
ゴミ扱いされた私が、実は世界的権力者だなんて言えない
章 2
翌朝。
上京市に降り立った池田新奈は、雲頂ホテルの一室にいた。
設備の整ったスイートルームで、彼女は上着を無造作にソファへ投げ捨てると、床まで届く大きな窓の前へと歩み寄った。
天を突く高層ビル、絶え間なく流れる車の河。
久しく目にしていなかった光景だった。
そう。
6歳の時、母は殺され、彼女は人里離れた山奥に捨てられた。
その全ての元凶は、池田家。
もし師匠夫妻が拾ってくれなければ、彼女はとうの昔に、跡形もなく死んでいたに違いない。
今ここに戻ってきたのは、復讐を遂げ、本来自分のものであるはずのすべてを取り戻すためだけである。
思考の渦から我に返ると、新奈はポケットからペンダントを取り出し、太陽の光にかざしてみた。あの負傷した男から外してきたものだ。
洗い上げられた宝石は息をのむほど澄んだ輝きを放ち、一目で高価な品だと知れる代物だ。
ペンダントを握る手に自然と力がこもる。その掌に残る感触をどこか名残惜しく感じていた。
彼女は紐を通し、ペンダントを首にかけ、鏡の前に立って静かに映してみた。
(なかなか似合う。このまま掛けておこう)
ペンダントをそっと服の内側へとしまい込むと、新奈はスマートフォンのIPアドレスを切り替え、ニュースアプリを立ち上げた。
ページが切り替わると同時に、黒々と太く組まれた大きな見出しが、視界に飛び込んできた。
「#池田家令嬢・池田知里、重傷で意識不明。池田家、破格の謝礼で献血を募る!」
新奈の目は、その見出しに吸い寄せられ、タップして詳しい内容を開いた。
池田知里は交通事故で大量出血し、その血液型が希少なRHマイナスであることから、病院の血液バンクの在庫が逼迫しているという。
池田家は破格の謝礼を掲げて献血を募っていたが、実際に足を運ぶ者は、ほとんどいなかった。
新奈の唇の端に、抑えきれない笑みが静かに浮かんだ。
(なんとも都合のいい事故だこと)
池田家に入り込むには骨が折れるだろうと覚悟していたが、まさかこんな形で好機が転がり込んでくるとは。
スマートフォンを閉じ、新奈はソファに深く身を沈めた。目を閉じ、胸の内で、渦巻く思考を一つひとつ撫でつけるように整理していく。
RHマイナス。きわめて稀少な血液型――しかし、彼女は持っている。
今の彼女に必要なのは、「身分」だ。上京市で自分が足場を固められるような、そんな身分が。
心を決めると、新奈は上着を掴み、迷いなく部屋を後にした。
彼女が望むのは、ただ池田家へ戻ることではない。彼らに懇願させ、その上で、自分こそが池田家の正統な令嬢であることを世間に向かって盛大に公表させることだった。
上京市第一総合病院。
池田正徳が車を降りたその瞬間、新奈が立ちふさがり、その行く手を遮った。
たった一目見ただけで、正徳は全身を硬直させ、その場に石のように立ち尽くした。
「お前は……」
新奈は目の前の男をまっすぐに見据え、唇の端を微かに持ち上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「池田さんとお呼びすべきかしら?それとも……お父様?」
その言葉は、重い雷鳴となって、容赦なく正徳の胸元へと叩きつけられた。
彼は新奈を射抜くように見つめたまま、しばらく声を発することができなかった。
新奈はただ静かにそこに立ち、彼の視線を浴び続けた。
見つめれば見つめるほど、彼の脳裏には、すでにこの世にいない彼女の母の面影が、いっそう鮮やかに浮かび上がってくるのだった。
(もし良心の欠片でも残っているのなら――罪悪感に苛まれるがいい!)
父と娘は、互いにどれほど見つめ合い、どれほど沈黙を重ねたことだろうか。
やがて、耐えきれなくなったように正徳が口を開いた。「お前……本当に、新奈なのか?」
新奈は表情を消して答える。「お父様、DNA鑑定でもしに行ってみますか?」
「いや、いい……」正徳は、老いた目に今にも涙を溢れさせんばかりだった。「お前は、若い頃のお母さんにそっくりだ」
その言葉に、新奈は思わず鼻で笑った。
(あの時、彼が富と栄華に目が眩み、妻と娘を捨てなければ、母は惨殺することも、私が十数年もの間、路頭に迷うこともなかった!)
(どの面を下げて、今さら母の名を口にするのか)
「RHマイナスの血液なら、私が持っているわ」
新奈はそう言い放つと、踵を返して病院の中へ向かった。
一瞬の驚喜の後、正徳は我に返り、慌てて彼女の後を追った。
父と娘は、やがて集中治療室の前へと辿り着いた。
透明なガラス窓の向こう、青白い顔をした少女がベッドに横たわり、全身を無数の管でつながれている姿が見えた。
「私の血が欲しいなら、あげてもいい。ただし――条件がある」
彼女はガラス越しに冷然と一瞥をくれると、唇に意味ありげな笑みをうっすらと浮かべた。「私が望むのは――池田家の正統な令嬢として家に戻ること。そのために、盛大なお披露目会を開いてもらうわ」
正徳の顔色が、わずかに曇る。「新奈……住むところがないなら、家を買ってやる。 だが、池田家に戻るというのは、その……」
彼は最後まで言葉を口にしなかったが、新奈には言わんとすることが手に取るようにわかった。
(たとえ彼が頷いても、池田家の連中が首を縦に振るはずがない、とか)
「池田家が私の条件を飲めないというのなら、私も池田知里を助ける義理はありませんね」
そう言い捨てると、新奈は身を翻し、迷いなくその場を後にした。
正徳は慌ててその背中を追いかけ、縋るように彼女の腕を掴んだ。「待ってくれ、新奈!父さんが家に戻って、皆と相談してくるから……」
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