フォローする
共有
四十九冊の本、ただ一つの清算 の小説カバー

四十九冊の本、ただ一つの清算

夫・彰人が不貞を働くたび、私の本棚にはその代償として希少な古書が増えていく。四十九回の裏切りと、沈黙を買うための四十九冊の謝罪。そんな歪な均衡は、彼のあまりに無慈悲な嘘によって崩壊した。彰人は亡き父との約束を反故にし、高校時代の恋人・樹里にマンションを買い与えるため、父の授賞式を欠席したのだ。さらに彼は、私の母の追悼庭園を樹里の愛猫の墓で汚すことを許し、あろうことか私に「彼女への思いやりを持て」と言い放つ。私の流産という深い悲しみさえ不倫相手に漏らしていた彼に、もはや慈悲の心など残っていない。母の記憶と自らの尊厳を蹂躙された私は、彼と共に築き上げた偽りの日々をすべて解体することを決意する。私は数々のキャリアを葬ってきた選挙プランナーだ。眠る夫の端末に盗聴器を仕掛け、反撃の準備を整える。次に本棚へ並ぶのは、彼からの謝罪の品ではない。私による冷徹な清算の記録であり、彼への最後通牒となるのだ。
共有

2

翌朝、私は彰人が身支度をするのを見ていた。

彼が選んだのは、私が「信頼できそうに見える」と言った、紺色のスーツ。

彼は手慣れた様子でネクタイを結び、鏡に映るその姿は、街を勝ち取る準備ができた男そのものだった。

「今日は大事な日だ」

彼は腕時計を確認しながら言った。

「午前中は財務委員会の会議でいっぱいだ。本当に骨が折れるよ」

「そう」

私はコーヒーをすすりながら言った。

「頑張って」

彼は私の額に、義務的なキスをした。

そしてブリーフケースを掴む。

「待ってなくていい。遅くなるから」

ドアがカチリと閉まった。

私は一分間待ってから、ヘッドフォンをつけ、スマートフォンのアプリを開いた。

彼の車のブルートゥースが接続され、突然、私は彼の助手席にいることになった。

彼が運転するにつれて街の騒音は遠のき、いつも彼が聴いているソフトロックのラジオ局の音楽に変わった。

そして、彼の電話がダイヤルされる音。

「やあ」

樹里のねっとりと甘い声がヘッドフォンから聞こえてきた。

気分が悪くなるほど甘ったるい。

「やあ」

彰人は答えた。

彼の声は、真面目な政治家のものから、どこか柔らかく、若々しいものに変わっていた。

「今向かってる」

「彼女、まだ信じてるの?」

樹里が尋ねた。

その声には鋭い棘があり、私を苛立たせる所有欲がにじみ出ていた。

「その『忙しい候補者』の演技」

「樹里、やめろよ」

彼は言った。その声には疲労の色がにじんでいた。

「何よ?ただ聞いてるだけじゃない」

彼女の声は守りに入った。

「なんで彼女と一緒にいるのか、私には理解できないだけ。彼女、すごく冷たいじゃない。政治キャンペーン用にプログラムされたロボットみたい。心臓、動いてるの?」

熱い怒りがこみ上げてきた。

私は彼の過去三回の選挙を仕切った。

彼を聡明に見せるスピーチを書いたのは私だ。

彼を無敵に見せる討論会で指導したのも私。

私が、彼が演じている男の設計者なのだ。

「それは言い過ぎだ」

彰人は言ったが、その言葉に力はなかった。

形だけの弁護だった。

「どうでもいいけど」

樹里は大げさにため息をついた。

「早く来て。あなたにサプライズがあるの。私たちの新しい家を、本当に、心から私たちのものだと感じられるようにする何かよ」

「へえ?なんだい?」

「見ればわかるわ」

彼女の声は、共謀者のような囁き声に変わった。

「ダーシーさんのことよ。彼の思い出を称えるのに、完璧な方法を見つけたの」

ダーシーさん?

