
彼は私が黙して耐えると思っていた
章 2
高橋 佳奈 POV:
翌朝、私は都心の静かなカフェで、親友の相沢樹里と向かい合って座っていた。
コーヒーカップから立ち上る湯気は、骨の髄まで染み込んだ冷たさを温めるにはほとんど役立たなかった。
樹里は、その仕立ての良いジャケットのように鋭い頭脳を持つ離婚弁護士だ。
彼女はカフェラテをかき混ぜながら、私に視線を固定した。
「本気なのね」
それは質問ではなかった。
「心臓発作みたいにね」
彼女は背もたれに寄りかかった。
その表情は、驚きと、安堵にも似た何かが混じっていた。
「佳奈、あなたがどれだけあの男を愛していたか、私は見てきたわ。彼のためにキャリアプランを全部立て直して、彼を支えるために彼の事務所に移って、彼の殺風景なミニマリストの趣味に合わせて家を飾り付けて。彼が好きだからって、ブラックコーヒーまで好きになったじゃない」
「疲れたの、樹里」
私は囁いた。
その言葉は薄っぺらで、不十分に感じられた。
「もう、頑張るのに、ものすごく疲れたの」
そして、私は残りの話を打ち明けた。
「彼女が、戻ってきたの」
名前を言う必要はなかった。
樹里の目は瞬時に硬くなった。
彼女は知っていた。
もちろん、知っていた。
五十嵐いずみ。
その名前は、5年間、私の皮膚の下に刺さった棘だった。
私の結婚生活における、絶え間ない、微熱のような感染症。
彰人さんはプライバシーに異常に執着し、パソコンにはパスワードとロックされたファイルの要塞を築き、彼のスマホは立ち入り禁止だった。
「俺には俺のスペースが必要なんだ、佳奈」
私が彼の画面に表示された通知をちらりと見ただけで、彼はそう言った。
それなのに、彼がパスワードを忘れたと言い張る昔の大学時代のSNSアカウントは、彼女と過ごした日々の公開ギャラリーだった。
キスをしている写真には、私には決して理解できない内輪のジョークが添えられていた。
彼は私を妻にしたけれど、彼女を公の歴史として残し続けた。
棘はさらに深く食い込んだ。
彼が初めて私を彼のお気に入りのイタリアンレストランに連れて行ってくれた時のことを思い出す。
ニョッキを試すようにと、彼は強く勧めた。
「今まで食べた中で最高だよ」
彼はそう約束した。
後になって、彼と五十嵐いずみが同じ席で、空になったニョッキの皿を挟んで写っている写真を見た時、私は気づいた。
彼は私にお気に入りの料理を分け与えていたのではなく、彼女との思い出を追体験していたのだ。
彼は私と過ごした5年間、他の誰かと過ごした人生を再現しようとしていた。
私は彼のパートナーではなかった。
彼自身の過去の再演における、代役、幽霊女優だった。
彼は私をないがしろにしただけではなかった。
彼は積極的に私を消し去り、彼女が残した空虚に合う形に私を押し込めようとしていたのだ。
「今日中に書類を作成しておくわ」
樹里は言った。
その声は固く、私を痛ましい記憶の渦から引き戻してくれた。
「本当にいいの、佳奈?一度提出したら、もう後戻りはできない。彼がどんな人間か知ってるでしょ。徹底的に争ってくるわよ」
「分かってる」
私は言った。
「彼はこれを、関係の終わりじゃなくて、自分の権威への挑戦だと捉えるでしょうね」
樹里は最初から彼について警告してくれていた。
「彼はあなたを、まるで手に入れたばかりの美しい絵画みたいに見るのよ」
私たちの結婚式の後、彼女はそう言った。
「この人なしでは生きていけない、っていう女性を見る目じゃない」
私は聞く耳を持たなかった。
愛は築き上げられるものだと信じていた。
私の忍耐と献身が、いつか報われると。
「ねえ」
私は空が暗くなり始めるのを窓の外に見ながら言った。
「みんながストーブは熱いって言うじゃない。でも、『熱い』がどういう意味か、本当に理解するのは、自分で触ってみるまで分からないものなのね」
突然、土砂降りの雨が降り始めた。
雨がカフェの大きな窓を叩きつけ、外の世界をぼやけさせる。
数分後、樹里の婚約者である、優しくて穏やかな男性、誠さんが傘を持って現れた。
「これ、いるかと思って」
彼はそう言って彼女に傘を手渡し、優しく彼女の額にキスをした。
「もう行くかい?」
「もう少し」
彼女は彼を見つめながら、目を和らげて言った。
「佳奈、送っていこうか?」
二人の間の気楽な愛情、さりげない、無意識の思いやりは、私の結婚生活の計算された取引とはあまりにも対照的だった。
彰人さんと私には、そんなものはなかった。
私たちにはスケジュールと義務があった。
同じ住所と、同じ苗字を共有していたけれど、私たちの心は別の街にあった。
「ううん、大丈夫」
私は無理に笑顔を作った。
「雨が弱まるのを待つから」
私は二人が去っていくのを見送った。
一本の傘の下で寄り添い、完璧なパートナーシップの絵のようだった。
疑問が私の心の中で響き渡った。
何年も押し殺してきた疑問。
なぜ、彰人さんにとって私を愛することは、そんなに難しかったのだろう?
私は十分に賢くなかった?
十分に美しくなかった?
十分に…足りなかった?
雨がガラスを伝って流れ落ちる。
冷たい顔に流れる涙のようだった。
そして、その答えが、物理的な打撃のような力で私を襲った。
とてもシンプルで、そして、あまりにも打ちのめされる答え。
それは、私とは全く関係なかったのだ。
私が世界で最も完璧な女性だったとしても、関係なかった。
彼はただ、私を十分に愛していなかった。
そして、これからも決して愛することはないだろう。
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