
輝く光の先に
章 3
「こんばんは!」
柔らかな萌黄色の暖簾をくぐって、お店の中へ入る。 入り口には【ゆらぎ】と流れるような文字でお店の名前が入った小さな行燈があり、柔らかな灯りはこのお店がほっとくつろげる場所であることを教えてくれた。
「いらっしゃいませ」
カウンターには、和服に割烹着を着た女将。 ここは女将が1人で切り盛りしていて、6人までしか入れない小さなお店。 女将は、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。
「遅いよ!由実子」
いつもは遅刻気味の楓が今日は珍しく早い。
「ごめんごめん、ちょっと寄るとこあってさ…あ、もうみんな集まってたんだ」
カウンターを囲むように、すでに4人揃っていた。 最後に到着した由実子が、座る席を考えていた。
角を曲がって一番奥がいつもの由実子の席。 だけど、そこに座ると…
「ここでいいんじゃない?今夜は典子はいないんだから、詰めちゃお!」
手招きしたのは澪。 黒髪をきっちりカットした整ったボブが、澪の肌の色の白さを際立たせている。
「うん、そうしなよ」
藍子が言う。長い髪をクルンとまとめて器用にアップにしている。 うなじに色気を感じるのは、やはりたくさんのボーイフレンドがいるからか。
「早く席についちゃって!」
ゆるやかなウェーブの髪をバレッタで留めて、真面目な委員長のような口ぶりの詩織。
➖そうするかな?典子の席、座るね➖
「みなさん、お揃いですか?」
蒸しタオルのおしぼりを出してくれる女将。
「そうです、じゃあ素子さん、お願いします」
みんなを仕切っているのは詩織。 女将は、ビールの栓を抜き、みんなの前に出した。 女将は多分私たちと同じくらいの年代、なのに女将と呼ぶのはなんだかね、ということでみんな素子さんと呼んでいる。 一通りグラスにビールが行き渡った。
「じゃ、久しぶりに乾杯?」
澪が言う。
「違う、今夜は典子への、献杯」
「「献杯」」」
小さくグラスを傾けた。 女将の素子が、え?と首を傾げる。
「あ、この席にいた典子、最近、亡くなったんです。だから今日はみんなで典子を偲んで集まったという感じで」
「そうでしたか…」
つきだしを並べ終わると、女将は奥へ入って行った。
「ね、それでいつなの?典子が死んだのは」
ビールをコクリと飲みながら藍子が聞く。
「2週間くらい前の金曜日」
「どこで?」
「自宅の寝室」
「え?そうなの?」
楓も聞いてくる。
➖話してもいいかな?典子…➖
私は心の中で、典子に聞いた。
「ここにくる前に、典子の家に寄ってきた。もう少し典子のことを知りたくて。ご主人に会ってきた」
今さっき、典子のご主人から聞いた話を、みんなに話し始める。 その時奥から、小さな一輪挿しに桔梗の花をいけて女将があらわれた。
「せめてお花を…裏の花壇に咲いていたものですが…」
そう言うと、一つだけ空いた席に一輪挿しを置いた。 みんなは一輪挿しを見て、そこにいたはずの典子を思った。
「これはご主人から今しがた聞いてきた話。でもね、典子本人から聞いたわけじゃないから、ご主人の想像も入ってるの」
一応、前置きをする。
「そうだよね?死人に口なしとかいうもんね」 「こら、楓、それはちょっと違うから」
藍子が牽制する。
「続けて」
と詩織。
「もともと典子は、更年期障害の症状がひどかったみたいでね。それも数年前からで、この時期に特に症状が出てたみたい。今年もそうで、ご主人はいつものことだからとあまり深く考えていなかったらしくて」
うんうんと、うなづく面々。
「ヒステリックになったり、寝込んだり、子どもたちやご主人に当たり散らしたりとかね。でも時期が過ぎればおさまるからと、みんな堪えてた。ただね、今年は少しいつもと違ったんだって、状況がね」
みんな黙って聞いている。 コクリとビールを飲んで続ける。
「典子の実家って近所らしくてね。自分のお父さんが認知症になってね、同じようなブレーキの踏み間違いの事故を3回も起こしてね」
