
結婚式まであと数週間、婚約者は私だけを忘れた
章 2
翌朝、美咲は何事もなかったかのように振る舞った。
蓮の好物である、ブルーベリー入りのパンケーキを作った。
「これ、美味しいね」
彼はまだ、礼儀正しい他人のまま言った。
「僕…前もこれが好きだった?」
「大好きだったわ」
美咲は慎重に、感情を殺した声で言った。
心の中は、嵐が吹き荒れていた。
その日の午後、彼女は真矢が知っている弁護士に、こっそりと電話をかけた。
「法的な改名について、お伺いしたいのですが」
美咲は声を潜めて言った。
桐島莉子。母方の祖母の旧姓。力強い名前。新しい名前。
彼女は小林美咲名義で新しい銀行口座を開設したが、それは一時的なものだった。やがて、すべてが莉子のものになる。
彼女はフリーランスのグラフィックデザインの仕事をこっそり始めた。現金払いか、追跡不可能な新しい口座への振り込み。パン屋のロゴ、ヨガスタジオのチラシといった小さな仕事。蓮が眠りについた後、彼女は夜遅くまで働いた。マウスのクリック音が、静かな反逆の音だった。
札幌、北海道。
クリエイターや、新しいスタートを切るための街についての記事をスクロールしているうちに、その地名が浮かんだ。東京から遠く離れた場所。蓮から遠い場所。緑が多く、雪が降り、誰も私を知らない場所。
誰かが姿を消すには、うってつけの場所に思えた。
桐島莉子が生まれる場所として、ふさわしい響きだった。
彼女は二人で撮った写真をすべて集めた。
彼が書いたラブレターも一枚残らず。今となっては灰のように感じる約束の言葉で満ちていた。
みなとみらいの遊園地で彼が取ってくれた、あの馬鹿げたぬいぐるみも。
燃やしはしなかった。それはあまりにドラマチックすぎるし、彼が本気で探せば気づくかもしれない反応だった。
代わりに、彼女はそれらを一つの、無地の段ボール箱に詰めた。
そして、その箱をクローゼットの奥、もう着ない古いセーターの下に押し込んだ。
見えない場所へ。まだ心から消えたわけではないけれど、始まりだった。
彼女は一つずつ、自分を切り離していった。
一週間後、美咲はいつものカフェで真矢を待っていた。
蓮が入ってきた。
神崎クロエを連れて。
クロエは長い脚、ブロンドの髪、そして「私を見て」と叫ぶような鮮やかなピンクのドレスを着ていた。彼女は笑いながら、蓮の腕に手を置いていた。
蓮は美咲に気づいた。一瞬ためらった後、まるで遠い知り合いにするかのように、小さく気まずそうに手を振った。
クロエの目が美咲に向けられ、一瞬、何か――勝利の輝き?――がよぎった。
美咲はただラテを一口飲み、表情を注意深く消した。
奇妙な、冷たい静けさを感じた。
蓮は…驚いているように見えた。彼はきっと、涙や修羅場を期待していたのだろう。
彼はこの美咲を知らない。この美咲は、もうここにはいないのだ。
クロエは蓮から離れ、美咲のテーブルへと気取って歩み寄ってきた。
「美咲さん、よね?」
クロエの声は、蜜のように甘ったるかった。
「蓮から…まあ、彼はあまり覚えてないんだけど、友達が助けてくれてるって聞いて」
美咲は表情を崩さなかった。
「ええ、私です」
「あなたも大変でしょう」
クロエは髪をかきあげながら、甘えた声で言った。
「彼、すごくいい人だから。私もただ、彼のそばにいてあげたいの。この辛い時期を支えてあげたいっていうか。彼が言うには、あなたが…その、事故の前の彼を一番よく知ってるって。何かアドバイスある?」
その厚かましさ。
美咲はクロエの完璧にメイクされた目をまっすぐに見つめた。
「アドバイスなんてないわ」
美咲の声は平坦だった。
「あなたなら、きっとうまくやれるでしょう」
クロエの笑顔が一瞬、ほんの一瞬だけ揺らいだ。
彼女は明らかに、美咲が泣き崩れる姿を期待していた。
「そう」
クロエはすぐに立ち直った。
「もし何か思い出したら…」
彼女はくるりと向きを変え、蓮の元へ滑るように戻り、再び彼の腕に自分の腕を絡ませた。
美咲は彼らが去っていくのを見送った。蓮の腕は今やクロエの腰に回されている。
新しい美咲、莉子になろうとしている彼女は、遠い、冷たい決意以外何も感じなかった。
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