私は記憶を探った。

樹里は数年前に死んだ猫を飼っていた。

彼女はそのことを延々と投稿し、公の場で悲しみを演じていた。

「それは素晴らしいな、ハニー」

彰人は言った。

「君が必要なことなら、何でもサポートするよ」

「知ってるわ」

彼女は甘えた声を出した。

「今から庭に行って、準備をしておくわ」

庭。

私の血の気が引いた。

まさか、あの庭のことを言っているのではないだろう。

健司記念市民庭園。

母が亡くなった後、父が心血を注いで造ったあの庭。

その中心には、母、永田恵子のために捧げられた、一つの石のベンチがある小さな追悼の木立があった。

そこは、私の家族にとって世界で最も神聖な場所だった。

「二十分でそっちに着く」

彰人は言った。

「愛してるよ」

「私もよ」

彼女は歌うように言った。

通話は終わった。

ソフトロックの音楽が沈黙を埋めた。

私はヘッドフォンをむしり取った。

心臓が胸の中で激しく鼓動している。

これは不倫以上のものだ。

冒涜だ。侵略だ。

私の指がキーボードの上を飛ぶように動いた。

市の計画文書、庭園協会の規約を引き出す。

庭園は公有地だが、追悼の木立は私の家族の財団が私的に資金を提供し、維持している。

私たちの同意なしに、何も追加することはできない。

彼女は、母のベンチの隣に、死んだ猫の記念碑を置くつもりなのだ。

純粋で、研ぎ澄まされた怒りが、私の悲しみの霧を切り裂いた。

これは計算された動きだ。

自分の縄張りを主張し、私の母を消し去り、ひいては私を消し去るための方法。

私はスマートフォンを手に取った。

彰人には電話しなかった。父にも。

私は連絡先をスクロールし、何年もダイヤルしていない名前を探した。

永田隆盛。

彰人の父。引退した代議士。

彰人が望む以上に冷酷で現実的な男。

彼は二コール目で電話に出た。

「杏奈さん」

彼の声は低く、ざらついていた。

「何の御用かな?」

「隆盛さん」

私は落ち着いた声で言った。

「お願いがあります。あなたが持っている、高橋樹里に関するファイルが必要です」

電話の向こうで沈黙があった。

彼がそれを持っていることは知っていた。

何年も前、彰人が最初に樹里と結婚したいと言った時、隆盛さんがそれを止めたのだ。

彼はどうやったのかは言わなかったが、ただ彼女が「ふさわしくない」とだけ言った。

彰人は、父が残酷にも彼の真実の愛を引き裂いたと信じ、心を痛めていた。

「ずいぶん昔の話を掘り返すな」

隆盛さんはついに言った。

「なぜ今?」

「彼女が戻ってきたからです。そして、彰人の選挙生命を破壊し、永田家の名に永久的な傷をつける問題を起こそうとしています」

私は言った。

「私は、それを食い止める手助けをする機会をあなたに提供しているのです」

私は彼の言葉で話していた。

愛や裏切りではなく、権力、評判、そしてダメージコントロールの言葉で。

再び沈黙。今度はもっと長い。

「一時間以内に君の玄関先に届ける」

彼はそう言って、電話を切った。

私は時計を見た。

庭に着くまで、五十五分。

おすすめの作品

アルファが誤って私を拒絶した の小説カバー
7.8
アルファである玲央の「運命の番」として過ごした三年間、私は常に孤独だった。彼の心は別の女性、一条薔薇に占められており、私は彼女が迎え入れられるまでの仮初めの存在に過ぎなかったのだ。ある夜、死の淵に立つ父を救うため、私は約束されていた薬を届けてほしいと玲央に懇願した。しかし、薔薇と共にいた彼は「くだらないことで煩わせるな」と吐き捨て、番の精神的繋がりを一方的に断ち切った。さらに薔薇の策略によって父の治癒師たちも奪われ、玲央が彼女と婚礼の準備に勤しむ裏で、父は帰らぬ人となった。最愛の父の命を軽んじ、間接的に死へと追いやった玲央への絶望。だが、彼はまだ気づいていない。数日前、彼が薔薇との電話に夢中になっている隙に、私はある書類を忍ばせていた。中身も確認せず彼が署名したその紙は、魂の絆を永遠に解消する「離縁の儀」の誓約書だったのだ。自らの手で番の関係を終わらせたとも知らず、彼は今も残酷な執着を続けている。
見下されていた俺、本当は世界最強の御曹司でした の小説カバー
8.1
神谷家へ婿入りしてからの3年間、逢坂天馬は人としての尊厳を奪われ、奴隷同然の過酷な日々を耐え忍んできた。唯一の心の支えであった妻・千尋の存在が彼を繋ぎ止めていたが、その彼女さえもが裏切り、別の男と関係を持つに至る。絶望の淵に立たされた天馬だったが、それは同時に、彼を縛り付けていた偽りの生活の終わりを意味していた。ついに天馬は、自らの真の素顔を世にさらす。彼の正体は、世界経済を裏から支配する超巨大財閥の正当なる後継者だったのだ。圧倒的な権力と資産を手にした天馬の前に、かつて彼を見下していた者たちの立場は一変する。正体を知り、涙を流しながら土下座で許しを乞う元妻。しかし、冷徹なまでに変貌を遂げた天馬の瞳には、もはや彼女への未練など一片も残っていなかった。どん底から頂点へと駆け上がる、最強の御曹司による鮮やかな逆転劇が今、幕を開ける。裏切りへの対価を突きつける、爽快感あふれる復讐の物語。
