
「妹だ」と言った彼の、今さらの独占欲
章 3
一ヶ月後の出国を控え、秦煙は一番の親友を食事に誘った。
先にレストランへ着いた彼女は、二人のお気に入りである料理を注文しておく。
そして、ドリンクを取りに行った、その時だった。誰かが不意にぶつかってきたのだ。
秦煙は咄嗟に身構えることができず、床に倒れ込んでしまう。
あいにくその日はスカートを履いていた。ビリッという音とともに肩の部分が裂け、滑らかな肌と、隠されていた胸の輪郭があらわになる。
ぶつかってきた少年は、一瞬謝ろうとしたものの、相手の顔を見て驚きの声を上げた。「お前、秦煙か? 陸さんの隣のデブじゃないか」
その声に、多くの客が何事かとこちらに視線を向ける。
秦煙は慌てて破れたスカートの布地を掴み、必死に体を隠した。
周囲の視線が針のように突き刺さり、肌を焼くように痛い。
少年はそんな彼女の仕草を、隠す素振りも見せずに嘲笑った。 「こんなに太ってるくせにスカートなんか履くからだ。ほら見ろ、お前のせいで裂けちまったじゃねえか」
そう言うと、彼は後ろを振り返って大声で叫ぶ。「陸さん、こっち来てくれ!面白いもの見せてやるよ!」
その声を聞き、秦煙は陸知衍が近くにいることを悟った。
すぐにこの場を離れようと踵を返すが、少年がそれを許すはずもない。彼は執拗に彼女の行く手を遮った。「何逃げようとしてんだよ。陸さんのことが好きなんだろ?」
「ちょうどいい。陸さんに、お前のその無様な姿を見せてやる。それでもまだ、お前のことを好きでいられるかな」
秦煙は唇を固く噛み、服の裾を強く握りしめた。屈辱と羞恥心が、熱い奔流となって胸に込み上げてくる。
もう一秒たりとも、ここにいたくなかった。彼女は無我夢中で少年を突き飛ばす。
不意を突かれた少年は、たたらを踏んで床に倒れ込み、運悪く頭をぶつけた。額の皮がめくれ、血が滲み出ている。
自分の額に流れる血に触れた瞬間、少年の目が赤く染まった。「このクソデブが!よくも俺にぶつかりやがったな!治療費を払って土下座しろ!」
彼は秦煙の手首を掴むと、ありったけの声で怒鳴り散らした。「みんな見てくれ!このデブが俺を突き飛ばして逃げようとしてるんだ!」
その声に引き寄せられた野次馬たちが、嫌悪と軽蔑が入り混じった視線で彼女を値踏みする。
そして、遠巻きに見ていた陸知衍も、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
顔を上げると、陸知衍がすらりとした美しい女性と並んで立っているのが見えた。
その女性は、大きくて綺麗な瞳をしており、目元がどことなく自分に似ている。彼女の手には、先ほど秦煙が店で目を付けていたスカートが握られていた。
ああ、この人が――陸知衍の好きな人なのだ。
自分とは何もかもが違う。目の前の女性は、明らかに自分より美しく、自信に満ち溢れている。
それは、秦煙が何一つとして持っていないものだった。
わけもなく目頭が熱くなる。
彼女は耐えきれずにうつむいた。
今の自分がどれほど惨めか、痛いほどわかっていた。
陸知衍が来たのを見て、少年はさらに勢いづき、秦煙が自分を突き飛ばして怪我をさせたのだと、尾ひれをつけてまくし立てた。
「こいつが勝手に俺にぶつかってきて、自分で転んでスカートを破ったんだ。俺はただ、デブだからスカートが裂けたって事実を言っただけなのに、逆ギレして突き飛ばしてきたんだよ!」
「デブのくせに図星を指されてムカついたんだろうな。 女の子がこんなに太って、スカートなんか履いて出歩くなんて恥知らずだぜ」
男の話を聞き終えると、隣にいた女性――蘇雪煙は陸知衍に顔を向け、柔らかな声で尋ねた。「阿衍、顧哲君の言うことも事実だと思うわ。この子が顧哲君を怪我させたのは確かだし、彼に謝るのは当然でしょう?」
秦煙が蘇雪煙に視線を送ると、彼女もまた、陸知衍から秦煙へと視線を移したところだった。
蘇雪煙は秦煙に微笑みかける。だがその目の奥には、隠しきれない悪意がちらついていた。
違う、と叫びたかった。先にぶつかってきたのは彼の方で、恥をかかされた上に、行く手まで阻まれたから、だから突き飛ばしたのだと。
だが、喉に何かが詰まったように、声が出なかった。
彼女は最後の望みをかけて陸知衍を見上げる。彼の答えを、ただ待った。
陸知衍の視線は、ずっと秦煙の上に注がれていた。そして、平坦な声で告げる。「確かに、謝るべきだな」
顧哲は額を押さえながら、冷笑を浮かべた。「聞こえたか?陸さんだってお前に謝れって言ってんだよ」
秦煙はその場で凍りついた。まるで頭から氷水を浴びせられたかのように、全身の血の気が引いていく。
考えたこともなかった。いつも自分の味方でいてくれた陸知衍が、問答無用で自分に謝罪を要求するなんて。
ただ、蘇雪煙がそうすべきだと言ったから、というだけで。
秦煙が押し黙っているのを見て、陸知衍の視線は彼女の破れたスカートへと落ちた。
その表情から、秦煙は呆れたようなため息を聞いた気がした。
いつもそうだ。自分が何か間違いを犯すと、陸知衍は決まってこの顔をする。
まるで、自分がとんでもない厄介事を持ち込んだとでも言いたげに。
陸知衍は顧哲の方へ向き直ると、静かに言った。「こいつは、俺の妹みたいなもんだ。こいつの非は俺が代わりに謝る」
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