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その男、後悔につき。〜姿を消した身重の妻と、狂愛のオークション〜 の小説カバー

その男、後悔につき。〜姿を消した身重の妻と、狂愛のオークション〜

実母の葬儀という悲しみの中にいた谷口花梨は、夫の清水浩司が初恋の女性のために豪華な誕生会を催している事実を知り、絶望の淵に立たされる。愛のない結婚生活に見切りをつけた彼女は、離婚届を残し、身ごもっていた子供を堕ろして独り静かに姿を消した。それから5年の歳月が流れ、オークション会場には、白いベールで素顔を隠しながらも圧倒的な存在感を放つ首席オークショニア、中野莉子の姿があった。執念深く彼女を捜し続けていた清水は、その正体が元妻の花梨であると確信し、ついに彼女を追い詰める。離婚は成立したと冷たく突き放す花梨に対し、清水は離婚に同意した覚えはないと激昂し、かつて失われたはずの我が子の行方を厳しく問い詰める。花梨は5年前に子供は死んだと告げるが、清水の背後には、彼女の言葉を覆すように5歳の三つ子の子供たちが並び立っていた。秘められた過去と再会が、止まっていた二人の運命を再び狂おしく動かし始める。後悔に苛まれる男と、自立の道を歩む女の愛憎劇が幕を開ける。
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「花梨、もうすぐ出棺だけど、浩司はまだ来ないの?」

谷口花梨は喪服姿で、母親の祭壇の前に正座していた。線香の煙とろうそくの灯りが、彼女の青白い小さな顔を照らしている。

彼女はうつむき、バッテリーが切れそうなスマホに目をやった。清水浩司からの応答は未だにない。

母親が亡くなり、花梨は妊娠7ヶ月の体で7日間も通夜と葬儀の準備に追われていた。それなのに、結婚して3年になる夫は1度も姿を見せていない。

浩司の仕事が忙しいことは、彼女もずっと理解していた。

彼は仕事で忙しいのだと、物分かりのいい妻として自分に言い聞かせた。

「たぶん忙しいから、来られないと思う」

花梨の頬には、まだ涙の跡が乾いていなかった。最後のお焼香を済ませると、重い体を支えながらなんとか立ち上がる。すでに枯れ果てた声で言った。「……そろそろ、出棺の時間です」

そばにいた叔母の佐々木恭子が、嫌味たっぷりに口を開いた。「花梨、清水社長がどれだけ忙しいか知らないけど、7日も顔を出さないなんて、お母さんのことを舐めすぎじゃないの」

従妹の谷口栞菜が鼻で笑った。「お母さん、違うよ。清水社長が気にしてないのは伯母さんじゃなくて、お姉ちゃんでしょ。あ、お姉ちゃんのお腹の子もね」

身内からの冷たい言葉が、やけに耳に障る。花梨は胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。それでも彼女は、結婚してからの彼はいつも完璧な夫だったと自分に言い聞かせる。わざと来ないわけじゃない、きっと仕事から抜け出せないだけだ、と。

そうやって自分を納得させた直後、現実は容赦なく彼女を打ち砕いた。

栞菜がスマホを見て、声を上げた。「これ、清水社長じゃない?トレンド入りしてるよ」

彼女はわざとらしく、そのスマホを花梨の目の前に突き出した。

花梨がうつむいて画面を見ると、それはトレンドに上がっている動画だった。今朝話題になったもので、撮影されたのは昨夜らしい。

タイトルにはこう書かれていた。「#清水グループ社長、本命の菊池瑞希を貸し切りで誕生日祝い」

動画の中では、映し出された夜空に、華やかな花火が乱れ咲く。椅子に腰を据えた男は、王者のような優雅さと威圧感を纏い、深い瞳で隣の女を静かに見つめている。女の子は打ち上がる花火を指差し、その笑顔は花火よりも輝いて見えた。

鮮やかな花火。しかし、花梨の視線はその男の後ろ姿にだけ釘付けになっていた。

見慣れすぎた姿だった。パッと見ただけで、動画の男が自分の夫である浩司だと分かった。

ーーじゃあ彼は昨夜、他の女のために花火を打ち上げて誕生日を祝っていたの?

花梨はしばらく頭が真っ白になり、体がこわばって動けなくなった。

花火の音に混じって、栞菜の嫌味な声が聞こえ続ける。「お姉ちゃん、義兄さんは忙しいって言ってなかった? 確かにすごく忙しそうだね。他の女のために貸し切りで誕生日を祝うのに忙しいんだ」

