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嘘で捨てた愛、消える記憶 の小説カバー

嘘で捨てた愛、消える記憶

彼の輝かしい成功は、かつて私が彼を突き放した絶望から始まった。貧しさを理由に別れを告げたのは、彼を守るための嘘だった。しかし、若年性アルツハイマーに侵された私は、記憶を失う前にお腹の子と母の形見を託そうと、再び彼の前に現れる。再会した彼は冷徹な権力者へと変貌しており、私を金目当ての裏切り者と蔑んだ。彼の婚約者である美穂からも執拗な虐待を受け、大切な形見を壊されただけでなく、彼女の残酷な嘘と暴力によって私はかけがえのない我が子まで失ってしまう。私が彼のために借金を背負い、身を削って働いた代償がこの病だとも知らず、彼は憎しみの眼差しを向け続けた。やがて、私の記憶が完全に消え去る運命の日が訪れる。真実を知り、罪悪感に打ちひしがれて泣き崩れる彼を前に、私は何もわからぬ無垢な瞳で「あなたはどなたですか?」と問いかけた。すべての愛憎を忘却の彼方へと流し、私は静かな海辺の療養所へと旅立っていく。皮肉にも、記憶を失うことでようやく私は彼という呪縛から解き放たれたのだった。
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彼の成功は, 私が彼から去った絶望という名の種から芽生えたものだと, 私は知っていた.

かつて彼を救うために「貧乏なあなたには愛想が尽きた」と嘘をついて捨てた.

若年性アルツハイマーで記憶が消える前に, お腹の子と母の形見を託そうと彼の元へ戻った.

しかし, 成功した彼は冷酷な目で私を見下ろし, 婚約者と共に私を地獄へと突き落とした.

彼は私を「金目当ての裏切り者」と罵り, 婚約者の美穂は嘲笑いながら, 私の唯一の希望だった母の形見のペンダントを踏み砕いた.

「私のお腹にも彼の子がいるの. あなたの子供なんてただの私生児よ」

美穂の残酷な嘘と暴力によって, 私は心身ともに崩壊し, お腹の小さな命さえも失ってしまった.

私が彼のために借金を背負い, 身を粉にして働いた結果がこの病気だとも知らず, 彼は最後まで私を憎み続けた.

そして, 私の記憶が完全に消え去った日.

泣き崩れる彼を前に, 私は無垢な瞳でこう尋ねた.

「あなたは, どなたですか? 」

私はすべてを風に流し, 海辺の療養所へと旅立った.

第1章

千砂 POV:

私は彼のオフィスビルのロビーで待っていた. 革のソファは冷たく, 私の背筋を凍らせる. ガラスの壁の向こうには, 彼が築き上げた, 彼の成功という名の王国が広がっていた. 神谷聡史. いつの間にか彼は, 私が知っていた熱情的な青年ではなくなっていた. 彼の目は, もう私を映していなかった.

秘書が私を見下ろす. 彼女の視線は, 私がここにいること自体が間違いだと言っていた. 私がここにいる理由なんて, 彼女には想像もつかないだろう. 誰も, 想像できない.

「奥寺千砂様, 白鳥美穂様が会議室でお待ちです」

美穂という名前が, 私の胸を締め付けた. 聡史の婚約者. 白鳥財閥の令嬢. 美しく, 聡明で, そして私とは正反対の完璧な女性.

彼女は聡史の隣に立つにふさわしい. 彼が今, 手に入れたいと願う全てを, 彼女は持っていた.

彼は昔, 私に言った. 「千砂, 君と一緒なら, どんな困難も乗り越えられる. 君が僕の翼だ」

その翼は, 彼がどん底にいた時, 彼を救うために自ら折ったものだった.

彼が借金を背負い, 夢を諦めかけたあの時, 私は彼を捨てるしかなかった. 彼に「貧乏なあなたにはもう愛想が尽きた」と嘘をついて, 彼の前から姿を消した.

その後, 私は身を粉にして働いた. 夜の仕事, 掛け持ちのアルバイト. ただ彼に残された借金を返すためだけに, 私は生きていた.

その過労とストレスが, 私の体を蝕んでいたのかもしれない. 脳神経外科の長野先生の診断は, 私を奈落の底に突き落とした.

