昼は無能な飾りの妻、夜は世界を牛耳るカンスト覇王。 の小説カバー

昼は無能な飾りの妻、夜は世界を牛耳るカンスト覇王。

7.9 / 10.0
伊藤家の実娘として20年ぶりに帰還した麻衣を待っていたのは、偽の令嬢・遥香を溺愛し、実子である自分を「田舎者」と蔑む家族の冷徹な視線だった。家族の情を捨てた彼女は、遥香が狙っていた高橋宗一郎との縁談を早々に受け入れ、電撃的に入籍を済ませてしまう。夫となった宗一郎もまた、麻衣を無能な飾り妻と見なし、契約期間が過ぎれば離婚するつもりでいた。しかし、彼の知らないところで麻衣は、世界を震撼させる複数の顔を使い分けていた。神業を持つ医師、地下格闘技の覇者、伝説的ハッカー、そして宗一郎が切望する科学界の権威。その正体がすべて「無能な妻」だと判明したとき、彼の軽蔑は執着へと変貌する。契約満了の日、淡々と別れを告げる麻衣を宗一郎は力ずくで引き止め、彼女の真実を暴こうと迫る。だが、圧倒的な実力を持つ麻衣は不敵に微笑み、逆に彼を圧倒するのだった。正体を隠した最強の令嬢と、後悔に悶えるエリート社長。離婚から始まるはずの二人の関係は、予測不能な溺愛へと加速していく。痛快な逆転劇が幕を開ける!

昼は無能な飾りの妻、夜は世界を牛耳るカンスト覇王。 第1章

盛夏。東都市区役所の区役所前は賑わいを見せていた。

伊藤麻衣は人混みの中央に立ち、滑らかな額にうっすらと汗を浮かべていた。

その小さな顔は色白で美しく、長いまつ毛に整った目鼻立ちで、思わず目を奪われるほどの美貌だった。 涼しげで浮世離れした雰囲気を纏っており、周囲の熱気とはまるで別次元にいるかのようだ。

彼女は山を下りてきた時のまま、洗いざらしのシャツと色落ちしたジーンズ姿だった。

深い山奥で20年間暮らし、まさか下山して最初にすることが結婚になるとは思ってもみなかった。

麻衣の脳裏に亡き師匠の最期の言葉が蘇る。彼女は時計もスマホも持っていないため、空を見上げて時間を推測するしかなかった。

そろそろ15時頃だろうか。麻衣は顔色を変えずに、ほんの少し眉をひそめた。

もう15時だというのに、結婚相手はまだ現れない。

そう考えていると、突然クラクションの音が聞こえ、目の前の曲がった木のそばに黒のマイバッハがゆっくりと停まった。

まず助手席のドアが開き、スーツ姿の男が素早く降りてくると、左後方に回り込んで丁寧にドアを開けた。

さすがの麻衣も、後部座席から降りてきた男を見て思わず眉を上げた。

鋭い目鼻立ちに、シャープなフェイスライン。長身で、肩幅が広く引き締まった腰回り。 スタイルも顔面も、間違いなくトップクラスだった。

薄い唇から、冷たい声が紡がれる。「伊藤麻衣か?」

麻衣は頷き、彼を見据えて答えた。「はい」

「行くぞ」

男はそう言い捨てると、大股でロビーの方へ歩き出した。後ろの麻衣には一切構う様子がない。

麻衣は一瞬呆気に取られ、思わず声を上げた。「ちょっと待ってください!」

男は振り返り、端正な眉をひそめて無言の警告を放った。「伊藤さん。俺の時間は10分しかない。過ぎたら付き合わない」

麻衣は眉をひきつらせた。結婚するだけなのに、なんでこんなに生き急いでいるんだ?

亡き師匠から、昔の恩を返すために必ず高橋家に嫁ぐよう言い含められていなければ、こんな変人は見捨ててとっくに帰っているところだ。

麻衣の返事を待たず、男はそのままロビーに入っていった。

麻衣は毎日、山で何十キロもある石を括り付けて修行していた。だから、相手が長身で足が長く歩くのが速くても、後ろから余裕で追いつくことができた。

その後は一連の事務手続きが続いた。婚姻届への記入と署名捺印、証人欄への記名、必要書類の提出。

10分後。

麻衣と高橋宗一郎は、前後して区役所から出てきた。

マイバッハに乗り込む直前、宗一郎は身を翻して彼女にカードを差し出した。「このカードはパスワードなしだ。好きに使え。新居は壑園16番地、暗証番号は8888だ」

そう言い残すと、振り返りもせずに車に乗り込み、麻衣を残して排気ガスと共に去っていった。

麻衣は手の中のカードを見つめた。山での生活が長すぎた彼女は、たまに下山しても托鉢か野菜や果物を買うくらいで、基本は現金払い。カードを使う機会などめったになかった。

彼女はカードを無造作にリュックに放り込み、反対方向へ歩き出した。

***

伊藤家。

家族が顔を揃え、ダイニングテーブルにはバースデーケーキが置かれている。全員が中央の少女を囲み、ハッピーバースデーを歌っていた。

伊藤琴音が微笑みながら言った。「遥香、早く願い事を!」

伊藤遥香は両手で包み込むように手を合わせ、とても幸せそうに笑った。

伊藤誠司は愛おしそうに遥香の頭を撫で、優しく尋ねた。「遥香、今年はどんなお願いをしたんだ?」

遥香は瞬きをして、拗ねたように言った。「お父さん、口に出したら叶わなくなっちゃうよ!」

今日は本来、外で生き別れていた伊藤家の本当のお嬢様を迎えに行く日だった。だが、伊藤家の誰一人として、そんな深い山奥まで車を走らせようとする者はおらず、取り違えられたとはいえ20年間手塩にかけて育てられた遥香の誕生日を祝うために、全員が家に残っていたのである。

