
過去に戻り人生をやり直す
章 3
浅野愛美 POV:
「愛美! お前, 何てことを! 」
真紀の怒声が, 部屋全体に響き渡った.
彼は愛菜の元へ駆け寄り, 彼女を抱き起こした.
その間にも, 愛菜は「痛い, 痛いよ, 真紀様…」と, か細い声で泣き続けた.
真紀は私を振り返り, その目に激しい憎悪を宿していた.
「お前は本当に, 誰彼構わず傷つけないと気が済まないのか! 」
彼の言葉は, まるで鋭いナイフのように私の胸を突き刺した.
次の瞬間, 真紀の腕が大きく振りかぶられ, 私の頬を強く打った.
「パンッ! 」
乾いた音が部屋に響き渡り, 私の体はバランスを崩して床に倒れ込んだ.
頭が, 硬いフローリングに鈍い音を立てて打ち付けられた.
目の前が白く霞み, 世界が揺らぐ.
頭の奥で, ズキズキとした痛みが広がる.
「本当に最低な女だ! 愛菜に怪我をさせておいて, まだそんな顔をしているのか! 」
真紀の怒鳴り声が, 遠くから聞こえる.
耳鳴りがひどく, 彼の言葉が断片的にしか聞こえない.
「... 貴女は... 悪魔だ... 」
その言葉が, 私の心臓を凍りつかせた.
前世で, 彼に何度も投げつけられた言葉だ.
私は, 痛みに喘ぎながら, なんとか口を開いた.
「... もう, 終わりにしましょう... 」
私の声は掠れていた.
「何を言っている? 」
真紀は私を見下ろしたまま, 冷たい声で問い詰めた.
「私は, もうあなたの人生から消えます. 二度と, 私の顔を見ることはありません」
私がそう言うと, 真紀の顔は一瞬, 驚きに固まった.
しかし, すぐに再び怒りで顔を歪めた.
「勝手なことを言うな! お前がどこへ行こうと, 俺には関係ない! 」
彼はそう吐き捨てると, 愛菜を抱きかかえ, 部屋を出て行った.
愛菜は, 真紀の腕の中で, 私をちらりと見て, 勝利の笑みを浮かべた.
その顔は, まるで悪魔のようだった.
私は, 床に倒れたまま, 頭の感触に手を伸ばした.
ねっとりとした温かい液体が指先に触れる.
血だ.
温かいはずのそれは, 私にはひどく冷たく感じられた.
前世では, 真紀に怪我をさせられた時, 彼は私が倒れるまで突き飛ばし, 私が意識を失った後も, 私を見下ろし, 冷たい声を浴びせていたことを思い出した.
あの時は, 彼の言葉に, 心の底から絶望した.
かつて, 私が怪我をすれば, 彼は駆けつけてくれた.
私がちょっとした擦り傷を負っただけでも, 彼は心配そうな顔をして, 私の手を握りしめた.
私をいじめる男子生徒がいれば, 彼は激怒し, 相手を殴り飛ばしたことさえあった.
あの頃の彼は, どこへ行ってしまったのだろう.
いや, もういい.
彼が私をどう思おうと, 私には関係ない.
彼はもう, 私の人生には必要ない人間だ.
彼の憎しみも, 軽蔑も, 私には届かない.
私は, もう何も感じない.
私はゆっくりと立ち上がった.
頭の痛みはひどいが, この状況で倒れているわけにはいかない.
「すみません, 誰か... 」
私は部屋の前に立つ使用人たちに声をかけた.
「... 医者と, トランクを... 」
しかし, 彼らは誰も動こうとしない.
顔を背け, 私から視線を逸らした.
真紀が彼らに, 私を無視するように命じていたのだろう.
前世でもそうだった.
彼にとって, 私は透明な存在だった.
私は苦笑した.
そうだ, これが私の現実だ.
誰も私を助けてくれない.
私は, 自分で立ち上がるしかない.
私は自力で部屋を出て, タクシーを捕まえ, 病院へと向かった.
病院で脳震盪と診断され, 数日の入院を勧められた.
頭部の傷は縫合され, 包帯でぐるぐる巻きにされた.
退院後, 私はすぐにアパートに戻り, 残りの荷物をまとめた.
使用人たちは, 私が荷物を運ぶ間も, 遠巻きに私を見ているだけだった.
彼らの冷たい視線を受けながら, 私は最後の荷物を運び出した.
新しいアパートは, 斎藤家とは比較にならないほど質素なワンルームだったが, 私にとっては自由の象徴だった.
私はこの部屋で, 新しい人生を始めるのだ.
まずは, 大学を卒業すること.
そして, この街を離れること.
真紀との婚約を解消し, 彼らの手から完全に逃れること.
それが, 私の目標だ.
私がアパートに引っ越してから三日目の夜, 携帯電話が鳴った.
表示された名前に, 私は眉を顰めた.
真紀からの電話だった.
無視しようかと思ったが, 結局, 電話に出てしまった.
「... もしもし」
私の声は, 思ったよりも冷静だった.
「おい, どこにいるんだ, お前」
真紀の声は, 酒に酔っているかのように, 少し呂律が回っていなかった.
そして, 苛立ちと焦りが混じっていた.
私は, せっかく心が落ち着いてきたのに, 彼の声を聞いた途端, 胸の奥がざわつくのを感じた.
「何の用ですか」
私の冷たい声に, 電話の向こうが静まり返った.
数秒の沈黙の後, 真紀の声が聞こえた.
「何を, 生意気な口をきいている. 早く家に帰ってこい」
「もう家ではありません. 私は出て行きました」
私が淡々と告げると, 真紀は荒い息を吐いた.
「はっ... ようやく, 俺の言うことを聞くようになったか」
彼は嘲笑した.
「愛菜が... お前が愛菜に怪我をさせたせいで, 愛菜は... 」
真紀はそう言うと, 言葉を詰まらせた.
私の心は, 何の変化も感じなかった.
彼の言葉に, 何の感情も湧き上がってこない.
「それで? 」
私は冷たく問い返した.
「... お前が愛菜に近寄らなければ, こんなことにはならなかった」
真紀の声には, 私に対する非難と, 愛菜への深い悲しみが混じっていた.
「愛菜さんがどうなろうと, 私には関係ありません. 私はもう, あなたの婚約者ではないのだから」
私はそう言い放った.
真紀は再び沈黙した.
「... 俺は, お前が愛菜を傷つけたことを許す. だから, 帰ってこい」
彼の声には, 僅かながら懇願の色が混じっていた.
私は鼻で笑った.
「あなたの許しなど, 必要ありません. 私はもう, 自由ですから」
真紀が何か言おうとしたが, 私は彼の言葉を聞く前に電話を切った.
電話を切った後も, 私の心臓は激しく波打っていた.
感情が渦巻く.
怒り, 軽蔑, そして, 深い疲労感.
私は, 自分の手の中に残された携帯電話を, まるで真紀そのものであるかのように, 強く握りしめた.
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