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別れの日、あなたの瞳は彼女を映していた の小説カバー

別れの日、あなたの瞳は彼女を映していた

古川結衣と藤原翔太が誓い合った三年にわたる夫婦の絆は、誰にも明かされることのない秘められたものだった。愛する人の隣にいられるだけで幸せだと、結衣は自らに言い聞かせて穏やかな日々を過ごしてきた。しかし、自身の体に新たな命が宿ったことを知ったその矢先、彼女の淡い期待は無情にも打ち砕かれる。結衣が目撃したのは、夫である翔太が彼の「初恋の女性」と親密に寄り添う、あまりにも残酷な光景だった。夫の心は今も自分にはないことを悟った彼女は、真実をすべて胸の奥底に封じ込め、彼の前から静かに姿を消す決意をする。それから数ヶ月の時が流れ、膨らんだお腹を抱えた結衣は、予期せぬ形で翔太と再会を果たすことになった。かつての献身的な愛と裏切りの記憶、そして隠し通してきた秘密が交錯するなか、一度は途絶えたはずのふたりの運命は、再び激しく、そして静かに波打ち始める。失われた愛の行方と、生まれてくる命を巡る切なくもドラマチックな物語が幕を開ける。
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古川結衣は反射的に顔を上げ、その瞬間、目の前の男に視線が釘付けになった。

――見間違い…? 藤原翔太が、もう帰ってきた? 沙織が帰国したばかりなのに、彼はまだあの「愛する女性」と一緒にいるはずじゃなかったの…?

翔太は、黙ったままの結衣を見て、わずかに眉をひそめた。

そのときの結衣は、まるで水の中から這い上がってきたようだった。

全身がびしょ濡れで、長い髪は頬に張りつき、血の気の引いた顔を濡らしていた。髪の先からは今もぽたぽたと水が滴っている。まるで大雨の中、軒下で震える濡れた子猫のように――その姿は、あまりに痛ましく、あまりに無防備だった。

「どうしたらこんな姿になるんだ」藤原翔太は眉を寄せ、不機嫌そうな声を投げかけてきた。

その冷たい言葉に、古川結衣の胸がズキリと痛んだ。

――あのホテルで沙織に向けていた、あんなにも優しい声色とはまるで別人。愛する人と、そうでない人への態度の違いは、ここまで露骨なのか。

結衣は込み上げる感情を必死に抑え、なんとか笑みを作って答えた。「帰る途中で、急に雨が降ってきて…傘、持ってなくて、濡れちゃったの」

言い終えた途端、鼻の奥にツンとしたかゆみを感じ、大きなくしゃみがひとつ。

翔太の眉間は、ますます険しさを増したままだった。その顔には、心配も動揺も、微塵も浮かんでいなかった。

「古川結衣、お前いくつだよ? 雨に濡れたら、真っ先に身体拭いて服を着替える。それくらいのこと、いちいち俺が教えなきゃダメなのか?」

結衣の口元の笑みが、わずかに引きつる。「…ごめんなさい」

「さっさと片付けてこい。風邪でも引いたら面倒だ」 藤原翔太はそれ以上言葉を続ける気もない様子で、眉間に苛立ちの皺を寄せたまま、家の中へと入っていった。

――風邪? その言葉に、結衣ははっとした。自分は今、妊娠している。絶対に病気なんてしていられない。

その思いが頭をよぎると同時に、彼女は急いで部屋に戻った。熱めのシャワーを浴びてようやく冷えきった身体が温まり、少しずつ感覚が戻ってくる。

バスルームの扉を開けると、湯気がふわりと流れ出る中、バスタオルを巻いてそっと出てきた結衣は思いがけず、翔太の姿を目にした。

「っ…!」驚きのあまり、思わず小さく声が漏れる。とっさにバスタオルの胸元を押さえ、翔太を見つめた。

藤原翔太の深い視線が、じっと結衣を捉えていた。彼女の動作に気づいた彼は、表情ひとつ変えず、淡々と口を開いた。 「隠す必要あるか?お前の身体なんて…どこを見てないっていうんだ?」

