フォローする
共有
四十九冊の本、ただ一つの清算 の小説カバー

四十九冊の本、ただ一つの清算

夫・彰人が不貞を働くたび、私の本棚にはその代償として希少な古書が増えていく。四十九回の裏切りと、沈黙を買うための四十九冊の謝罪。そんな歪な均衡は、彼のあまりに無慈悲な嘘によって崩壊した。彰人は亡き父との約束を反故にし、高校時代の恋人・樹里にマンションを買い与えるため、父の授賞式を欠席したのだ。さらに彼は、私の母の追悼庭園を樹里の愛猫の墓で汚すことを許し、あろうことか私に「彼女への思いやりを持て」と言い放つ。私の流産という深い悲しみさえ不倫相手に漏らしていた彼に、もはや慈悲の心など残っていない。母の記憶と自らの尊厳を蹂躙された私は、彼と共に築き上げた偽りの日々をすべて解体することを決意する。私は数々のキャリアを葬ってきた選挙プランナーだ。眠る夫の端末に盗聴器を仕掛け、反撃の準備を整える。次に本棚へ並ぶのは、彼からの謝罪の品ではない。私による冷徹な清算の記録であり、彼への最後通牒となるのだ。
共有

3

私は彼らより先に庭に着いた。

晩秋の空気は澄み渡り、湿った土と朽ち葉の匂いが空気を満たしていた。

私は慣れ親しんだ砂利道を歩いた。ヒールが歩くたびにわずかに沈む。

そこにあった。母のための追悼の木立。

数本のしだれ柳が、簡素な花崗岩のベンチを囲んでいる。

ベンチには小さなブロンズのプレートがあった。

『愛する永田恵子を偲んで。彼女は世界をより美しくした』

そしてその隣、掘り返されたばかりの土の上に、小さな、装飾的な大理石の板があった。

それにはシャベルが立てかけられていた。

吐き気がこみ上げてきた。

私は近づき、大理石に刻まれた文字を読んだ。

『ここにダーシーさん眠る。忠実な友、そして愛された魂。ついに真実の愛と再会す』

真実の愛と再会す?

どういう意味だ?