誘われて溺れる──禁欲冷徹社長からの独占愛 の小説カバー
9.4
結婚3年目を迎えた如月璃奈と時任悠真の夫婦。平穏な日々は、璃奈の元恋人が現れたことで一変する。執拗に付きまとう男は「復縁する予定だ」という嘘を世間に流布し、璃奈は記者会見の場で窮地に立たされてしまう。非難の目が向けられたその時、会場に現れたのは冷徹な社長として知られる夫の悠真だった。彼は毅然とした態度で璃奈を抱き寄せ、結婚指輪を誇示しながら「彼女は私の妻だ」と宣言する。激昂する元恋人を前に、悠真は衆人環視の中で璃奈に深い口づけを落とし、彼女への独占欲を露わにした。璃奈はこの振る舞いを窮地を脱するための演技だと思い込もうとするが、高鳴る鼓動を抑えきれない。さらに親族から跡継ぎについて問い詰められた悠真は、璃奈の手を強く握り「すぐに作ります」と宣言し、彼女を翻弄していく。冷徹な仮面の裏に隠されていたのは、悠真が長年抱き続けてきたあまりにも熱烈な純愛だった。契約に近い関係だと思っていた夫の、甘く危険な本性を知った璃奈の運命は大きく動き出す。
追放された妻、正体は世界がひれ伏す天才たちでした。 の小説カバー
9.0
実父の手によって十億円と引き換えに名家へ売られた彼女は、植物状態の御曹司の妻となる。しかし、目覚める前から彼女を弄んでいた「夫」は、意識を取り戻すや否や「無理やり触れた責任を取れ」と理不尽な要求を繰り返し、執拗に彼女の身体を求めた。そんなある日、彼女の妊娠が判明した瞬間に、彼の「かつての想い人」が帰還する。男は冷酷に離婚届を突きつけ、約束の相手と結婚すると告げた。彼女は手切れ金の札束を彼の顔に叩きつけ、その場を去る。後日、華やかな宴で再会した彼女の正体は、世界が崇める伝説の天才たちだった。ハッカー、レーサー、脚本家、そして彼が切望していた名医。その全てが彼女だったのだ。後悔に震える男は「命に代えても守る」と許しを乞うが、彼女は「なら今すぐ死んでみせて」と冷たく言い放つ。彼は誓い通り命懸けで彼女を支え続けるが、一つだけ知らない真実があった。彼女は最初から、彼が口にした「想い人」の存在が真っ赤な嘘であることを知っていたのである。
私だけを忘れた夫へ、女王からの訣別状 の小説カバー
7.9
かつて夫の羽海斯寒に命を救われた鹿野黎依は、彼を深く愛していた。しかし、不運な事故で記憶を失った夫は、最愛の妻である彼女の存在だけを忘れてしまう。冷酷に変貌した夫は、結婚三周年の記念日に衆人環視の中で浮気を働き、黎依に耐え難い屈辱を与えた。絶望した彼女は離婚を決意し、署名を残して彼の元を去る。だが、独りになった彼女の正体は、世界を震撼させる「女王」だった。伝説のレーサー、国際的なトップハッカー、天才デザイナー、そして神業を持つ鬼医……。隠されていた華麗な経歴が次々と明かされ、彼女は本来の輝きを取り戻していく。やがて記憶を取り戻した斯寒は、己の過ちを激しく後悔し、彼女の結婚式に乱入して復縁を乞うが、時すでに遅かった。黎依の隣には、彼女を独占する新たな「大物」の影があった。元夫の哀れな懇願を冷笑し、強大な権力を持つその男は、彼女を抱き寄せて静かに宣告する。俺の女に手を出す愚か者は、生かしてはおかないと。過去を捨て、真の姿で君臨する女王の逆転劇が今、幕を開ける。
植物状態の夫を治した身代わり妻、もはや正体を隠せない の小説カバー
8.3
水野海月は、ある恩義を返すため身代わりとして藤本家に嫁いだ。植物状態だった夫・藤本暁を二年にわたる献身的な看護で救い出したのは、彼への密かな恋心ゆえだった。しかし、暁の意識が戻り元恋人が現れると、彼女の尽くした日々は否定され、無慈悲な離婚届を突きつけられてしまう。海月は潔く署名し、名門から捨てられた女と世間に嘲笑われながらも独り立ち去った。だが、人々は彼女の真の姿を知らない。サーキットを駆ける伝説のレーサー、世界を魅了するデザイナー、闇を支配する天才ハッカー、そして藤本家を幾度も救った神の手を持つ名医。その正体はすべて海月だったのである。真実を悟り、後悔の念に駆られて復縁を乞う元夫。しかし、そんな彼の前に京の実業界を統べる冷徹な支配者が立ちはだかる。彼は海月を抱き寄せ、「俺の妻に手を出すな」と冷然と言い放った。ただの借金関係だと思っていた男の豹変に、海月は困惑するばかり。多才な素顔を隠し持っていた「身代わり妻」の、華麗なる逆転劇が幕を開ける。