古川結衣の頬が一気に赤く染まった。頭の中には、夜ごと重なったあの熱い記憶が不意に蘇る。

翔太は、ゆっくりと風邪薬のパッケージを開け、水の入ったコップを手にして、結衣のもとへと歩み寄った。

「ほら、これ飲め」

結衣は彼の手元を見つめる。薬…でも、彼女の中にはもう、別の命が宿っている。そのことが頭をよぎり、手が自然と止まる。

「あの…大したことないと思うし、薬は飲まなくてもいいんじゃないかな」

翔太は疑いの余地のない口調で言った。「自分の顔色がどれだけ悪いか分かってるのか? 明日は祖母に会いに行くんだ。今倒れられたら、迷惑なんだよ」

――妊娠している今、安易に薬は飲めない。そう考えた古川結衣は、なんとか断ろうとした。「温かいお湯をたくさん飲めば大丈夫。風邪なんてひかないよ」

翔太の眉間には、はっきりとした苛立ちの色が浮かんでいた。そして、次の瞬間――彼は黙って結衣の手から水のコップを取り上げ、持っていた風邪薬をそのまま口に含み、温水で一気に飲み下した。

「翔太、やめて、それは――んっ!」

言いかけた言葉は、唇に押し寄せた熱にかき消された。藤原翔太の高い身体がぐっと近づき、荒々しい指が結衣の柔らかな顎をしっかりと掴む。そして、そのまま、結衣の淡い唇に深く口づけた。

温かい水とともに、風邪薬が彼の唇から流れ込んでくる。翔太は大きな手で結衣の後頭部を支え、そのまま薬ごと飲み込むように仕向けた。

彼の熱を帯びた息遣いが結衣の意識を奪っていく。抗う力もないまま、結衣はその激しいキスに呑み込まれていった。

情欲を帯びた深いキスが、藤原翔太の中に眠っていた衝動に火をつけた。二人の身体はそのまま絡み合い、ベッドへと倒れ込む。

翔太は、力の抜けた結衣の唇を名残惜しげに啄みながら、上体を起こすと、ネクタイを解き乱雑に放った。その瞳には、彼女を今すぐ貪りたいという激しい欲望が宿っていた。

結衣の視界はぼやけ、揺らぐ意識の中で翔太の危うい眼差しと目が合った瞬間――はっと我に返る。翔太の身体がふたたび覆いかぶさろうとしたその刹那、結衣は震える声で言った。「だめ…!」

震える手で、彼の胸元を押し返す。

「…なんだと?」翔太は眉をひそめ、まるで聞き間違えたかのように問い返した。

再び唇を奪おうと顔を寄せたそのとき、結衣は顔をそらし、その目を見ようとせずに、かすれた声で告げた。「藤原翔太…私たち、離婚しましょう」

その一言で、藤原翔太の瞳に宿っていた欲の炎が一瞬で消えた。

彼は鋭い手つきで結衣の顎をつかみ、顔を無理やりこちらに向けさせると、深く冷たい視線を真っ直ぐ彼女の瞳に注ぎ込んだ。「もう一度言ってみろ」

その静かな言葉に、結衣の心臓が強く跳ねた。けれど、感情の渦を押し殺しながら、彼女はまっすぐ翔太の目を見つめ、はっきりと繰り返した。「…離婚しましょう」

その瞬間、翔太の瞳に一瞬だけ複雑な色がよぎった。「どうしてだ?」

その問いに、古川結衣は言葉を詰まらせた。まさか、彼が「理由」を尋ねてくるとは思っていなかったのだ。

――理由なんて決まってる。

彼の願いを叶えるため。「藤原の妻」という立場を、ずっと想い続けてきた小林沙織に譲るため。

「もちろん理由は…」

「また古川家が何かやらかしたか?金が欲しいのか?」けれど、結衣の言葉を遮るように、翔太の苛立った声が飛んできた。「古川結衣、お前な…もう少し大人しくしてくれ。何が欲しいかハッキリ言え。そんな回りくどい手使わなくていいし、くだらない駆け引きもやめろ。俺に構ってほしいだけなんだろ?」

その言葉に、結衣はそっと拳を握りしめた。

そういうことだったのか。この人は、私が「離婚したい」って言ったのを、単なる気まぐれやわがまま、あるいは「条件を引き出すための手段」としか見てないんだ。

彼女はゆっくりと口元に笑みを浮かべた。その笑みは静かで、どこか切なく、そしてどこまでも覚悟に満ちていた。「安心して。私は何もいらない。欲しいのは…離婚だけ」 「藤原翔太…どうせ、私たちはいつか離婚する。今か、少し先かの違いだけ。だったら、今でもいいでしょう?」

古川結衣がそう言い終えた後も、翔太は何も答えなかった。ただ、深く、そしてどこか得体の知れない視線で彼女をじっと見つめていた。

胸の奥がそわそわと落ち着かない。けれど、その中に小さな希望が顔を出す。――まさか、翔太は…離婚したくないって思ってるの?結衣は、恐る恐る問いかけた。

「それとも…あなたは、離婚したくないの?」

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