ただの猫なのに。

その時、彼らが見えた。

彰人と樹里が、手をつないで小道を歩いてくる。

樹里はビロードで覆われた小さな箱を抱えている。

彼女は黒い服を着て、芝居がかった喪の演技をしていた。

彰人は居心地が悪そうで、捕まるのを恐れるかのようにあたりをキョロキョロと見回していた。

彼らは私を見て立ち止まった。

樹里の顔がこわばり、悲しみの仮面が一瞬滑り落ちた。

「杏奈」

彰人の声は張り詰めていた。

「ここで何をしているんだ?」

「ここは私の母の追悼の場所よ」

私は危険なほど静かな声で言った。

「あなたたちこそ、ここで何をしているの?」

樹里が一歩前に出て、彰人の腕に手を置いた。

「彰人さんはただ私を手伝ってくれていただけよ、杏奈さん。今日は私にとって辛い日なの」

彼女は大理石の板を指差した。

「ダーシーを偲ぶための、ささやかな場所が欲しかっただけ」

「ここはペット霊園じゃないわ」

私は彼女をまっすぐに見つめて言った。

「わかってるわ。でも、とても安らかな場所だから」

彼女の声は偽りの同情に満ちていた。

「それに、あなたのお母様は動物が好きだったって知ってる。きっと理解してくれると思ったの」

それだった。

亡き母の名前を軽々しく口にし、このグロテスクな見世物を正当化するために使う。

私は考えなかった。行動した。

私は前に進み出て、大理石の板を蹴り飛ばした。

それは重くなかった。鈍い音を立てて倒れた。

樹里は息をのんだ。

「何するのよ!この鬼!」

「このゴミをここからどけて」

私の声は怒りで震えていた。

私は彰人に向き直った。

「今すぐどけて」

「杏奈、落ち着け」

彰人は私たちの間に割って入った。

彼は有権者が怒った時に使うのと同じ、なだめるような仕草で両手を上げた。

「まずは話し合おう」

「話し合うことなんて何もない!」

私は叫んだ。その声は静かな木立に響き渡った。

「彼女は自分の猫を埋めるために、私の母の墓を冒涜しているのよ!」

「埋めてなんかないわ!」

樹里はビロードの箱を胸に抱きしめながら金切り声を上げた。

「これは記念のプレートよ!そしてこれは彼の遺灰!」

「どうでもいいわ!」

私は彼女に向かって一歩踏み出し、彰人がそれを阻んだ。

「杏奈、頼むから」

彼は懇願した。

「樹里はただ動揺しているだけなんだ。猫が死んでしまったんだ。少しは思いやりを持とう」

「思いやり?」

私は笑った。耳障りで醜い笑い声だった。

「あなたは父の授賞式をすっぽかし、私の顔を見て嘘をつき、私たちのお金で彼女にマンションを買い与え、そして今、私の母の追悼庭園に立って、彼女の死んだ猫への思いやりを私に求めるの?正気なの?」

彰人の顔が青ざめた。

彼は私と樹里の間で、板挟みになっていた。

樹里は泣き始めた。大げさで、芝居がかったすすり泣き。

「あなたが冷血な女だってことは知ってたわ」

彼女は泣きじゃくった。

「あなたはいつも彰人と私の関係に嫉妬してた。彼が幸せなのが我慢できないのよ」

「幸せ?」

私はその言葉を吐き捨てた。

「彼は幸せなんかじゃない。彼は弱いだけ。そしてあなたは寄生虫よ」

私は彰人を押し退け、彼女の元へ行こうとした。

あのプレートを地面から引き剥がし、粉々に叩き割りたかった。

彼は私を抑えつけた。その力は驚くほど強かった。

「杏奈、やめろ!見世物になるぞ!」

彼は囁いた。彼の公的なイメージを守るための反射的な行動だった。

「私が見世物?」

私は彼を見た。私が愛した男を。そして、軽蔑しか感じなかった。

「この結婚が見世物よ。この人生が見世物。そして私は、自分の役を演じるのはもう終わり」

私は彼の目をまっすぐに見つめた。

「彼女と、彼女の猫の記念碑をここからどけて、彰人。さもなければ、明日の朝、離婚届を提出するわ。そして信じて。愛人に妻の亡き母の追悼碑を汚させた市長候補の話は、夕方六時のニュースで美しく報道されるでしょうね」

