娘の葬儀を逃した夫、転生した私に狂う の小説カバー

娘の葬儀を逃した夫、転生した私に狂う

9.4 / 10.0
午後3時14分、娘のチーちゃんが静かに息を引き取った。最期の瞬間まで「パパに会いたい」と泣き続けた娘の願いは届かず、夫の鷹司暁は愛人の新田凛と密会していた。娘の治療費を頼んだ際も、彼は愛人を優先して私を冷酷に突き放したのだ。絶望の底で娘を一人で見送った私は、自らの夢も人生も捧げて尽くしてきた5年間の犠牲を激しく後悔し、血の涙を流して彼を呪った。すると突如、眩暈と共に意識が遠のき、目を開けるとそこは1年前のパーティー会場だった。視線の先には、まだ命の灯が消えていない愛しい娘の姿がある。私はもう二度と、大切な宝物を理不尽な死に追いやるつもりはない。自らの手で運命を書き換えるため、私は夫の目の前で結婚指輪を床に投げ捨て、毅然と離婚を突きつけた。かつてJAXAの天才エンジニアという未来を捨てた私が、今度は娘を守り抜き、失ったすべてを取り戻すための戦いを始める。後悔に狂う夫を背に、私は愛する娘を抱きしめて新たな人生を歩み出す。

娘の葬儀を逃した夫、転生した私に狂う 第1章

「ご臨終です、午後三時十四分」

静まり返った病室に、医師の低い声が響いた。まるで遠い世界の出来事のように、西園寺靜の耳にはその言葉がうまく届かない。彼女の視線は、心電図モニターに映し出された、無慈悲な一直線に釘付けになっていた。ついさっきまで、か細くも確かに存在した命の波形が、今はただの水平な光の線と化している。

ピー、という耳障りな電子音が、娘の不在を告げ続けていた。

医師がチーちゃんの瞼をそっと持ち上げ、ペンライトで瞳孔を確認する。そして、静かに聴診器を首から外すと、深く、深く靜に向かって頭を下げた。その唇が動いているのは見えるのに、何を言っているのか全く頭に入ってこない。世界から音が消え、ただ目の前の光景だけがスローモーションで流れていく。

脳裏に、この三年間の記憶が洪水のように押し寄せる。初めて病名を告げられた日。抗がん剤の副作用で髪が抜け落ち、小さな頭を撫でながら一緒に泣いた夜。痛みに耐えきれず、「ママ、痛いよ」と泣き叫ぶ娘を、ただ抱きしめることしかできなかった無力な自分。

そして、最後に交わした言葉。

「ママ、パパは……会いに来てくれる?」

消え入りそうな声で、それでも期待を込めて尋ねた娘の顔。靜は答えられなかった。その答えられない問いが、今、麻痺した彼女の心臓を内側から抉る。

医師や看護師たちが、そっと病室から出ていく気配がした。母娘だけの最後の時間。靜は震える手を伸ばし、まだ微かに温もりが残るチーちゃんの頬に触れた。その瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。頬を伝い、シーツに染みを作っていく。

どれくらいそうしていただろうか。彼女は虚ろな目で、傍らに置かれたスマートフォンを手に取った。連絡先のトップに固定された「主人」という二文字が、これ以上ないほど皮肉に満ちて見えた。

指が震え、何度も画面をタップし損ねながら、ようやく鷹司暁の番号を呼び出す。コール音が、やけに長く感じられた。もう切れてしまうのではないかと思った、その時。

「『もしもし、鷹司ですが』」

電話口から聞こえてきたのは、夫のものではない、鈴を転がすような、しかしどこか計算された優しさを含む女の声だった。

新田凛。

その声を聞いた瞬間、靜の心臓がどす黒い氷の塊になった。胃の奥が痙攣し、吐き気さえ覚える。

「……鷹司暁は?」

喉から絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。

「『申し訳ありません、暁さんなら、今シャワーを浴びていますが……ご用件は?』」

申し訳ない、という言葉とは裏腹に、その声には微かな優越感が滲んでいる。完璧な妻の座を狙う女の、完璧な声。

シャワーを。浴びている。

娘が、死んだというのに。

靜は、笑った。涙が、その歪んだ笑みと共に頬を滑り落ちた。

チーちゃんの誕生日、暁はいつも「仕事だ」と言って帰ってこなかった。そのたびに、週刊誌が新田凛とディナーを共にする彼の姿を捉えていた。チーちゃんの高額な治療費を工面するため、頭を下げて金の無心をした時、彼は「凛を煩わせるな」と冷たく言い放った。

結婚して五年。将来を嘱望された宇宙航空学のエンジニアだった自分は、いつしか「鷹司夫人」という名の鳥籠に囚われ、翼をもがれたカナリアになっていた。

全ての我慢が、全ての犠牲が、この瞬間に滑稽な茶番劇と化した。

靜は、電話の向こうの女に、一言一句、はっきりと告げた。

「『新田さん、彼に伝えて、チーちゃんは死んだわ』」

相手の反応を待たず、一方的に通話を切る。

彼女はベッドに眠る娘の顔を見下ろした。苦しみから解放されたその寝顔は、まるで天使のように安らかだった。

「ごめんね、チーちゃん、ママ、もう間違えないから」

静かな約束を口にする。

靜はゆっくりと立ち上がった。最後に娘の掛け布団をそっと直し、その瞳から悲しみは消え、氷のような決意だけが宿っていた。

病室を出ると、待機していた看護師長に顔を向けた。

「火葬の手続きをお願いします」

「えっ……ですが、通常は旦那様のサインが……」

看護師長が驚きと戸惑いの表情を浮かべる。

「彼なら来ません」

靜は感情の欠片も見せずに言い切った。

「私が全責任を負います」

ふと、結婚時にサインさせられた夥しい量の書類の中に、緊急時の医療行為及び、死後の手続きに関する全権委任状があったことを思い出す。あの時は、これが何を意味するのか深く考えもしなかった。

スマートフォンからクラウドストレージにアクセスし、書類の控えを探し出す。あった。皮肉なことに、彼の不在を法的に証明する完璧な武器が、そこにあった。

靜は自嘲の笑みを浮かべ、そこから先の行動は驚くほど冷静だった。火葬場に連絡を取り、小さな、白い花の模様が入った骨壷を選んだ。まるで、たった今、世界の全てを失った母親とは思えないほど、淀みなく、淡々と。

彼女の心の中では、別の計算が始まっていた。この五年間の結婚生活。この男のために諦めた夢。失われた時間。その全てを清算する。

離婚。それが第一歩だ。

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