秘めたる想いの代償 の小説カバー

秘めたる想いの代償

8.6 / 10.0
現代を舞台にした切ないromance novel『秘めたる想いの代償』。かつて愛する人を救うために彼を突き放した主人公は、余命幾ばくもない中で娘の親権を巡り、冷酷な弁護士となった元恋人・藤澤涼介と再会します。彼が真実を知らぬまま復讐に燃える中、娘を守るための孤独な闘いが始まります。過酷な運命に翻弄される二人の関係を描いたこのweb novelは、愛と犠牲の果てにある衝撃の結末を綴ります。
「秘めたる想いの代償」のあらすじ
六年前、愛する藤澤涼介を救うために私は彼を裏切り、その手で破滅へと追いやった。そして今、復讐に燃える彼が弁護士として私の前に再び現れる。白血病に侵され余命僅かな私に残された唯一の希望は、愛娘の希と過ごす時間だけだった。しかし、亡き夫の姉から法外な慰謝料と親権を巡る訴訟を起こされ、その代理人を務める涼介は、冷徹な眼差しで私を母親失格だと糾弾する。彼は希が自分の実の娘であることも、私の命が尽きようとしていることも知らない。かつて私を愛した面影を消し去り、私を破滅させた一族の女と新たな家庭を築く彼は、ただ憎しみだけを糧に私からすべてを奪おうとしていた。娘を守るため、私は自らの治療費を投げ打って彼女を遠くへ逃がし、孤独な病室で最期の時を迎える。涼介が新しい命の誕生を祝うその裏で、私は息を引き取った。だが、死の淵で私は彼に一通の手紙を託す。それは、彼が築き上げた完璧な偽りの世界をすべて焼き尽くし、残酷な真実を突きつけるための、最期の代償だった。
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秘めたる想いの代償 第1章

六年前、私は愛する男を救うため、その手で彼を破滅させた。今日、彼は私の人生に再び現れ、私に残された唯一のものを奪いに来た。

白血病で余命数ヶ月。私に残された望みは、娘の希(のぞみ)と残りの時間を過ごすことだけ。しかし、亡き夫の姉が、私には到底払えない莫大な慰謝料を要求し、親権を争う裁判を起こしてきた。

そんな中、相手方の弁護士として現れたのは、藤澤涼介(ふじさわ りょうすけ)だった。

彼は冷酷な仮面を貼り付け、クライアントが私の頬を殴りつけるのをただ傍観していた。そして、私を母親失格だと罵り、娘を奪うと脅した。

「サインしろ」氷のように冷たい声だった。「さもなければ法廷で会うことになる。お前からすべてを奪ってやる。まずは、その娘からな」

彼は、希が自分の子供であることを知らない。私が死にかけていることも知らない。ただ私を憎み、私の家族を破滅させた張本人の一族の女と、新しい家庭を築いていることだけを知っていた。

私は彼を守るため、残酷な嘘で彼を突き放し、すべてを犠牲にした。だが、その犠牲は彼を怪物に変え、今、彼は私を完全に破壊するための武器として使われている。

娘を救うため、私は命を繋ぐための治療費を諦め、彼女を遠い場所へと送った。彼が上の階で新しい子供の誕生を祝っている頃、私は病室のベッドで独り、息を引き取った。

けれど、私は彼に一通の手紙を残した。彼の完璧な世界を焼き尽くす、一通の手紙を。

第1章

結城恵梨(ゆうき えり) POV:

六年前、私は愛する男を救うため、その手で彼を破滅させた。今日、彼は私の人生に再び現れ、私に残された唯一のものを奪いに来た。

調停室は冷え切っていた。安っぽいコーヒーの匂いと、言葉にならない憎しみが空気に充満している。

磨き上げられた重厚なマホガニーのテーブルの向こう側で、便宜上の結婚相手だった亡き夫の姉、鈴木貴子(すずき たかこ)が、乾いた目にティッシュを当てている。私たちを結びつけた空虚な結婚生活と同じくらい、中身のない悲劇のパフォーマンスだった。

