
失われた記憶の恋人
章 3
背後から聞こえてきたのは、佐々木詩織の声だった。
「修一、私がいない間にこの女といちゃいちゃしてたんでしょう。許さないから、埋め合わせをしてもらうわ」
「言ってごらん、どんな埋め合わせが欲しい?」
栗崎修一は尋ねた。
「ふん、一生、あなたの心には私だけがいてほしい」
「いいとも」
「それから、私へのプロポーズは、これよりもっと盛大にしてくれなきゃ嫌だから!」
「わかった」
詩織は嬉しそうに笑い、修一もまたこの上なく優しかった。
それから彼は、すぐにレストランの支配人を呼びつけた。
「この花や風船を、今すぐ全部片付けてくれ」
遠藤美咲の目頭が、不意に熱くなった。
栗崎家の別荘に戻ると、美咲はまず玄関に置かれたスーツケースに目を留めた。
詩織が来たのだ。
この別荘は、かつて修一が美咲に贈った『贈り物』だった。
購入から内装に至るまで、修一はすべて美咲の好みに合わせてくれたのである。
そして今、この別荘の女主人は、別の人に代わろうとしていた。
美咲はうつむき、唇の端に自嘲の笑みを浮かべた。
自分が自分を過大評価していただけではないか。
美咲が別荘に残していたものは多くない。
彼女は身の回りの必要なものや衣類をいくつかまとめると、ウォークインクローゼットへと向かった。
中には、大小さまざまな高級ブランドのバッグや腕時計が並んでいる。
あの頃の修一は、美咲に対して本当に気前が良かった。
彼女が少しでも気に入ったそぶりを見せれば、たとえショーウィンドウをちらりと見ただけでも、修一はそれを買ってきて美咲に贈った。
スーツケースの底には、修一が彼女に贈ったマフラーがあった。
そのマフラーは他の贈り物とは違っていた。それは修一が手編みしたもので、美咲が何よりも大切にしている宝物だった。
引き出しの中には、彼が書き留めた何枚かのカードがあった。
そのカードは、すべて彼女に関するものだった。
【美咲が今好きなケーキは苺味だ】
【彼女が気に入っている指輪はカルティエのデザインだ】
美咲はふと、昼間のレストランで支配人が運んできた大きな苺のケーキと、箱の中のカルティエのダイヤモンドリングを思い出した。
心臓がこなごなに砕け散ったかのように、ずきずきと痛んだ。
彼女はそれらのカードを一枚ずつ元に戻した。
どうせ忘れるのだから、これらの思い出は、やはり持って行かない方がいいだろう。
美咲が部屋の荷物をまとめ、重くはないスーツケースを引いて出てきたとき、ちょうど家に入ってきたばかりの詩織と顔を合わせた。
「遠藤美咲、ちょっと待ちなさい」
詩織は靴を履き替えると、美咲が壁にかけていたクレヨンしんちゃんのキーホルダーを、無造作にゴミ箱へ捨てた。
そして、素早く階段を上ってきた。
「スーツケースに何を入れたのか、見させてもらうわ。そうしないと、あなたに相応しくないものを持ち出したかどうかわからないでしょう」
美咲はスーツケースの取っ手を握りしめ、眉をひそめた。
「どういう意味?」
「どういう意味かって?」
詩織は彼女の前に立ちはだかった。「あなたの正体なんて誰もが知っているわ。 品性下劣で、私が捨てた男まで拾うなんて。結局、彼のお金とこの別荘が目当てだったんでしょう? 手癖の悪い泥棒猫!」
美咲は拳を固く握りしめた。
「佐々木詩織」
「身は引く。でも、私を侮辱することは許さない。さもないと、容赦しないから」
ドアの外で鍵が回る音がした。
美咲が後ずさったが、詩織は一歩も引かず、彼女のスーツケースを掴んで放さない。
二人がもみ合っていると、突然、詩織が大きくのけぞり、そのまま階段を転げ落ちていった。
家に入ってきた修一は、ちょうどその場面を目撃した。彼は必死の形相で車椅子から転げ落ちると、よろめきながら駆け寄り、様子を見ようと階段を降りかけた美咲を、力任せに突き飛ばした。
修一の力はあまりに強く、美咲は壁に叩きつけられ、しばらく息もできなかった。
「埋め合わせはすると言っただろう。なぜ、それでも詩織をいじめるんだ!」
彼は詩織を腕に抱き、美咲と視線が合ったとき、その瞳には殺気さえも宿っていた。
「遠藤美咲、お前がこれほどまで悪辣な女だったとは思わなかった!」
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