花梨は両手を強く握りしめた。頭の中は、浩司が他の女のために場所を貸し切って花火を上げる光景でいっぱいだった。

彼は仕事で忙しいのだと思っていた。

母親が亡くなるという重大な出来事でも、彼に迷惑をかけまいと、1人で必死に耐えてきた。

7日間。彼は彼女からの電話に1回も出る暇がなく、母親に線香を上げに来る時間もなかった。それなのに、他の女のために場所を貸し切って花火を上げる暇はあったのだ。

なんて滑稽なのだろう。

動画に映っている女は、浩司の初恋の相手であり、彼が深く愛している女だった。

対して彼女は、清水信一郎が、彼女の父親から受けた命の恩に報いるため、一生の保証を与えようと浩司に娶らせただけの妻にすぎない。

この3年、自分が愛されていないことは分かっていた。だから、自分のことで彼を煩わせるようなことは決してせず、何かをねだることすらなかった。

彼は冷淡でロマンチックなことなど分からない男だった。どんな記念日も祝わず、生活のすべてが仕事だった。

しかし今日になってようやく気づいた。彼はロマンチックなことが分からないのではなく、彼女に対してそうしたくないだけだったのだ。

浩司が打ち上げた盛大で華やかな花火は、花梨を誰よりも惨めな笑いものにした。

花梨は奥歯を噛み締め、胸に突き刺さる痛みを、必死に抑え込む。スマホから視線をそらし、少しでもみっともなく見えぬように——。

母親の出棺を取り仕切らなければならない。今はまだ倒れるわけにはいかなかった。

彼女は無理をして腰をかがめ、母親の位牌を抱きかかえた。そして周囲の冷ややかな視線を無視して、その場を歩き出した。

母が最期に「あの人に、もう一度会いたい」と漏らしていた言葉を思い出す。

あの時も彼に何度も電話をかけたが、出なかった。きっとその時も、彼は瑞希のそばにいたのだろう。

母親は、彼女が浩司とずっと幸せに暮らしていくことを望んでいた。

だが、それはもう叶わないのかもしれない。

1人ですべての手配を終え、親戚や友人たちが食事を済ませて帰った後。花梨は1人、食事会場の椅子にぽつんと座っていた。

遅れてやってきた浩司は、黒いシャツ姿だった。端正な顔立ちには相変わらず感情が読めない。しかし、花梨に視線を落とし、閑散とした状況を目の当たりにすると、普段は冷たいその顔に珍しく申し訳なさそうな色が浮かんだ。

彼女はお腹をかばいながら顔を上げ、彼を見つめた。これまで押し殺していた悔しさが、一気に込み上げてくる。

花梨は大きく深呼吸をし、その感情を無理やり飲み込んだ。表情には微塵の動揺も見せずに口を開いた。「仕事、やっと終わったの?」

彼は、彼女の震えるような声の弱々しさに気づかなかった。

「昼間は会議があった」

「じゃあ昨夜は? 誕生日は楽しかった?」

彼は眉をひそめた。だが、彼が答える前に、後ろから赤いワンピースを着た女が入ってきた。その肩には、浩司のジャケットが羽織られていた。

花梨の顔色がさらに沈んだ。

「花梨、ごめんなさい。昨日の夜、浩司は私と一緒にいたの。数日前に私の母が病気になっちゃって。私が1人で大変だろうって、彼が看病を手伝ってくれてたの。そのせいであなたのメッセージを見逃しちゃったみたい。全部私のせいよ。彼に迷惑をかけるべきじゃなかった」

瑞希の言葉を聞いて、花梨の胸にさらなる激しい痛みが走った。

「お母さんの病気、重いの?」

「ううん、大したことないの。ちょっと風邪を引いて熱が出ただけで、もうすっかり良くなったわ」

花梨の心臓は、まるで鋭いナイフで突き刺されたかのように激しく痛んだ。必死に感情を押し殺そうとしたが、赤く染まった目元と震える唇が、彼女の本音を物語っていた。

浩司はさらに眉間を寄せた。花梨の母親が亡くなったと知った時、彼は会議中だった。終わってから向かおうとした矢先、瑞希のほうでトラブルがあり、バタバタしているうちに妻のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。

理由はどうあれ、彼も申し訳ないとは思っていた。

男は歩み寄り、まずは花梨の母親に線香を上げようとした。しかし、彼女は手で彼を制止して言った。「いいわ。あちらのお母さんの方が大事なんでしょ。彼女とお母さんのそばにいてあげて」

浩司の足がピタリと止まった。

彼女はもうここに居たくなかった。立ち上がり、その場を離れようとする。

涙は流さなかった。価値のない人間のために泣くことなど、彼女のプライドが許さなかった。

妊娠7ヶ月になり、歩くのさえ少ししんどそうな彼女の背中を見て、浩司の胸に突然チクリとした痛みが走った。

瑞希は母親が風邪を引いた程度でパニックになり、ボロボロと泣きながら彼にすがりついてきた。なのに、花梨は母親が亡くなったというのに、たった1人で耐え抜いてきたのだ。

浩司は彼女を呼び止めようとした。 「どこへ行くんだ?妊娠してるんだから、あまり動き回るな」

花梨は自嘲気味に笑った。

ーーまだ私が妊娠していることを覚えていたのね。

身重の妻を放っておいて、他人の母親の看病に行く。彼が自分とお腹の子供のことなど、これっぽっちも気にかけていないのは明白だった。

望まれず、大切にされない子供は、生まれてきても幸せにはなれない。

彼女はうつむき、自分のお腹を見つめた。苦しみの中、何かを決意したかのように歩みを速め、そのままエレベーターに乗り込んだ。

浩司は胸騒ぎを覚え、追いかけようと足を踏み出した。しかし、瑞希が彼の腕を掴んだ。「浩司、お母様を亡くしたばかりで落ち込んでいるのよ。今は少し、一人にしてあげた方が……」

男は眉をひそめて瑞希をちらりと見ると、その手を容赦なく振り払い、冷たい声で言った。「あいつは今不安定だ。何をするか分からない。お前は先に帰れ」

浩司が外へ出た時、すでに花梨の姿はどこにもなかった。

車が行き交う通りを見つめながら、彼はスマホを取り出し電話をかけた。『彼女のスマホの位置を特定しろ。すぐに見つけ出すんだ』

端正なその顔には、わずかに焦りの色が浮かんでいた。

1時間後。

アシスタントから電話が入った。『社長、奥様は今、病院にいらっしゃいます』

『病院で何をしている?』

『ちゅう……中絶の手術です。それに、奥様は弁護士に離婚協議書を作成させ、すでに署名を済ませておられます』

耳の奥で、キーンという鋭い音が鳴り響いた。

浩司の深い瞳は、信じられないという驚愕の色で染まっていた。

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