
聖女は死んだふりをした
章 2
佳実 POV:
「奈々, お願い. 私の人生を, この手で終わらせるの」
私の言葉に, 奈々は息を呑んだ. だが, その瞳には, 私を止めるのではなく, 私を守ろうとする決意が宿っていた.
流産を経験した後, 私はすぐに遠く離れた町にある小さな病院に向かった. 誰にも知られずに, 秘密裏に, すべてを終わらせるために. 晴司の財力と人脈は, 私が逃げ出すことを許さないだろう. だから, 私はまず, 彼の子供をこの世から消す必要があった.
手術台に乗る直前, 朱莉から一本の動画が送られてきた. 朱莉は私の妊娠を知っていて, わざとこのタイミングで送ってきたのだ.
「あなたの妊娠なんて, どうせ遊びよ」
そんな声が聞こえてくるようだった.
動画には, 晴司と朱莉の情事の様子が映っていた. それは, 私が想像していたものよりも, はるかにひどかった. 彼は私に見せたことのない, 狂おしいほどの欲望を朱莉に向けていた. 私の聖女と崇めた清らかな愛など, そこには存在しなかった.
胃の底から込み上げてくる吐き気に, 私は口元を押さえた. それでも, 私は目を逸らすことなく, 最後まで動画を見続けた. 彼の裏切りを, この目に焼き付けるために.
「大丈夫ですか? 」
看護師が心配そうに私に尋ねた. 私の顔色は, きっと死人のようだっただろう.
私はまだ, 彼を愛していた. 彼の裏切りを知ってもなお, 私の心は彼を求めていた. この関係を切るのは, 私の心臓を自ら引き裂くような痛みだった.
私は彼に, 最後のチャンスを与えようと決めた. 震える指で晴司に電話をかけた.
「晴司…会いたい. 今すぐ, 帰ってきて」
私の声は, か細く震えていた.
「ああ, 佳実. 今, 大事な会議があるんだ. すぐに終わるから, 待っていてくれ」
彼はそう言って, あっという間に電話を切った. 私を気遣う言葉もなく, ただ, 自分の都合を優先した.
彼が私との電話を, こんなにも早く, 途中で切ったのは初めてだった. 私の心に, 絶望の冷たい手が伸びてきた.
私は呆然と立ち尽くし, 涙が頬を伝った. もう, 終わりだ.
深く息を吸い込み, 私は手術室へ向かった. もう, 迷いはなかった.
深夜, 自宅に帰ると, 奈々からメッセージが届いていた. 「準備は全て整ったわ」. 私はただ, そのメッセージを消し, ベッドに倒れ込んだ. 一晩中, 涙が止まらなかった.
翌朝, 晴司が帰宅した. 彼は優しい眼差しで私を抱きしめた.
「佳実, 昨日はごめん. 会議が長引いてしまって. 君に会いたかった」
彼は私の髪を撫で, お腹にそっと手を当てた.
「この子が生まれたら, もっと大きな家に引っ越そう. 庭には君の好きな花をたくさん植えよう」
彼は幸せそうに, 未来の計画を語った.
彼は私の沈黙に気づかない. ただ, 自分の喜びに浸っている.
「どうしたんだい? 目が赤いぞ. 泣いていたのか? 」
ようやく私の異変に気づいた晴司が, 心配そうな顔で尋ねた.
「ええ, 妊娠すると, 感情的になるって言うじゃない? 幸せすぎて, 涙が止まらなくなっちゃったの」
私は精一杯, 笑顔を作った. 嘘つきの顔は, きっと歪んでいたはずだ.
「そうか. 無理もない. 僕も君がいて, 本当に幸せだよ」
晴司は安堵の表情を見せ, 私の頭を撫でた.
「今日は一日中, 君のそばにいるよ」
私はその言葉を聞いて, 決意を固めた. 今日が, 彼との最後の日だ.
私は奈々に連絡を取り, 昔からの友人たちとのパーティーを企画した. 彼らとの別れを告げる, 最後のパーティーだ. 晴司は私の体調を心配していたが, 私が楽しみにしていると知ると, 同行を申し出た. 彼にとって, 私を一人にするのは耐えられないことなのだろう.
パーティー会場に着くと, 友人たちが私たちを笑顔で迎えた.
「晴司さん, また佳実さんを独り占めしようとしてる〜」
「本当に佳実さんのこと, 大事にしてるんですね」
友人たちは, 晴司の私への過保護なほどの愛情をからかった. 晴司は照れたように笑い, 友人たちに高価なプレゼントを配った.
「佳実, 本当に愛されてるわね」
友人たちの羨望の眼差しが, 私に突き刺さる. 私はただ, 乾いた笑顔を返すしかなかった.
そのとき, 会場の扉が開き, 不意に, 豊川朱莉が姿を現した. 彼女は私たちのテーブルにまっすぐ向かってきて, 空いている椅子に座った.
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