私の悲しみは、静かで、絶え間ない痛みだ。骨の髄まで染み渡る倦怠感と同じように、すっかり慣れ親しんだ伴侶となっていた。

白血病。医者はそう言った。私には見つめる余裕すらない、時を刻む時計。

残された時間を、娘の希と過ごしたい。根拠のない親権争いのために、こんな無機質な部屋で時間を無駄にしたくはない。

裁判費用と世間の注目を避けるため、私はこの調停に同意した。静かに示談に応じれば、貴子とその強欲さが消えてくれると期待して。

その時、ドアが開き、私の世界が、ぐらりと揺れた。

藤澤涼介。

大学時代の思い出の中で響く笑い声も、狭い寮の部屋で私の背中に星座をなぞってくれた、あの頃の彼ではなかった。

この男は、氷と野心で形作られた別人だ。非の打ちどころなく仕立てられたスーツ、石のように固く結ばれた顎。そして、かつて私が吸い込まれそうになった深く魂のこもった瞳は、今や冷たく、値踏みするような空虚な穴に変わっていた。

相手方の弁護士。

そう、当然だ。運命の女神は残酷なユーモアのセンスをお持ちのようだ。

貴子の甲高く耳障りな声が、沈묵を破った。

「いたわ。あの後妻業が。涼介さん、見てちょうだい。可哀想な弟のために、涙の一粒も流さないのよ」

私はびくりと震え、テーブルの木目に視線を固定した。

「どうせずっと浮気してたんでしょうね」貴子は吐き捨てるように言った。「弟は善良な人間だったわ。聖人君子よ。あんな女を引き取ってあげたんだから。落ちぶれたお嬢様が産んだ、父親のわからない子供ごとね!」

五十代ほどの疲れ切った様子の調停委員が、咳払いをした。

「鈴木さん、どうか冷静に」

貴子はそれを無視し、私に狙いを定めた。

「慰謝料を要求します。弟が受けた精神的苦痛に対する慰謝料を。あの子は心労で死んだのよ!」

「彼が亡くなったのは癌よ、貴子さん」私はかろうじて囁いた。

「あんたのせいよ!」

貴子は叫びながらテーブル越しに身を乗り出した。彼女の手が私の頬を打つ。その衝撃で、私の頭は横に振られた。鋭い痛み。だが、涼介に目を向けた瞬間、血管を駆け巡った氷の冷たさに比べれば、何でもなかった。

彼は、ただそこに立っていた。

微動だにしない。

クライアントが私を殴るのを、冷酷な無表情で見つめているだけだった。

私が知っている涼介なら、私のためにバスの前にだって飛び込んだだろう。この男は、部屋を横切ることさえしない。

私は動かなかった。叫び声も上げなかった。ただその一撃を受け止めた。プライドだけが、私に残された唯一の盾だった。

「そこまでだ、貴子さん」

ようやく涼介が言った。その声には何の感情もこもっていない。法廷を支配する弁護士の声。かつて愛した女性が殴られるのを目撃した男の声ではなかった。

雷雨の中、雨と涙で顔を濡らしながら、行かないでくれと私の名前を叫んだ彼の姿を思い出す。その対比は物理的な打撃となって、私の肺から空気を奪った。

彼は一歩前に出て、私の前のテーブルにファイルを置いた。静かな音だった。彼の長く優雅な指が、紙に触れる。

「これにサインしろ」

彼のコロンの香り。私の知らない、清潔でシャープな香りが、私たちの間の空間を満たした。

いつだったか、彼はバーのナプキンに「結城恵梨を永遠に愛する」と殴り書きし、「これは法的拘束力のある契約書だ」と言ってテーブル越しに滑らせてきた。胸が張り裂けそうになった。

私は視線を落とし、彼の目を見ることができなかった。最後の夜の記憶が、目の裏で燃え上がっていた。私が考えうる限り最も残酷な言葉を吐きつけた時の、彼の傷つき、混乱した顔。

「あなたは施しを与えてやった貧乏人よ、涼介。ちょっとした遊び。まさか、私みたいな女が、あなたみたいな男と一緒になるなんて本気で思ってた?」

あれは嘘だった。すべてが嘘。私の人生という大惨事から彼を切り離し、父の破産が解き放った闇金や犯罪者たちから彼を守るために作り上げた嘘。だが、この冷たく無機質な部屋では、その嘘だけが私たちの間に存在する唯一の真実のように感じられた。

「あなたは弟を騙した」貴子は席に戻ったが、まだ怒りで震えながら罵倒した。「私たちに借りがあるのよ。払えないなら、子供を貰うわ。あなたの借金を働いて返させればいい」

