
炎に消えた家族、残されたのは叔父の腕だけ
章 2
手の中のコーヒーカップは熱い。だが、夏語棠はすべての感覚を抜き取られたように、玄関先に立つ二人をただ見つめていた。
江逾白はダークグレーのトレンチコートを纏い、その姿は颯爽としている。普段は隙なく結ばれているはずのネクタイが半分ほど緩んでいるのは、直前まで何事かを経験してきた証左だろうか。
彼の傍らにいる女――林茵茵が、わずかに首を傾けて彼の言葉に耳を傾けている。
彼女は、県の楽団の首席チェロ奏者だ。夏語棠は三年前の全国器楽コンクールで彼女と顔を合わせている。
あの時、林茵茵は夏語棠と同じ舞台で競い合った。
夏語棠は、会場で最年少の奏者として金賞を受賞した。
かつて、自分を嫉妬深く見つめていたあの瞳。
それが今、また目の前にある。
林茵茵が、まるで商品を値踏みするかのように夏語棠を品定めする。
「逾白、この子、どなた?」林茵茵の声は甘く、馴れ馴れしく江逾白の腕に絡みついた。
夏語棠の心臓が苦しく締め付けられる。
江逾白の視線が自分を捉えるのが分かった。いつも自分を慈しむように見つめていた、あの眼差し。
それなのに、今はなぜこれほど冷たいのか。
「亡き友人の娘だ」彼の声は淡々として、何の感情も読み取れない。「一時的に、ここに住まわせている」
亡き友人の娘。
その言葉は、鋭い刃となって夏語棠の心を深く抉った。
昨夜、彼が酔って帰宅した光景が蘇る。酒の匂いを纏い、戸口にもたれかかった彼は、どこか焦点の定まらない瞳で彼女を見つめていた。
魂ごと彼に奪われたかのように、彼女は一歩ずつ歩み寄り、爪先立って彼の唇の端に口づける。ウイスキーの辛辣な味がした。
彼は彼女を突き放すことなく、ただ低くため息をつくと、彼女の首筋に顔を埋めた。その息遣いは、まだ熱を帯びていた。
そうだったのか。自分は、ただの「亡き友人の娘」でしかなかったのだ。
夏語棠は喉の奥が痛み、声も出せない。
それでも、想いを寄せる人の前で、これ以上惨めな姿を晒したくはなかった。
「叔父さん……」彼女は、ようやく声を絞り出した。「コーヒーを、淹れました」
「あら、ごめんなさいね、お手間を取らせて。 逾白、あなたのお客さん、本当にいい子ね」
彼女はそう言うと夏語棠のそばを通り過ぎ、そのわずかに赤らんだ目元を一瞬だけ見遣り、すぐに江逾白に向き直った。「私たち、上に行きましょうよ。さっきの続き、まだ足りないわ」
夏語棠は息が止まった。
さっきから、江逾白の襟元についている紅い痕跡から目を逸らしていた。
見ないふりをして、自分に嘘をついていたのだ。
それを今、林茵茵にあからさまに指摘され、彼女はどう呼吸をすればいいのかさえ分からなくなった。
江逾白は頷くだけで、夏語棠に一瞥もくれず、林茵茵と共に階段を上がっていった。
夏語棠はその場に凍りついたまま、階段を上がる足音が完全に消えるのを待って、ゆっくりとしゃがみこんだ。糸が切れた数珠のように、涙が次々と床に零れ落ちる。
階上から、女の嬌声が漏れ聞こえてくる。
夏語棠は、ふと十八歳の誕生日を思い出していた。あの日、江逾白は手製のチェロを彼女の前に差し出した。
「語棠」彼は言った。「君は、世界で最も優れたチェリストになるだろう」
だが今、彼の傍らには、チェロを弾く別の女がいる。
夏語棠は黙り込む。あと一月もすれば、自分はここを去るのだ。そうなれば、ここにある全て――江逾白も、彼の隣にいる女も、自分とは一切関係がなくなる。
それなのに、なぜ、これほど心が痛むのだろうか。
午前二時。階上から断続的に響く声が、夏語棠の過敏になった神経を繰り返し切り刻んでいく。
ソファの片隅で、夏語棠は分厚い毛布に身を包んでいたが、それでも寒気がした。
吐き出す息は火傷しそうなほど熱く、目の前の景色がぐらりと歪む。
いったい何時間そうしていたのか、彼女自身にも分からなかった。
階上から漏れ聞こえる声は、一本一本の針となって耳から突き刺さり、五臓六腑をかき乱されるような痛みを与えた。
夏語棠は、もがきながらも体を起こした。
壁に手をつき、一歩、また一歩と、覚束ない足取りで階段を上がる。
一段上がるごとに、階上からの声は鮮明になり、それに比例して心臓の痛みも増していく。
やがて、彼女は江逾白の寝室の扉の前にたどり着いた。
扉は完全には閉まっておらず、わずかな隙間が空いている。その隙間から、室内の濃密で甘い空気が流れ出し、彼女を窒息させそうだった。
林茵茵が江逾白の上にまたがり、彼に口づけている。男の手は彼女の後頭部を掴み、情熱的にそれに応えていた。
夏語棠は深く息を吸い込むと、ありったけの力で扉を叩いた。
室内から、欲求を遮られた不満げな声が響き、やがて扉が開かれた。
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