
彼は私が黙して耐えると思っていた
章 3
高橋 佳奈 POV:
雨はやがて優しい霧雨に変わった。
私はコーヒー代を払い、重いガラスのドアを押して外に出た。
ひんやりとした湿った空気が、感覚を心地よく刺激する。
濡れた歩道に足を踏み出すと、見慣れた車がすぐ先の縁石に停まった。
艶のある、黒いアウディ。
彰人さんの車だ。
心臓が胸の中で鷲掴みにされた。
彼は車から降りたが、私を見てはいなかった。
助手席のドアを開けている。
クリーム色のトレンチコートに身を包んだ五十嵐いずみが現れた。
その赤茶色の髪が、どんよりとした光を捉えていた。
彰人さんはようやく私に気づいた。
彼の目に驚きはなかった。
罪悪感も。
ただ、平坦で、冷たい苛立ちだけがあった。
私が彼を尾行したとでも思ったのだろう。
私は彼らを無視し、スマホのカーシェアアプリを起動することに集中した。
これ以上、面倒なことになるのはごめんだった。
待っている車に向かって小さな脇道を渡ろうと縁石から降りた瞬間、私のヒールがでこぼこした敷石に引っかかった。
鋭く、焼けるような痛みが足首を駆け上がった。
私は叫び声を上げ、よろめき、スマホが濡れたアスファルトに音を立てて落ちた。
彰人さんは動かなかった。
彼は、私が足元をふらつかせ、足首がズキズキと痛むのに苦労しているのを、無表情な顔で見ていた。
彼は私から顔を背け、五十嵐いずみに何かを言うと、私がたった今出てきたばかりのカフェに入っていった。
彼は私のすぐそばを通り過ぎた。
その高級なコロンの香りが、湿った空気の中に幻のように漂う。
まるで私が、ただの他人、歩道にいる邪魔な障害物ででもあるかのように。
私はレンガの壁にもたれかかり、足首から脈打つ痛みの波に、叫び出さないように唇を噛みしめた。
足首は急速に腫れ上がっている。
全く体重をかけられない。
一分後、彰人さんが蒸気の立つカップを二つ持ってカフェから出てきた。
彼は私の元へ大股で歩み寄ってきた。
その表情は読み取れない。
「行くぞ」
彼は言った。
その声はぶっきらぼうで、焦れていた。
大丈夫かと尋ねることも、助けを申し出ることもなかった。
彼は、命令した。
「待っててなんて頼んでない」
私は歯を食いしばりながら言い、自力で立ち上がろうとした。
彼は私の抵抗を無視した。
イライラしたため息をつくと、彼はカップを車の屋根に置き、かがみ込み、私が抵抗する前に私を腕の中に抱き上げた。
彼の動きは効率的で、人間味がない。
まるで荷物を積み込んでいるかのようだった。
彼は私を助手席に降ろし、ドアを乱暴に閉め、運転席に乗り込んだ。
彼はカップの一つを私に手渡した。
ブラックコーヒー。
彼の好みで、私のではない。
私は一言も言わずに、それをカップホルダーに押し戻した。
車内の沈黙は重く、息が詰まるようだった。
後部座席で、五十嵐いずみが咳払いをした。
「あ、彰人さん、ちょっと車酔いしちゃったみたい」
彼女は言った。
その声は柔らかく、繊細だった。
「私、すぐこうなっちゃうの、知ってるでしょ」
即座に、彰人さんの態度ががらりと変わった。
「ああ、そうだったな」
彼は言った。
その声は、私の胃をむかつかせるほどの気遣いで和らいでいた。
「忘れてたよ。ほら、昔、箱根の別荘までドライブした時みたいだな、覚えてるか?あの時もずっと顔色悪かったもんな」
「でも、彰人さんが看病してくれたじゃない」
彼女は囁いた。
その声に笑みが含まれているのが聞こえた。
「いつもそうだった」
二人は気楽な思い出話に花を咲かせた。
彼らの共有する過去は、私が意図的に締め出されている、温かく、排他的なクラブのようだった。
私は自分の夫の車の中で、まるで侵入者のように感じた。
プライベートな会話を盗み聞きしている、見知らぬ他人のように。
私たちは古い植物園のそばを通り過ぎた。
そのガラスのドームが雨の中でキラキラと輝いている。
喉が締め付けられた。
彼は最初のデートで私をそこに連れて行ってくれた。
そこは街で一番好きな場所で、静かな聖域なのだと彼は言った。
熱帯植物の部屋にある大きなイチジクの木の下で、彼は初めて私にキスをした。
私はその思い出を大切にし、彼がいつか、私に対して本物の何かを感じてくれた証拠として、胸に抱きしめてきた。
今、彼と五十嵐いずみが大学時代のドライブ旅行や共有の思い出について話しているのを聞いて、吐き気を催すような事実に気づいた。
彼は私に彼の聖域を分け与えたのではなかった。
彼は、すでに彼らにとって神聖な場所に、私を連れて行っただけだったのだ。
私は、私のものではない思い出の中の、ただの訪問者に過ぎなかった。
私の頭の中に、他の何百もの出来事がフラッシュバックした。
彼が愛したジャズクラブ、彼が頻繁に通った古書店、彼がいつも注文する特定の銘柄のワイン。
それらのどれか一つでも、私たちのものだったのだろうか?
それとも私はただ、彼がすでに彼女と生きた人生の残響の中で生きていただけなのだろうか?
痛みと精神的な疲労に、ついに私は打ちのめされ、うとうとしてしまったらしい。
目が覚めた時、私たちは家のドライブウェイに停まっていた。
後部座席は空だった。
五十嵐いずみはもういない。
彰人さんは私の腫れた足首を見ていた。
「わざと捻ったのか?」
彼は尋ねた。
その声は低く、非難に満ちていた。
「あれは、何かの気を引くための芝居だったのか、佳奈?」
彼の言葉の馬鹿馬鹿しさ、その純粋で、混じり気のない自己愛に、私の中の何かがぷつりと切れた。
「ええ、そうよ、彰人さん」
私は言った。
その声は、自分でも持っているとは知らなかった皮肉に満ちていた。
「もちろんよ。あなたが私の存在に気づいてくださるかもしれない、万が一の可能性に賭けて、わざと怪我をしたの。私の全世界は、あなたの気を引くために回ってるのよ、知らなかった?」
「馬鹿なことを言うな」
「馬鹿なことを言ってるのは私じゃないわ」
私は言い返し、彼の方を完全に向いた。
「何が馬鹿げてるか教えてあげる。私があなたを必要としていると、一瞬でも信じていることよ。あなたと出会う前も、私は優秀な建築家だった。そして、あなたがいなくなった後も、私は優秀な建築家であり続けるわ」
彼の目に、危険な光が宿った。
「それは、挑戦か?」
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