「奥寺さん, 若年性アルツハイマー型認知症です. 進行が早いです. 記憶が... 急速に失われていきます」

その言葉は, 私の人生の秒針を早送りした. 残された時間は少ない. 記憶が全て消える前に, 聡史に渡すべきものがあった. 彼の母親から託された, 銀のロケットペンダント.

そして, もう一つ. 私のお腹の中に宿った, 聡史の命. この子をどうすればいいのか, 私は彼に相談するつもりだった. 彼には知る権利がある.

私は重い足取りで会議室に向かった. ドアを開けると, 広々とした空間に, 白鳥美穂が一人で座っていた. 彼女は私を見るなり, わずかに眉を上げた.

「あなたが奥寺千砂さん? 」

その声は涼しげで, 私を値踏みするような響きがあった. 彼女の周りには, 秘書や他の社員たちが群がっていた. 彼らは私を好奇の目で見ていた.

「はい, 奥寺です」

私の声は, ひどく掠れていた. 彼女の視線が, 私の質素な服装を上から下まで舐めるように動く. まるで, 汚れたものを見るかのように.

「神谷社長に何か御用ですか? アポイントは? 」

彼女の言葉は, 私の存在を否定するナイフのようだった. 私は秘書でも顧客でもない. ただの過去の亡霊.

「アポイントは... ありません. でも, 彼に直接お渡ししたいものがあって」

美穂は口元に微かな笑みを浮かべた. まるで, 私の愚かさを嘲笑うかのように.

「あいにく, 彼は今, 忙しいの. あなたのような『金目当て』の元カノと会う時間はないわ」

私の耳に, その言葉が突き刺さった. 金目当て. 彼も, そう思っているだろう. そう思わせて, 彼の前から消えたのは, 私自身だから.

「金目当て... ? 」

私は繰り返した. 心臓が鉛のように重い. 彼女の目は, 私の中のわずかな希望の光を容赦なく踏み潰した.

「そうよ. 彼がどん底だった時, 捨てた女が, 彼が成功した途端に戻ってくるなんて, あまりにも陳腐なストーリーだと思わない? 」

彼女の言葉は, 氷のように冷たかった. 私は何も言い返せなかった. その通りだから. 彼女の言葉は, 私が作った嘘によって生まれた真実だった.

「あなた, 一体どういうつもりなの? 神谷社長を困らせるなら, それなりの覚悟が必要よ」

彼女は立ち上がり, 私にゆっくりと近づいてきた. その視線は, 獲物を追い詰める猛禽類のようだった.

「彼はもう私のもの. あなたのような過去の女に, 入り込む隙などないわ」

私はただ, 俯いた. 彼女の言葉は, 私の全てを否定した. 私が彼のためにしてきたこと, 私が彼の前から消えた理由, そして私が今抱えている病と命.

「まあ, でも…」美穂は私の肩に手を置いた. 「あなたがどんなに彼に未練があっても, 彼は決してあなたには戻らない. あなたはただの昔の女. そして私は, 彼の未来の妻よ」

彼女の指が, 私の首元のロケットペンダントに触れた. それは聡史の母の形見. 私が彼に返しに来た, 唯一の理由.

「こんな安っぽいもの, 今更彼に押し付けて, 何を企んでいるのかしら? 」

彼女は小馬鹿にしたように笑った. 私の心臓が, まるでガラスのように, 音を立てて砕け散った.

「これは... 」私は言葉を探したが, 声が出なかった.

美穂はペンダントを掴み, 私の首から引きちぎろうとした. 私は反射的にそれを守ろうと手を伸ばす. 彼女の爪が, 私の皮膚を引っ掻いた.

「しつこい女ね. いい加減にしてくれないかしら? 」

彼女の表情は, 一瞬にして冷酷になった. 私は彼女の目の中に, 憎悪の炎を見た. 私が, 彼女にとってどれほど邪魔な存在なのかを.

「私は... 」

私は抵抗しようとした. でも, 体から力が抜けていく. 記憶が薄れていくように, 私の意識もまた, 遠のいていくようだった.

「もういいわ. あなたのような過去の亡霊は, 未来を邪魔するだけよ」

美穂は私のロケットペンダントを掴んだまま, 嘲るように笑った.

このペンダントを, 彼に返さなければ.

記憶が, 消える前に.

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