
この腕の中に、彼はいない
章 2
【1】
「あの獣人の主人が、木箱を一つ持ってきたよ」
許大香が木箱を私に手渡しながら言った。
箱の右上には、雅やかな「顧」の字が彫り込まれていた。
「顧家の獣人……?顧家の当主は、確か顧爾冬という名ではなかったか?」
許大香はこくりと頷いた。
彼女は私を二、三言慰めると、静かに去って行った。
箱を満たす銀貨。それは、命の代金だった。
運良く街の裕福な家に生まれ変われれば、人の命さえ金で買えるというのか。
私は木箱を抱え、中を覗き込み、細かく数えた。
百両。
白玉珠の安っぽい命も、百両の価値はあったというわけか。
彼は私と苦しい日々を過ごしてきた。もしこのことを知れば、きっと目を細めて笑うに違いない……。
私は衝動的に木箱の蓋を閉じた。
翌朝、私は銀十両で馬を一頭買い、街へと向かった。
これまでは昔のしがらみに関わりたくなくて顧家を避けてきた。
しかし、私の代わりに荷を届けに行った白玉珠が、その災厄に見舞われた。
彼の仇は、私が討たねばならない。
顧家の屋敷。
「きっと、私のことなどお忘れでしょう。私は孟家で行方知れずとなっていた娘です。ようやく戻ってこられましたが、母はもう……」
懐から取り出した美しい玉は、昔のまま白く輝いていた。それを見た顧夫人は瞳を潤ませ、私を固く抱きしめた。
「今日からお前は顧家の人間だ!もう誰も、お前をいじめたりはさせない!」
私は、雨のように涙を流した。
その肩越しに、作り笑いを浮かべて立つ顧家の長女、その傍らに控える大柄な白虎の獣人を盗み見る。
こいつらが、私の獣人を殺したのだ。
私の因果に踏み入った以上、その報いは受けてもらう。
「夫人、胸が苦しいのです」
私は深く息を吸い、鼻を覆った。
「花の香りが強すぎて……。早死にした母と同じで、どうしてもこの匂いが苦手で……」
顧夫人ははっとし、すぐに顧如熙を下がらせた。そして今後、花の香を焚くことを固く禁じた。
顧如熙はみるみるうちに顔をこわばらせ、
不満げに唇を噛みしめたが、「はい」と答えるしかなかった。
私は少し息をつくと、続けた。「花の香りは少し和らぎましたが、今度は薬の匂いが……。もしや、お身体の具合が悪いのではございませんか?」
顧夫人はため息をつき、私の手をそっと握った。
「胃を病んでいてね。きっと、これは私への罰なのだろう」
【2】
顧夫人は伏し目がちに涙をこぼした。「あの頃は、私が間違っていた」
孟家の娘――私の母と、顧家の娘――顧夫人は、かつては無二の親友だった。だが、一人の獣人を奪い合ったことで憎しみ合うようになった。
私の父は母と契りを交わしたが、顧夫人はそのために江南を去った。
しかし母は、顧夫人との間にできた溝を常に悔やんでいたという。父への新鮮な気持ちが薄れると、すぐに彼を厭うようになった。
父は私を連れて今の椿花村に移り住み、いつか母が探しに来る日を待ち続けた。だが、母は間もなく新しい獣人を娶った。
契りの破棄は、獣人にとって生きる意味そのものを否定されるに等しい。
嫉妬に狂った父は家に火を放ち、私一人が生き残った。
「あの時、私が妹と争わなければ、彼女があなたのお父上を恨むこともなかったでしょうに……」
「だが幸い、孟家にはまだお前が残っている。これからは、お前を我が子同然に扱い、何不自由ない暮らしをさせると誓おう!」
顧夫人は手の甲で涙を拭った。
私は優しい声で彼女を慰めながら、心の中では冷たく笑っていた。
なるほど。すべての因はとうに蒔かれていた。あとは私が、この果実を熟させるだけ。
この一家には、必ず代償を支払わせる。
「顧叔母様、どうかお泣きにならないで。母は生前、いつもあなたのことを気にかけていました。どうしてあなたを恨むことなどありましょう。これからは私があなたの娘になります。私はまだ、母に孝行を尽くせておりません。どうかこの哀れな私に、あなたのことを『お母様』と呼ばせてはいただけないでしょうか……」
顧夫人は泣き崩れ、私をその懐へと強く引き寄せた。
なんとまあ、慈愛に満ちた母と孝行娘の姿だろうか。
だが、彼女たちは知らない。私が、あの狂った父親と同じ血を引いていることを。
この百両の命の代金、利子をつけてそっくりお返ししよう!
尽きせぬこの恨み、命をもってしか償えぬ!
【3】
晩餐の席。
顧如熙が白玉の杯を揺らしながら言った。「妹は以前、椿花村で豚殺しをしていたそうね?」
私の手が止まる。私は彼女の方を向き、笑っているのかいないのか分からない表情を浮かべた。
顧夫人はその言葉を聞き、私の過去に触れた娘を鋭く睨みつけた。
彼女たちにとって、私が過ごした二十年間は恥辱でしかないのだ。
豚殺し。下賤な仕事。そんな人間が、同じ食卓に着くことすら許されない。
ただ、亡き友人の娘という憐れみから、その資格が与えられているに過ぎない。
顧如熙はふんと鼻で笑うと、白虎の獣人を連れて席を立った。
「獣臭いわ。もっと香でも焚いておきなさい。私の白虎は身重なの。豚の臭いなんて嗅がせられないわ!」
顧夫人は私の手をぽんぽんと叩いて慰めた。「如熙は少し傲慢なだけ。これからはあの子に逆らわないようにすればいい。この香膏をお使いなさい」
「もう誰も、お前が豚殺しだったことなど口にはしない。今日からお前は顧家の二の姫だ。叔母が、お前の人生に二度と汚点をつけさせはしないから」
私は涙を流し、顧夫人の胸に顔を埋めた。
その夜、また白玉珠の夢を見た。
彼は寝台のそばに座り、私を見つめている。その顔は月のように白く美しいが、憂いを帯びていた。
「なぜ、危険を冒すのですか?私のことなど早く忘れ、これからは何不自由なくお暮らしください。私のために、あなたの未来を縛らないで」
「家畜の獣人など、もとより質の低い存在。もし世間に知られれば、孟様の名声に傷がつきましょう」
「私に、その価値はありません」
彼の目には涙が浮かんでいた。
言葉と共に、その雫が頬を伝い、唇の端に達した。
「なぜ『妻主』と呼ばないの?」 私は手を伸ばし、彼の頬にそっと触れた。
彼は私から目をそらす。「私に、その価値はありません」
「呼びなさい、『妻主』と」
白玉珠は絶望を湛えた瞳で私を一瞥すると、次の瞬間、煙のようにかき消え、跡形もなくなった。
私の手は、空を切った。
たった一日。その差で、結ばれるはずだった契りは空しく消えた。
胸をえぐられるような痛みが、一晩中続いた。
不意に濁った息を吐き出すと、ようやく呼吸が楽になった。
空には冴え冴えとした月が懸かり、その光が寝室の文机を照らしている。
私は筆を取った。
翌日、その手紙は椿花村の許大香の元へ届けられた。
顧家の人間は、一人残らず殺す。
それが、奴らの私に対する償いだ。
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