはバレてる。でも、誰とってのはまだ知られてないんだ。最近は『誰⁉誰⁉』ってみんな騒いでて、挙句の果てには招待状くれって言われてるくらい」

そういいながら千景の目に、ほんのりと期待の光が宿った。

けれど、颯斗の顔はずっと強張ったままだった。

「千景、ごめん」突然、彼が口を開いた。

「え…?」

ネクタイを締めながら顔を上げると、彼の視線が真っ直ぐに自分を見据えていた。「千景、結婚のことだけど、しばらくは公表しないつもりなんだ。 おじいちゃんたちや母さんにも話をつけてある。式も、ごく限られた身内と友人だけを招く、プライベートな小規模のものにする予定だ」

彼の言葉が胸に落ちると同時に、千景の手は動きを止めた。

じゃあ、もうみんな知ってたってこと……?私が一番最後だったのね――そういうこと?

もし問いかけていなければ——きっと最後の最後まで、気づけなかった。

非公開?

それって…秘密結婚するつもりなの?

結婚なんて一生に関わることを、どうして誰にも言いたくなかったの?

理由なんて、もう考えるまでもなかった。

——早瀬杏璃。

彼は、まだ彼女を忘れられずにいる。

桐原千景は、懸命に瞬きをした。目の奥がじんと熱くなって、胸の奥を何かにきつく引かれるようで、息が苦しくなった。

もし今日の結婚式が、自分とじゃなく、早瀬杏璃とのものだったとしたら――

彼は、きっと狂ったように世間に大々的に発表していただろう。

自分の花嫁が早瀬杏璃だということを、世界中に知らしめたくて仕方がなかったはずだ。

「…もし、私がどうしても公にしたいって言ったら?誰にでも知ってほしいって思ったら?」

桐原千景は瞳を潤ませ、真っ直ぐに彼を見つめながら、不意に強い口調で問いかけた。

望月颯斗は驚いたように瞬きをした。いつもは従順で控えめな千景が、こんなふうに自分の意思をぶつけてくるなんて――

少しだけ間を置いて、彼はそっと、彼女の手を取った。

「千景、頼む。もう少しだけ時間をくれ。 必ず、しかるべき時が来たら…君のことをみんなに話す。約束する」

「じゃあ、その“時”は、今じゃないってことね?」千景は、もう何も期待できずに囁いた。

颯斗は目を伏せて、静かに言った。「…すまない」

震える指先で感情を押し込めながら、千景はゆっくりと唇を開く。

「わかったわ。でも……私にも、ひとつだけ条件があるの」

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