
紅装を脱ぎて、君と天下を駆ける~重生・女将軍の復讐と愛~
章 3
塀外の陰に身を潜めた沈秋辞は、刺繍帕を握りしめたまま、指先の青白さを隠し得ない。
すると扉の隙間から、李婉茹のねっとり甘い声が漏れ出し、その響きがまるで冷たい針のように、容赦なく彼女の胸を刺した。
「承煜、あの沈秋辞は本当に美しい方よ。昔は都の若様たちが競って言い寄っていたでしょう。だからこそ、同じ屋根の下で過ごして、心が一度も揺れなかったなんて、本気で言えるの?」
それを聞いた蕭承煜は、彼女の機嫌を損ねまいとして、すぐさま言葉を重ねた。
「婉茹、馬鹿なことを言うな。俺の心にいるのは、昔も今もお前だけだ。沈秋辞など、俺にとっては使い道のある駒にすぎない」
「李家と蕭家が奴の力を必要としていなければ、わざわざ己を偽って、あんな女を娶るはずがないだろう」
そう言って一度言葉を切り、今度は言い聞かせるような声で続けた。
「もうしばしの辛抱だ。今は父上が獄中におり、お前の李家も、かの女の持ち金を用立てせねばなりませぬゆえ、今は機嫌を損ねないよう、とりなしておくしかございません」
蕭承煜は李婉茹を抱きしめ、声を柔らげて言った。
「母上も約束してくださった。すべてが終わったら、あの女に子ができなくなる薬を飲ませると」
「そうなれば、自分が子を産めぬ身体だと知り、向こうから進んで、お前を俺の側室として迎え入れようとするだろう」
承煜は口元を歪めた。その整った顔には、人を物として扱う冷え切った計算だけが浮かんでいる。
「そうすれば侯爵府が恩知らずと罵られることもないし、あの女も後継ぎを産めない負い目から、心から甘んじて侯府のために尽くすはずだ」
彼はそう言いながら、李婉茹の耳元に唇を寄せた。
「この俺、蕭承煜の子を産むのは、お前の腹から生まれる者だけだ」
扉の隙間から見える狭い視界に、承煜が慈しむように婉茹の腹を撫でる手が映る。その柔らかな仕草は、これまで一度も沈秋辞に向けられたことのないものだった。
李婉茹は恥じらうように彼の胸に顔を埋め、二人は甘い言葉を交わし合っている。
沈秋辞が唇を噛み締めると、鉄錆びた血の味が口いっぱいに広がった。その痛みがあるからこそ、この二人の喉笛を掻き切りたい衝動を、かろうじて理性で抑え込めていた。
これまで、子を産めなくする薬の話は、承煜一人の企みだと思っていた。だからこそ、姑まで関わっていた事実に、息が詰まる。
いや、それだけではない。おそらく、蕭家全体が彼女を欺いていたのだ!
彼女はふらりと足元を踉跄かせて後ずさり、背中が木の幹にぶつかり、鈍い痛みと同時に、視界が暗くなっていった。
「夫人!」夏紅が慌てて体を支え、怒りに震える声を上げる。「蕭家の方々は、あまりにも、あまりにも非道でございます!」
「夫人が嫁がれ、陛下が沈家の顔を立てて侯爵府をお許しにならなければ、あの者たちはとっくに流罪になっていたはずです。それなのに、今さら夫人にこんな仕打ちを!」
「夫人、このまま泣き寝入りはできません。陛下の御前で訴え出て、あの者たちを厳しく罰していただきましょう!」
沈秋辞は大きく息を吸い、ゆっくりと体を起こした。瞳の奥でかろうじて残っていた光は消え、代わりに冷えきった憎しみの火が静かに灯る。
そして目尻に滲んだものを拭い、改めて息を整えた。
「御前にて沙汰となっても、陛下はわたくしたちを離縁なさいまするのみ。それでは、かの者どもをあまりにも安く見すぎるというもの」
そう言って、沈秋辞は夏紅をまっすぐ見た。
「蕭家にされたこと、ひとつ残らず、利子をつけて返してもらうわ」
夏紅は主の瞳に宿る冷たい光に、思わず背筋を震わせた。
「夫人の仰せのままに!どのようになさろうと、この夏紅、どこまでもお供いたします!」
二人は言葉もなくその場を離れた。怒りと屈辱に心を奪われ、いつの間にか人通りが少なくなっていることにも気づかない。
その時、凄まじい悲鳴が静けさを切り裂き、二人ははっと足を止めた。
道の中央で、粗末な身なりの男が膝をつき、黒い錦の袍を着た男の足に必死にすがりついて泣き叫んでいる。
「摂政王殿下!父は過ちを認めました!二度と刃向かうことはいたしません!どうか陛下の御前でお口添えをいただき、一族をお救いください!」
その黒衣の男こそ、朝廷を裏から支配する存在・霍雲峥だった。
霍雲峥は地に這いつくばる男を一瞥もせず、邪魔な石でも払うかのように無慈悲に蹴り飛ばした。
男は短い悲鳴を上げ、後方へ転がる。
さらに霍雲峥は一歩踏み出し、男の足の骨を容赦なく踏みつけた。
ぎくっ、と鈍い音が響き、骨の砕けた男は足を抱えて転げ回り、聞くに耐えない絶叫を上げる。
しかし彼は気にも留めず、そのまま馬車へ向かって歩いていった。
やがて馬車が動き出し、冷酷な車輪が再び男の足を轢く。悲鳴は一段と高く、歪んだものに変わった。
沈秋辞と夏紅は、思わず息を呑む。
夏紅は顔を青くし、慌てて沈秋辞の腕を引いて物陰に隠れた。
「夫人、こちらへ!決して摂政王のお目に留まってはなりません!」
壁の角に引き込まれた沈秋辞は、困惑したように小さく問い返した。
「どうして、隠れなきゃいけないの?」
夏紅は焦りを隠せない声で答えた。
「夫人、お忘れですか。 以前、夫人が承煜様とのご成婚を押し通されたことで、摂政王とは浅からぬ確執がございました」
「今の摂政王はひどくご機嫌が悪そうです。このような時に殿下の前に近づけば、災いが身に及ぶ恐れがあります!」
その言葉をきっかけに、前世の記憶が津波のように沈秋辞の脳裏を駆け巡った。
前世、舅の進忠が投獄された後、承煜はあちこち奔走して関係をつけようとしたが、どこでも壁にぶつかり、ため息をついて帰るばかりだった。
それを見かねた彼女は、嫁入り道具を差し出し、これで手を回してほしいと頼んだのだ。
役人たちは金を見ると笑顔を見せたが、皆が口を濁し、この件は雲峥の許しがなければ動かせないと言うだけだった。
舅を救い、夫の心を得るため、彼女は一時的に考えが乱れ、思い切って霍雲峥を訪ね、そこで少なからぬ屈辱を受けた。
沈秋辞は心の中で、冷たく笑った。
今回は、決して自分を犠牲にしない。さらに、蕭家という恩知らずの者たちのために、霍雲峥を敵に回すようなことはしない。
――それどころか、あの男さえ駒に使い、侯爵府を奈落の底へ突き落としてやるのだ。
おすすめの作品





