
望まれざる者、止められぬ者
章 2
「出ていく」
その言葉は、口の中で確かな重みを持っていた。
「そして、私のものを全て取り返す」
「あなたに何があるっていうの!」
明美が金切り声を上げた。整った顔が、憎悪に歪む。
「あなたが持ってるもの全部、私たちのおかげでしょうが!この家の屋根も、食べる物も!」
「私が買った食べ物でしょ」
私は、危険なほど静かな声で訂正した。
「莉奈が『経験のため』とか言って、おしゃれな事務所でインターンしてる間、私が二つのバイトで稼いだお金でね」
「妹のことをそんな風に言うんじゃない!」
父が怒鳴り、私に一歩近づいた。
指を私の顔に突きつける。
「莉奈には品格がある。未来もある。お前にあるのは、そのひねくれた根性と、人を不快にさせる過去だけだ」
「あなたが恥じてる過去、ってことよね」
私は言い返した。
彼は私の腕を掴んだ。指が肌に食い込む。
「この恩知らずが。俺たちがどれだけしてやったと思ってる」
「離して」
「父親に敬意を払え」
明美が、悪意に満ちた目で私を睨みつけ、吐き捨てた。
「見つけた場所に、置いてくればよかったわ」
その言葉は、もうほとんど心に響かなかった。
麻痺していた。
まるで、他人が誰かの悪口を言っているのを聞いているようだった。
「あなたたちが大事なのは、お金と地位」
私は、母の顔から父の顔へと視線を移しながら言った。
「それだけ。家族なんてどうでもいい。大事なのは、世間体だけ」
私は父の手から腕を振りほどき、玄関ホールに置かれた大きな、装飾的な花瓶に向き直った。
藤堂家からの贈り物。
彼らの新しい同盟の証。
考えるより先に、腕を振り抜いた。
花瓶が床に叩きつけられ、粉々に砕け散った。
その音は、解放感に満ちていた。
明美は、まるで自分が殴られたかのように悲鳴を上げた。
「あれは有名な作家物の花瓶よ!いくらしたと思ってるの!」
「莉奈の結納金でいくらでも買えるでしょ」
皮肉をたっぷり込めて、私は言った。
父の顔は、怒りで紫色になっていた。
私を殴ろうと、手を振り上げる。
私は身じろぎもしなかった。
ただ、挑戦的に彼を睨み返した。
その時、玄関のドアが開いた。
莉奈が、夢見るような笑顔で入ってきた。
まるで、宙に浮いているかのようだった。
「お母さん?お父さん?今の音、何?」
彼女は、目を丸くして、無邪気に尋ねた。
一瞬で、両親の表情が変わった。
怒りは消え去り、甘やかすような心配顔になる。
「ああ、ハニー、気にしないで」
明美は、彼女のそばに駆け寄り、ドレスを気にしながら猫なで声で言った。
「ちょっとした事故よ」
「楽しかったかい?」
父の声は、今や優しく、父親らしいものになっていた。
「蓮くんは、ちゃんと家まで送ってくれたかな?」
「完璧だった」
莉奈はため息をつき、ダイヤモンドが光の下で輝くように手をかざした。
「本当に、完璧。もう式場の話も出てるの。これも、いただいたわ」
彼女は、ベルベットの箱を母に手渡した。
明美がそれを開ける。
中には、真珠のネックレスが入っていた。
「まあ、莉奈!なんて綺麗なの!」
明美は大げさに喜んだ。
「あなたは、これら全てにふさわしいわ。本当に、私たちの誇りよ」
莉奈は、ようやく花瓶の残骸の中に立つ私に気づいたようだった。
彼女の笑顔が、ほとんど気づかないほど微かに引きつった。
「結菜?どうしてここにいるの?バイトだと思ってた」
「そうよ」
明美は、私に毒々しい視線を送りながら言った。
「そして今、またいつものヒステリーを起こしてるの」
「ああ、結菜」
莉奈の声は、偽りの同情に満ちていた。
彼女は、心配そうな顔で私に近づいてくる。
「どうしたの?すごく、辛そうよ」
彼女が私の腕に触れようとしたので、私は身を引いた。
「触らないで」
歯を食いしばって言った。
莉奈の目に、みるみる涙が溜まっていく。
「わからない。私のこと、喜んでくれると思ってた。蓮が…蓮が、あなたに話したって言ってたから」
「テキストメッセージでね」
私は、平坦に言った。
「そんな…」
莉奈は、口に手を当てて囁いた。
「そんなはずじゃなかったのに。彼、ちゃんとあなたと話すつもりだったのよ。すごく罪悪感を感じてるって言ってた。あなたたち二人は、もう合わないんだって。それに…あなたの過去は、彼の家族には受け入れられないって。心配してたの…ほら…あなたの、精神的な安定性のこと」
完璧に選ばれた言葉。
その一つ一つが、鋭く、計算された刃だった。
彼女は、新しい婚約者の言葉を引用し、両親がすでに私の背中に突き立てたナイフを、さらに深くねじ込んでいる。
「彼が、そう言ったの?」
私は、空虚な声で尋ねた。
それが嘘で、両親のための演技であることはわかっていた。
でも、心のどこかで、それを聞く必要があった。
「あなたのことは大切だけど、こんなに…壊れてる人とは未来を築けないって」
莉奈は、ワニの涙で声を震わせながら続けた。
「あなたの問題を、受け止められる誰かを見つけるべきだって」
痛みは、物理的なものだった。
胸を押しつぶす、重い塊。
私は双子の妹、完璧なコピーを見て、そこに怪物を見た。
歪んだ、苦い笑みが、私の唇に広がった。
「すごいわね。本当に、すごい」
「何のことかわからない」
彼女は、すすり泣いた。
「もういい、結菜!」
父が吠えた。
「お前の妹の、人生で一番幸せな夜を台無しにするな!」
「その通りよ」
明美は、莉奈の髪を撫でながら言った。
「結菜は、ただ嫉妬してるだけ。あなたが幸せなのが、我慢ならないのよ。あの子が戻ってきてから、私たちは一生懸命育ててきたけど、十年のダメージは消せないわ」
「じゃあ…じゃあ、二人で彼と付き合うのはどうかな」
莉奈が、真剣さを装って、目を大きく見開いて言った。
「私、シェアしても構わない。だって、姉妹だもの。みんなが幸せなら、それでいいの」
そのあまりの厚かましさ、信じがたいほどの、侮辱的な偽善に、息を呑んだ。
私は彼女を見つめ、それから、まるでそれが合理的な提案であるかのように頷いている両親を見た。
笑いが、生々しく、狂ったように、私の喉から迸った。
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