彼の力が緩んだ。

政治的な脅威だけが、彼に届く唯一のものだった。

私にそれができることを、彼は知っていた。

私には彼を破滅させるスキルがあることを、彼は知っていた。

彼は樹里の方を向いた。その顔は混乱と恐怖で歪んでいた。

「樹里、たぶん、僕たちは行くべきだ。ここは…ここは正しい場所じゃない」

「でも、約束したじゃない!」

彼女はわめいた。彼女の涙は突然止まっていた。

その目は硬く、計算高かった。

「わかってる。でも、別の場所を見つけよう。もっといい場所を」

彼は彼女を引き離そうとしながら言った。

「いや!」

彼女は彼を振り払った。

「私はこの場所がいいの」

彼女は私を見て、唇に笑みを浮かべた。

「この場所は特別なのよ」

彰人は彼女の腕をより強く掴んだ。

「樹里、帰るぞ」

彼は彼女を連れて、小道を戻り始めた。

彼女はついて行ったが、肩越しに私を振り返った。

その目は勝利に満ちていた。まるで自分が勝ったかのように。

彼らは私をそこに残していった。

冒涜された木立の中に、一人で。

ひっくり返った大理石の板は、私の結婚の墓石のように見えた。

私は震える息を吐き出し、スマートフォンを取り出した。

庭園の管理人に電話をかけた。

「フランクさん、永田杏奈です」

私は言った。

「追悼の木立にゴミがあるので、すぐに撤去してください。ええ。大理石の板です。ただ捨ててください」

電話を切り、去ろうとした時、金属のきらめきが私の目を引いた。

それは母のベンチの根元、茂みに半分隠れていた。

私は歩み寄り、ひざまずいた。

それは別の、もっと小さくて新しいプレートだった。

すでにベンチの脚にネジで取り付けられていた。

『ダーシーさんへ。虹の橋で樹里を待つ』

怒りが戻ってきた。以前よりも熱く、激しく。

彼女はただプレートを持ってきただけではなかった。

すでに母のベンチを汚していたのだ。

彼らはまだ遠くへは行っていないはずだ。

私は木立から走り出した。ヒールが柔らかい土に食い込む。

私の心臓は、一つの、破壊的な目的のために激しく鼓動していた。

続けて視聴する!
物語はいよいよ佳境へ!アプリに切り替えて続きを読む
全エピソードをロック解除
全編を読むには、moboreaderで「95RAK」を検索してください。
コードをコピーし、Moboreaderアプリで検索して続きをお楽しみください。
95RAK
コピー
公式サイトを開く

