
旦那様、もう降参を。奥様は“表も裏も”すべての顔を持つ女です
章 2
森田雫怜を受け取り、安藤優真と森田家の三兄弟が彼女を数言慰めた直後、彼らの目の前に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。 両手を縛られたまま、テロ組織の誘拐犯たちを次々とねじ伏せていく、森田柊音の姿だったのだ。
冗談だろう? そんなことが、
あってたまるか!
両手を縛られた状態どころか、たとえ全盛期の彼女であったとしても、あの森田柊音なのだ。 肩に荷すら担げず、ひ弱で、何の力もない。 格闘技を教える師匠にさえ、その愚かさに呆れられ「役立たず」と罵倒された、あの柊音が!
その程度の腕前で、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた誘拐犯たちと、互角に渡り合うだと?
夢物語にも程がある!
だとすれば、唯一の説明は一つ――
この誘拐犯たちは本物などではない。 すべて森田柊音が金で雇った、手練れの役者たちだ! この女はきっと、昔と同じように、俺の気を引くために、こんな大掛かりな芝居を打ったに違いない!
だが、よりにもよって、馨までこの危険な状況に巻き込みやがった!
そこまで考え至ると、優真のこめかみの血管が、ぴくぴくと激しく脈打つのを感じた。
怒りが、優真の全身を焼くように駆け巡る。
ほとんど歯ぎしりにも近い口調で、彼は柊音に向かって咆哮した。
「はっ!そうか、すべてはお前の仕業だったんだな、森田柊音!この誘拐犯たちも、お前が仕向けたんだろう!森田柊音、森田柊音……てっきりお前はもう完全に目を覚ましたかと思って、もう少し懲らしめてから助けてやろうとまで考えていたのに、まさかここまで懲りない女だったとはな!またもや同じ手口を使いやがって!」
「俺のことが、 そんなにも好きなのか? 馨にまで衆人環視の中で手を出すほどに!?」
雫怜は、怯える小鳥のように優真の胸に身を寄せたまま、信じられないといった面持ちで、その薄い唇を震わせた。 「まあ、お姉ちゃん……そんなにも、私のことが憎いんですか?でも、私、お姉ちゃんと何かを争おうなんて、一度だって思ったことないんですよ?もし、もしお姉ちゃんが、そこまで私のことを憎んでいらっしゃるのなら、私、ここから出ていきますから……」その細い肩を震わせ、今にも泣き出しそうな声で続けた。
「もしお姉ちゃんが、私が邪魔だと思われるなら、私が今まで積み上げてきた研究成果も、全部お姉ちゃんに差し上げますから……」
「森田柊音!」雫怜の、一見か弱く力のない言葉は、しかし、傍らに立つ三人の兄たちの心臓を深く抉った。
三人が柊音に向ける視線は、まるで彼女を生きながらにして皮を剥ぐかのような、生々しい憎悪に満ちていた。
「俺たち三兄弟が、どれだけ巡り合わせが悪かったら、お前みたいな性悪な妹を持つことになるんだ!馨こそが、俺たちの本当の妹だったらどれほどよかったか!お前なんて……お前は森田家最大の恥だ!」
次々と浴びせられる言葉の刃は、柊音がこの二年間に受けた、すべての屈辱を鮮やかに呼び起こした。
彼女が仇敵に誘拐された、まさにその翌日、父親は外に囲っていた私生児を森田家に迎え入れたのだ。
森田家に迎え入れられた私生児、雫怜は、瞬く間にあらゆる分野で非凡な才能を開花させ、同時に、記憶を失って家に戻ってきた柊音を、まるで何の価値もない存在であるかのように貶めていった。
森田家は、ことあるごとに雫怜を伴い、その非凡な才を誇示するようになった。 そして、あろうことか、柊音の婚約者である安藤優真の心までも、彼女は惹きつけてしまったのだ。
それだけなら、まだ耐えられた。
柊音から居場所を奪った雫怜は、飽き足らず、森田家のお嬢様の座までをも狙っていた。 そのために、柊音が家に戻ってからのこの二年、雫怜は何度も彼女を巧みに陥れ、優真と三人の兄たちの柊音に対する憎悪を、ますます深く根付かせていったのだ。
それだけではない。 周到に計画された災難で、彼女を殺しかけただけでなく、優真と三人の兄たちの目の前で、あたかも命の恩人であるかのように、彼女を救うふりまでしたのだ。
その結果、この二年という歳月の中で、森田家、優真、そして三人の兄たちにおける柊音の地位は、ただ一方的に転落するばかりだった。
そして今日、雫怜は柊音を無理やり連れ出し、結果として二人揃って誘拐されるという事態に陥った。
それゆえ、誘拐犯たちが優真と三人の兄たちに、二人から一人を選ぶよう要求した時、彼らは微塵の迷いもなく、雫怜を選んだのだ!
かつて堂々たる森田家のお嬢様が、衆目の前で辱めを受ける寸前まで追い込まれたとは。 なんという滑稽さ、なんという悲哀か。
もし、記憶を失ったままの森田柊音であったなら、今日、彼らの思い通りに、無残に蹂躙されていたことだろう。
だが――残念なことに。
今の彼女は、すべての記憶を取り戻していた。 かつて極道の世界で過ごした、血生臭く残酷な四年間。 それは、優真に抱いていた甘やかな愛を、一片の虚無へと変え去ってしまった。
この二年、 優真が雫怜のために柊音にしてきた数々の仕打ちを思えば、 なおさら、
その愛は跡形もなく消え失せていた。
そこまで思い返したところで、柊音はふと、まるで何事もなかったかのように手を上げ、自らを縛っていた縄をやすやすと解き放った。
そして、ゆっくりと優真たちの方へ向き直り、静かに歩み寄る。
「へえ?」 「芝居、 ねぇ?」 「恥辱、 か。」
柊音は、嘲るように軽く、そして低く笑った。
笑ってはいるが、その声には凍えるような冷やかさと、骨の髄まで染み渡るような底知れぬ軽蔑が宿っていた。
その研ぎ澄まされた口調と、乾いた笑い声は、優真たちの心を不意に、深い恐怖で震わせた。
優真たちが、その異様な気配に反応する間もなく、次の瞬間、柊音はすっと笑みを消し、氷のような、研ぎ澄まされた表情で言い放った。
「だったら、
徹底的に演じてやるわ!」
言い終わるが早いか――
「パァン!――」
柊音は間髪入れず数歩前に踏み込み、不意に手を振り上げた。 その熱い平手打ちが、優真の端正な横顔を、容赦なく激しく打ち据えた。
乾いた平手打ちの衝撃音が、凍りついた空気に劈くように響き渡った。
その場にいた誰もが、呆然と、その光景に目を奪われた。
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