
捨てられた婚約者の甘い復讐
章 2
広田真由 POV:
救急車の中で意識を失い, 目覚めたのは白い天井の下だった. 手術は無事に終わったらしい. 体はまだ鈍く痛み, 点滴の針が腕に刺さっていた.
数日間, 病院のベッドで静かに過ごした. 家族や晴からの連絡は一切なかった.
私は携帯の電源を落としていた. 彼らは私がどこにいるのか, 生きているのか死んでいるのかすら知らないだろう. いや, 知ったところで, 気にも留めないだろう.
退院の日, 私は誰にも告げずに病院を出た. タクシーを拾い, 実家へと向かった.
家に着くと, リビングから賑やかな声が聞こえてきた. 笑い声と, 陽気な音楽. まるで何もなかったかのように, 彼らは日常を送っている.
玄関のドアを開けた途端, 話し声がピタリと止まった. リビングのドアの隙間から, 父, 母, 兄の龍二, そして晴と芽依の顔が見えた. 彼らの顔に浮かんだのは, 驚き, そして, わずかな不快感.
「真由…? あんた, どこに行ってたのよ! 」母の声が, 場の静寂を破った. 彼女の顔には, 心配よりも苛立ちが色濃く浮かんでいた.
兄の龍二は腕を組み, 私を睨みつけた. 「一体どういうつもりだ? 芽依の誕生日に姿を消して, 今頃のこのこ帰ってきやがって! 」彼の言葉は, まるで私が故意に彼らを困らせたかのように響いた.
晴は, 私の隣に立っていた芽依の肩をそっと抱き寄せた. 彼の表情は, 申し訳なさそうに見えるが, その視線は私の後ろを逃げていた.
「ごめんなさい」私はそう呟き, ただ自分の部屋に向かって歩き出した. 疲れていた. 説明する気力も, 言い訳する気もなかった.
私の背中に, 龍二の舌打ちが聞こえた. 母が何か言いたげに口を開いたが, 結局何も言わなかった.
私の突然の沈黙に, 彼らは戸惑っているようだった. いつもなら, 私が必死に謝罪し, 彼らの機嫌を取ろうとするからだ.
リビングのドアを通り過ぎようとした時, 母が慌てて言った. 「真由, ちょっと待ちなさい! 喉が渇いたでしょう? 何か飲む? 」
母は, テーブルに置かれたグラスの一つを私に差し出そうとした. 中には, 鮮やかな黄緑色のジュースが入っていた.
私の心臓が, 一瞬止まったように感じた. キウイジュース.
あの, 私がアレルギーを持つキウイジュース.
母は, 私のキウイアレルギーを, また忘れている. いや, 最初から覚えていなかったのかもしれない.
私は, 差し出されたグラスに手を伸ばさず, 首を横に振った. 「いいえ, 結構です」私の声は, ひどく冷静で, 感情が欠けていた.
母の顔が, みるみるうちに不快感で歪んでいった. 「何よ, せっかく出してあげてるのに! 相変わらず可愛げがないわね! 」
その瞬間, 私の胸が締め付けられ, 呼吸が苦しくなった. 視界がぼやける.
私は, ゆっくりとグラスを受け取った. そして, 母の目を見据え, 一気にそれを飲み干した.
甘酸っぱい味が喉を焼く. 全身が痒くなり, 喉の奥が腫れていくのを感じた.
「あのね, お母さん」私は, 震える声で言った. 「私, キウイにアレルギーがあるって, 何度も言ったでしょう? 」
母の顔が青ざめた. 「え…? そんな, いつから…? 」
「ずっとよ. あなたたちが芽依ばかりを見て, 私なんかどうでもよかったから, 覚えていないだけ」
「何を言ってるの! 私がわざとだとでも言うの! 」母はヒステリックに叫んだ.
「そうよ, 真由はいつもそうやって被害者ぶるんだ! 」龍二が立ち上がった. 「芽依を見ろ! あの子はいつも明るく, 家族を笑顔にする. お前とは大違いだ! 」
芽依は, 隣の晴に寄り添いながら, 満足げに微笑んでいた. その目は, 私の苦しみを喜んでいるように見えた.
私の心は, もう悲しみを感じなかった. ただ, 深い, 深い, 諦めの淵に沈んでいくようだった.
その時, 私は唐突に, 彼らに向かって深々と頭を下げた.
「ごめんなさい」
私の言葉に, リビングの空気が凍りついた.
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