おすすめの作品

アルファが誤って私を拒絶した の小説カバー
7.8
アルファである玲央の「運命の番」として過ごした三年間、私は常に孤独だった。彼の心は別の女性、一条薔薇に占められており、私は彼女が迎え入れられるまでの仮初めの存在に過ぎなかったのだ。ある夜、死の淵に立つ父を救うため、私は約束されていた薬を届けてほしいと玲央に懇願した。しかし、薔薇と共にいた彼は「くだらないことで煩わせるな」と吐き捨て、番の精神的繋がりを一方的に断ち切った。さらに薔薇の策略によって父の治癒師たちも奪われ、玲央が彼女と婚礼の準備に勤しむ裏で、父は帰らぬ人となった。最愛の父の命を軽んじ、間接的に死へと追いやった玲央への絶望。だが、彼はまだ気づいていない。数日前、彼が薔薇との電話に夢中になっている隙に、私はある書類を忍ばせていた。中身も確認せず彼が署名したその紙は、魂の絆を永遠に解消する「離縁の儀」の誓約書だったのだ。自らの手で番の関係を終わらせたとも知らず、彼は今も残酷な執着を続けている。
見下されていた俺、本当は世界最強の御曹司でした の小説カバー
8.1
神谷家へ婿入りしてからの3年間、逢坂天馬は人としての尊厳を奪われ、奴隷同然の過酷な日々を耐え忍んできた。唯一の心の支えであった妻・千尋の存在が彼を繋ぎ止めていたが、その彼女さえもが裏切り、別の男と関係を持つに至る。絶望の淵に立たされた天馬だったが、それは同時に、彼を縛り付けていた偽りの生活の終わりを意味していた。ついに天馬は、自らの真の素顔を世にさらす。彼の正体は、世界経済を裏から支配する超巨大財閥の正当なる後継者だったのだ。圧倒的な権力と資産を手にした天馬の前に、かつて彼を見下していた者たちの立場は一変する。正体を知り、涙を流しながら土下座で許しを乞う元妻。しかし、冷徹なまでに変貌を遂げた天馬の瞳には、もはや彼女への未練など一片も残っていなかった。どん底から頂点へと駆け上がる、最強の御曹司による鮮やかな逆転劇が今、幕を開ける。裏切りへの対価を突きつける、爽快感あふれる復讐の物語。
誘われて溺れる──禁欲冷徹社長からの独占愛 の小説カバー
9.4
結婚3年目を迎えた如月璃奈と時任悠真の夫婦。平穏な日々は、璃奈の元恋人が現れたことで一変する。執拗に付きまとう男は「復縁する予定だ」という嘘を世間に流布し、璃奈は記者会見の場で窮地に立たされてしまう。非難の目が向けられたその時、会場に現れたのは冷徹な社長として知られる夫の悠真だった。彼は毅然とした態度で璃奈を抱き寄せ、結婚指輪を誇示しながら「彼女は私の妻だ」と宣言する。激昂する元恋人を前に、悠真は衆人環視の中で璃奈に深い口づけを落とし、彼女への独占欲を露わにした。璃奈はこの振る舞いを窮地を脱するための演技だと思い込もうとするが、高鳴る鼓動を抑えきれない。さらに親族から跡継ぎについて問い詰められた悠真は、璃奈の手を強く握り「すぐに作ります」と宣言し、彼女を翻弄していく。冷徹な仮面の裏に隠されていたのは、悠真が長年抱き続けてきたあまりにも熱烈な純愛だった。契約に近い関係だと思っていた夫の、甘く危険な本性を知った璃奈の運命は大きく動き出す。
追放された妻、正体は世界がひれ伏す天才たちでした。 の小説カバー
9.0
実父の手によって十億円と引き換えに名家へ売られた彼女は、植物状態の御曹司の妻となる。しかし、目覚める前から彼女を弄んでいた「夫」は、意識を取り戻すや否や「無理やり触れた責任を取れ」と理不尽な要求を繰り返し、執拗に彼女の身体を求めた。そんなある日、彼女の妊娠が判明した瞬間に、彼の「かつての想い人」が帰還する。男は冷酷に離婚届を突きつけ、約束の相手と結婚すると告げた。彼女は手切れ金の札束を彼の顔に叩きつけ、その場を去る。後日、華やかな宴で再会した彼女の正体は、世界が崇める伝説の天才たちだった。ハッカー、レーサー、脚本家、そして彼が切望していた名医。その全てが彼女だったのだ。後悔に震える男は「命に代えても守る」と許しを乞うが、彼女は「なら今すぐ死んでみせて」と冷たく言い放つ。彼は誓い通り命懸けで彼女を支え続けるが、一つだけ知らない真実があった。彼女は最初から、彼が口にした「想い人」の存在が真っ赤な嘘であることを知っていたのである。
私だけを忘れた夫へ、女王からの訣別状 の小説カバー
7.9
かつて夫の羽海斯寒に命を救われた鹿野黎依は、彼を深く愛していた。しかし、不運な事故で記憶を失った夫は、最愛の妻である彼女の存在だけを忘れてしまう。冷酷に変貌した夫は、結婚三周年の記念日に衆人環視の中で浮気を働き、黎依に耐え難い屈辱を与えた。絶望した彼女は離婚を決意し、署名を残して彼の元を去る。だが、独りになった彼女の正体は、世界を震撼させる「女王」だった。伝説のレーサー、国際的なトップハッカー、天才デザイナー、そして神業を持つ鬼医……。隠されていた華麗な経歴が次々と明かされ、彼女は本来の輝きを取り戻していく。やがて記憶を取り戻した斯寒は、己の過ちを激しく後悔し、彼女の結婚式に乱入して復縁を乞うが、時すでに遅かった。黎依の隣には、彼女を独占する新たな「大物」の影があった。元夫の哀れな懇願を冷笑し、強大な権力を持つその男は、彼女を抱き寄せて静かに宣告する。俺の女に手を出す愚か者は、生かしてはおかないと。過去を捨て、真の姿で君臨する女王の逆転劇が今、幕を開ける。
植物状態の夫を治した身代わり妻、もはや正体を隠せない の小説カバー
8.3
水野海月は、ある恩義を返すため身代わりとして藤本家に嫁いだ。植物状態だった夫・藤本暁を二年にわたる献身的な看護で救い出したのは、彼への密かな恋心ゆえだった。しかし、暁の意識が戻り元恋人が現れると、彼女の尽くした日々は否定され、無慈悲な離婚届を突きつけられてしまう。海月は潔く署名し、名門から捨てられた女と世間に嘲笑われながらも独り立ち去った。だが、人々は彼女の真の姿を知らない。サーキットを駆ける伝説のレーサー、世界を魅了するデザイナー、闇を支配する天才ハッカー、そして藤本家を幾度も救った神の手を持つ名医。その正体はすべて海月だったのである。真実を悟り、後悔の念に駆られて復縁を乞う元夫。しかし、そんな彼の前に京の実業界を統べる冷徹な支配者が立ちはだかる。彼は海月を抱き寄せ、「俺の妻に手を出すな」と冷然と言い放った。ただの借金関係だと思っていた男の豹変に、海月は困惑するばかり。多才な素顔を隠し持っていた「身代わり妻」の、華麗なる逆転劇が幕を開ける。