
臥待ち月の情人 〜月曇り〜
章 2
「ああ、申し訳ありません、この季節、扱っていないんですよ。すみませんねえ」
ぶつぶつ言いながらがに股で出て行く中年の男の背中に、店主の相良京一郎(さがらきょういちろう)はべっと舌を出した。
住宅街の片隅にある花屋、煌(きら)。 一年中、珍しい花を置いているのには訳がある。 すぐ近くに建つ大きな屋敷、「臥待月」の客のためにだけ存在する花屋である。 「煌」とは、別名、綺羅星。和名で金星のことをそう言う。 月のそばでひときわ輝く、宵の明星からその名が付けられたらしい。
「臥待月」は、知る人ぞ知る隠れ宿。 上等な男娼が、一晩にひとりだけの客を取る。宿に「選ばれた」と言っても過言ではない客は大枚をはたいて、指定された花を目印に宿の門をくぐる。 その花は、季節をはずすと簡単に手に入らないものも多く、それを準備できず諦める者や、持たずに訪れ入館を断られる者もいる。 それでもなんとかして宿を訪れたい者が、調べに調べて宿の近くで営業する「煌」を見つけ出す。偶然に見せかけて、実は計算されているのだ。 「煌」は目立つ看板もなく、前もって知らなければ、ただの住宅にしか見えない。入るのを躊躇うほど、ぱっと見にはわからない仕組みだ。
「ったく、最近はろくな客が来ねえ。どうなってんだ」
「……京一郎さんのところに来るまでに、チェック通ってるんじゃなかったんですか」
陽はピンクの薔薇がグラデーションになって刺さっている花器に顔を近づけた。京一郎は椅子に乱暴に腰を降ろして、わざとらしく足を組んだ。
「そのはずだったんだがな…一度、仲介人も総入替しないと駄目みたいだ。資産と性癖くらいしかチェックしてねえな、こりゃ」
「臥待月」は、最近オーナーが資産家、相楽丈一郎氏から、三男の相楽晴登(さがらはると)氏に代わったばかり。
男娼のひとり、新城夕(あらしろゆう)が客に刺されて大怪我を負い、半年間休館を余儀なくされた。リニューアルを兼ねて、先週から再開したばかりだ。 夕の怪我を看たのが、京一郎さんだった。元オーナー丈一郎の腹違いの弟で、医師免許を持ちながら、のんびりと花を売る。
しかし実は、この京一郎さんの目に叶った男でなければ、「臥待月」の門はくぐれないようになっている。 資産、職業、健康状態、性癖……そして、犯罪歴まで調べ上げられる。 もしも危険な客と判断された場合、直接守衛に連絡が入り、門が閉められ、灯りも消される。言葉の通り、門前払いをくらうのだ。 が、稀に彼ですら見抜けない輩も混じることがあるらしい。それが先日の事件だった。
「臥待月」で男娼として働く俺、波多野陽(はたのあき)は、その仕事の様子を見に、初めて「煌」を訪れた。
「金がありゃいいって訳じゃないんだよな~、やっぱ人間、品よ、品。そう思わねえ?」
「はあ…」
品が大事と言いながら、京一郎さんは大きく口をあけて笑った。 見た目はなかなかにいい男だが、べらんめえ口調が玉にキズだった。夕のことがあってからよく話をするようになったが、丈一郎(じょういちろう)氏や晴登さんと同じ、相楽家の人間とは思えなかった。
年齢は、丈一郎氏よりも長男の弓(ゆづる)さんに近い。30代後半といったところだ。
「あの、京一郎さん」
「あん?」
「京一郎さんは、お客さんのどこを見て…判断しているんですか」
「ん~~…そうだな…」
京一郎さんは立ち上がり、俺の前に立った。そして額の真ん中を人差し指で強く押した。
「俺は医師免許を取る前、あんまり人に言えない仕事をしてたことがあんだわ」
「人に…言えない仕事…?」
「そこで、人を見る目を養われたっていうか…あぶねえな、こいつ、っていうのは見抜けるようになったんだな…まあ、たまに見逃しちまうこともあるけど」
「…見抜ける…ですか」
「そうそういるもんじゃねえけどな、そんなトンデモナイ奴は」
医師免許を持っているまだ若い京一郎さんが、なぜ医者じゃないのかは、「人に言えない仕事」に就いていた経歴が関係するのだろうか。明るい性格の彼のことだから、聞けば簡単に教えてくれるかもしれないが、俺は聞くのはやめておいた。
「それはさておき、夕の調子はどうだ?」
「おかげさまで…この間久しぶりに客を取りましたけど、満足して帰られたので、すっかり元通りかと…」
「そうか……陽、あのな」
「はい?」
京一郎さんの雰囲気ががらりと変わった。鋭い視線に俺は怯んだ。
「よく、見ててやってくれ。あいつはたまに、感情に蓋をする。辛くても気づかないふりをするんだ」
「……はい」
「あいつと、寝たか?」
「………」
「あー…、ごめん。プライベートに踏み込んで悪いんだが…ひとりきりだと、ひどく危ういんだ、夕は。だから…」
「危うい…?」
「ああ、頼むよ。やっと、心を開ける相手がみつかったみたいだからな」
夕が心を開ける相手。 まだ少しずつだけれど、確かに俺に心を開いてくれている。 京一郎さんの言葉が素直に嬉しく、しかしその裏に何かひっかかるものを感じながら俺はうなづいた。
この人は、夕の何を知ってるんだろう。
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