伊藤翔太が、ある高級ブランドの包装が施されたプレゼントを差し出した。「これ、前からずっと欲しがってたバッグだろ。M国で特注で作らせたんだ」

遥香は驚きと喜びに満ちた顔で、すぐに翔太に抱きつき甘えた声を出した。「お兄ちゃんが一番優しいって分かってた!」

翔太はとろけるような甘い表情を浮かべた。「俺はお前の兄貴だからな。お前に優しくしないで誰に優しくするんだ」

遥香は腕を解くと、眉間に少し寂しげな色を浮かべて言った。「でも、これからは私だけのお兄ちゃんじゃなくなっちゃうね」

翔太は顔色を変え、その端正な顔に冷たい怒りを滲ませた。

一方、その頃。

邸宅の外では、麻衣が入り口の執事と交渉していた。「私はこの家の娘です。中に声をかけて、扉を開けてもらえませんか」

執事は彼女を忌々しそうに見下し、まるで汚い物でも見るかのように大きく後ろへ退いて距離を取った。そして、面倒くさそうに吐き捨てた。「旦那様も奥様も若様も、中でお嬢様の誕生日を祝っているところだ。用があるならまた明日来なさい。そんな縁起の悪い恰好で、お嬢様の機嫌を損ねてはたまらない!」

執事の後半の言葉は声が小さかったが、麻衣の耳にははっきりと届いていた。

彼女の瞳の色が冷たくなり、執事を鋭く睨みつけた。

執事はさらに文句を言ってやろうとしたが、その眼光に思わず怯み、暴言が喉の奥に引っかかった。

麻衣は彼を無視して周囲を見渡し、2歩前に進むと、手を伸ばして警報器のボタンを押した。

邸宅内に一瞬にしてサイレンが鳴り響き、わずかな時間で家の中にいた全員が庭に飛び出してきた。

修平が怒鳴り声を上げた。「何事だ!」

執事が慌てて事情を説明すると、庭にいる者たちの視線がようやく門の外に立つ麻衣へと向けられた。

琴音は唇を震わせ、前に出ようとしたが、その腕を遥香に掴まれた。

修平と翔太は硬い表情で立ち尽くし、彼らの間に立つ少女の目には、はっきりとした牽制と軽蔑の色が浮かんでいた。

麻衣はその様子を静かに見つめた。この家族の誰一人として自分を歓迎していないことは、火を見るよりも明らかだった。

だが彼女はそんなことを気にも留めず、無頓着に自分の荷物を持ち上げて中へ入り、一人一人に挨拶して回った。

修平は「あぁ」とだけ返し、背を向けて家の中に戻っていった。

他の家族もそれに続いて中へ入っていく。

麻衣が家に入ると、まずテーブルの上のケーキと壁の飾り付けが目に入った。彼女の口元に思わず冷笑が浮かぶ。

20年前、幼かった翔太がネームプレートを掛け間違えたせいで、遥香が伊藤家に引き取られ、自分は養父母に捨てられ、雪と氷の世界に置き去りにされた。

偶然下山した師匠に拾われていなければ、彼女は間違いなくあの冬に凍死していただろう。

伊藤家は1ヶ月も前には彼女を見つけ出し、真相を知っていたはずなのに、ずっと迎えに来ようとはしなかった。

高橋家の大旦那様から電話があり、伊藤家との縁談を持ちかけられ、さらに麻衣を嫁によこすよう指名されて、ようやく伊藤家は折れ、今日彼女を迎えに来る約束をしたのだ。

彼女は山で午前中ずっと待っていたが、結局伊藤家の人間は誰も来なかった。

なるほど、彼らの愛する娘の誕生日を祝っていたというわけだ。

麻衣は目を伏せた。きっと伊藤家の両親は、今日が自分たちの実の娘の誕生日でもあることなど、とうの昔に忘れているのだろう。

「今日は用事が長引いて、迎えに行けなかった」

この見知らぬ娘に対して、父親の修平はこれといった親愛の情を抱いていなかった。彼は上座に座ると、単刀直入に切り出した。「お前を呼び戻したのは、高橋家との婚約について話すためだ」

高橋家の名前が出た途端、それまで黙りこくっていた家族たちが一斉に口を開いた。

琴音は最初こそ建前でいくつか気遣うような言葉をかけたが、麻衣が何も答えないのを見るとすぐに愛想を尽かした。そこからは宗一郎を褒めちぎり、さらに遥香を持ち上げ、暗に麻衣は宗一郎には釣り合わず、遥香にしかふさわしくないと匂わせてきた。

一通り話し終えると、琴音は遠回しでありながらも有無を言わさぬ口調で告げた。「妹はずっと宗一郎くんのことが好きなの。この縁談は彼女に譲ってあげなさい」

修平が続けた。「お前にとって不公平なのは分かっている。だが伊藤家としても補償はするつもりだ。お前はまともな教育を受けていないと聞いた。ちゃんとした学校を探してやろう」

翔太は鼻で笑った。「山から下りてきたばかりの無学な田舎もんが、遥香と張り合おうなんて身の程知らずもいいとこだ。宗一郎がお前なんかに目もくれるかよ」

遥香は得意げな目をしながら、口先では恥ずかしそうに言った。「お兄ちゃん、そんな風に言わないで。宗一郎お兄ちゃんはそんな風に人を見下すような人じゃないわ。 それに、お姉ちゃんはただ学校に行ってないだけだもん。これからは私が教えてあげる!」

「全部、言い終わりましたか?」

麻衣は視線を上げ、何気ない様子で爆弾を投下した。

「私、もう高橋宗一郎と籍を入れましたけど」

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