「え?3回も?免許は返納させなかったの?」
楓の質問。
「免許を返納させてしまうと、買い物も病院も足がなくなるからって、なかなかできなかったんだって。それでもさすがにこれはヤバいからと免許を返納させたらしいの。そしたらね、認知症の症状も進んで、徘徊も始まってね」
「あー、それはツラいね、でも、実家は典子のお姉さんが継いだんじゃなかった?」
「そうなんだけど、お姉さんは独身だし仕事しなきゃいけないからって言って、専業主婦の典子に押しつけてきたらしいの。それで典子は、買い物や通院、用事ごとまで全部車を出してやってあげてたみたい。自分だって体調が悪いのにね」
ふぅ、とため息をつく。 続ける。
「亡くなった日も、きっといろんなことが重なって、精神的にいっぱいいっぱいで、だからヒステリックに家族に当たり散らしたらしい。晩御飯の時にね。 その時は娘さんがなだめて、話を聞いて落ち着いたらしい。 もう寝るからって寝室に入ったらしいよ」
みんなは黙ったまま聞いている。
「そっとしておいた方がいいとみんな思ってね。そのまま朝までほっておいたんだって。 でもね、夕方になっても起きてこないから息子さんが、おかしい、気配がしないって部屋に入ったら… ストッキングをね、ドアにね…」
ひっ!とみんなが息をのむ。
「慌てて救急車呼んだけど、もう冷たくなってて。検死の結果はね、娘さんと離れてからすぐって…」
うわ、と顔を覆う詩織、澪。 カウンターの向こうで女将さんの動きも止まった。
「キツイね、それは」
藍子が言う。
「娘さんも、発見した息子さんもたまらないね…」
ぼんやりと詩織。
「そんなに大変だったんだね…」
楓もため息をつく。
「ご主人はどう?」
澪が聞く。
「自分を責めたみたい、もっとちゃんと向き合えばよかったと。自分は逃げていたって言ってた、仕事にかこつけて。だから自分を責めて責めて。 その時にね、調べにきた刑事さんに言われたらしい」 「なんて?」
「…仕方ないんですよ、突発的なことで本人もまさかこうなるとは思ってなかったようです、苦しんだような形跡もありませんでした。 もしも今回発見が早くて助かったとしても、また同じことを繰り返しています、止められないんです、僕はそういう事案をいくつも見てきました…って。…そういう病気なんです、誰のせいでもないんです…って。 それで少し気が楽になったって言ってた」
みんなは黙ったままだ。
「それからね、ご主人はこんなことも言ってた…みなさんは生きてください、家族のことも大事だけどそれ以上に自分を大事にして、後悔しないように生きてください…って」
一通り話し終えた。
「よし!生きるぞ!」
急に声を上げてグラスのビールを一気飲みしたのは楓。
「後悔しないように、か!うん」
「まだまだ頑張りますよ、私」
「え?なにを?」
「ま、とにかく、やり残したことがないようにさ」 「たとえば?」
「えー、でも旦那が邪魔!」
みんな好き勝手に話し始める。
「典子、頑張りすぎたんだよね?専業主婦って大変だもんね!」
「そうだね、もう少しわがままに生きてもよかったよね?」
「「献杯!」」
「典子、お疲れ様」
みんなそれぞれの思いを胸に、典子を偲んだ。
「何があるのかなぁ?私の人生にあとほしいもの…」
ぽつりと藍子が言った。
「なんだろうね、後悔しないような生き方ってね」 「このままだと、このまま過ぎていってしまうね」 「あっというまにおばあちゃんになっちゃうね
「自分のこともできない旦那の世話と、介護と孫の世話…それだけで終わり?」
「いやいや…残りの人生それだけじゃ寂しいよ」
みんなそれぞれのこれからの人生を、思い描いていた。 今ならば、自由に使えるいくらかのお金、体、時間がある。 それがいつまで続くのか?ふと、寿命というやつを考えた。
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