私の頭が跳ね上がった。胸の中で、守るべきものを前にした獣の咆哮が湧き上がる。

「娘には指一本触れさせない」

ペンを取ろうとしたが、手が激しく震えた。化学療法が残した、制御できない震えだった。

「健司さんとは合意の上だった」私は震える声で言った。「ビジネス上の取り決めよ。彼は介護者を必要としていたし、私はいじめられないように、娘に姓を名乗らせる必要があった」

「嘘よ!」貴子は金切り声を上げた。「弟がそんなこと…」

「静かに」

涼介が命じると、彼女は黙り込んだ。彼は氷河のような視線を私に向けた。

「結城恵梨。あの偉大なる結城恵梨が。まさか調停室で、はした金を巡って値切る姿を見ることになるとはな」

息が詰まった。彼は的確に、私の最も痛い場所を突いてくる。

「これ以上、時間を無駄にするのはやめよう」彼は事務的な口調で続けた。「クライアントは五千万円で示談に応じる用意がある。娘を手放さないための代償としては、安いものだろう?かつてはパーティー一回でそれくらい使っていた君にとっては」

私は示談書を見つめた。滲んだ涙の膜を通して、黒いインクがぼやけて見える。

最後の夜の彼の顔を、もう一度思い出した。打ちひしがれて項垂れた肩。彼の壊れたシルエットのイメージが、私の記憶に焼き付いている。今、彼は鋭い角度と成功で再構築され、私の裏切りによって生まれ変わった男になっていた。

「そんなお金はないわ、涼介」私は囁いた。その告白は、私に残されたわずかなプライドを代償にした。「それに、私の健康状態も…もう…」

「言い訳には興味がない、恵梨」彼は氷を削るような声で遮った。「これは法的な問題だ。泣き落としじゃない。君の感情はここでは無関係だ」

彼は身を乗り出し、手入れの行き届いた指で署名欄を叩いた。

「サインしろ。さもなければ法廷で会うことになる。お前からすべてを奪ってやる。まずは、その娘からな」

一筋の熱い涙がこぼれ落ち、頬を伝った。私は怒りに任せてそれを拭った。

だめ。彼に満足させてやるものか。彼らが望むものを、何一つ与えてやるものか。

私に残された時間はあまりにも少ない。数週間。運が良ければ数ヶ月。一秒一秒が貴重だった。私の過去、そして今や未来をも握る男との、勝ち目のない戦いに費やすつもりはない。

でも、希を失うわけにはいかない。

彼は私の目から闘志が消えていくのを見た。私が壊れるのを見た。

「法廷では」彼の声は低く、ぞっとするような囁きだった。「俺に慈悲はないと思え」

苦い笑みが私の唇に浮かんだ。

「知ってるわ。私はもう、歩く死人のようなものよ、涼介」

彼の携帯がテーブルの上で震え、画面が光った。そこに映し出された写真が、私の心の最後の、脆い破片を粉々に砕いた。

彼と、美しく繊細な顔立ちの女性が写ったロック画面。彼女の頭が彼の肩にもたれかかっている。新山愛莉(にいやま あいり)。彼女の一族が、私の家族の破滅を画策した。写真の中で、彼女は小さな男の子を抱き、もう一方の手は優しく膨らんだお腹に添えられていた。

彼は結婚していた。家族がいた。新しい家族が。

肺の中の空気が灰になった。六年間、私がしがみついてきた、愚かで秘密の希望――いつか、彼が理解してくれるかもしれないという希望――そのすべてが、その瞬間に死んだ。

私は床に置いた使い古しのハンドバッグに手を伸ばした。逃げ出したいという必死の衝動が私を襲う。手がひどく震え、バッグが滑り落ち、中身が床に散らばった。

口紅、小銭、そして十数個の琥珀色の処方薬の瓶。

私の命を救い、延命させるための薬が、彼の足元に散らばっていた。

彼は立ち去ろうとして、凍りついた。彼の視線が私の顔から床へ、そして再び私へと戻る。

初めて、彼の表情に何かがよぎった――混乱、疑惑。

彼は私に向かって一歩踏み出し、危険なほど静かな声で言った。

「あの娘、希とか言ったか。何歳だ?」

私が答える前に、彼の目が細められた。

「父親は誰だ、恵梨?」

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