
六十六回キャンセルされた花嫁
章 2
西村佳代 視点:
直哉の背中が遠ざかっていく. 私の手は, 反射的に彼の腕を掴んでいた.
「直哉, 待って…今回は, 行かないで…」
私の声は, か細く震えていた. 必死だった. 今度こそ, 彼は残ってくれるかもしれない. 一縷の望みをかけて, 私は彼の腕を握りしめた. 直哉は立ち止まり, 私と千結の間で視線を揺らした. その目は, 一瞬だけ迷いの色を浮かべたが, すぐに決意に変わる.
「佳代, すまない. 千結の方が深刻だ. 意識が朦朧としている. 式は中止だ」
直哉の言葉は, まるで冷たいナイフのように私の胸に突き刺さった. 私の手は, 彼の腕から滑り落ちる.
「あいつは東京に身寄りがなく, 頼れるのは俺しかいない. 俺がついていってやらなければ, 誰が助けてやるんだ」
直哉は言い募った. その言葉は, まるで私に言い訳をしているようにも聞こえたが, 彼の決意は固そうだった.
私の両親は, 怒りを押し殺した顔で直哉を睨みつけていた. 友人の千鶴が, 直哉に向けて怒鳴った.
「直哉さん! またですか! 佳代ちゃんの気持ちも考えてください! 」
他の友人たちも, ざわめきながら直哉の無責任な行動を非難する声が聞こえる.
「かわいそうに, 佳代ちゃん…」
ある参列者の声が, はっきりと私の耳に届いた.
「もうこれで何度目だっけ? 彼が式をキャンセルするの」
「いつも佳代ちゃんが後始末してるのよね」
「毎回, こんなに素敵な飾りつけをして…本当に直哉さんのこと, 愛してるのね」
そんな声が, 私の心をさらに締め付けた. 直哉は, 私の手から逃れるように腕を引いた. その顔には, 苛立ちが浮かんでいる.
「佳代, 分かってくれ. アレルギーは命に関わるんだ! 」
彼は半ば怒鳴るように言った. そして, 私を一瞥することなく, 最後にこう付け加えた.
「次の式は, 必ず. 今度こそ, 絶対に」
その言葉は, もう何百回も聞いた空約束だ. 私は心の中で嘲笑した. 今まで, 泣き喚いたり, 懇願したり, 怒鳴りつけたりもした. けれど, 直哉は一度も私の方を向いてくれなかった. もう, 慣れた. 彼は, 決して私を選ばない.
私は, そっと直哉の手を放した. そして, 無理に口角を上げて微笑んだ. 胃の激痛が, 全身を這い上がってくる.
「分かったわ, 直哉. 早く千結ちゃんを連れて行ってあげて」
直哉は, 私の意外な反応に一瞬だけ戸惑ったように見えた. 彼は, 私のあまりに冷静な態度に居心地が悪そうだった.
「佳代, 本当に, すまない. すぐに戻るから」
直哉のその言葉に, 私はただ「うん」と頷くだけだった. 彼は, 私を振り返ることなく, 千結を抱えて教会を去っていった. 私は, 彼の後ろ姿を見つめる. 彼は, もう二度と戻ってこない. そう確信していた.
私の意識は, そこで途切れた. 激しい胃の痛みに耐えきれず, 私はウェディングドレスのまま, その場に倒れ込んだ.
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