
幽霊妻、届かぬ愛の叫び
章 2
「ねぇ, 成則おじちゃん. 今日会ったあの人, 私の…パパなの? 」
結愛の純粋な問いかけは, 私の胸に痛みを呼び起こした. 私は, この質問が来ることを恐れていた. 結愛は, 自分の父親が誰であるかを知らない. 私が高沢と離婚したのは, 結愛を妊娠している最中だったからだ. 出生届には, 私だけの名前が記されている.
結愛がまだ幼かった頃, 私は一度, 高沢の切り抜き雑誌を見せてしまったことがあった. 彼の建築家としての輝かしい功績を伝える記事の数々. 雑誌の片隅には, 颯爽と佇む高沢のポートレート. 結愛はそれをじっと見つめ, 「パパだ」と言った. 私は否定できなかった.
離婚後も, 私は高沢の写真を捨てられなかった. 彼の才能を尊敬していたから? それとも, まだ彼への未練があったから? 今となっては, それはただの愚かな未練だったと後悔している. もしあの時, 私がその切り抜きを捨てていれば, 結愛は父親への憧れを抱くことはなかったかもしれない.
「ねぇ, おじちゃん. 教えて. あの人, 私のパパなの? 」
結愛の目は, 期待に満ちていた. まるで, その答え一つで, 彼女の世界がひっくり返るかのように. 成則は, 結愛の頭を優しく撫でた. 彼の顔は複雑な感情で歪んでいたが, 彼は嘘をつくことはできない男だ.
「結愛…うん. あの人は, 結愛のパパだよ. 」
成則の言葉に, 結愛の顔がみるみるうちに輝きだした. 彼女は飛び跳ねて, 成則に抱きついた. 「やった! 結愛にもパパができたの? ! 」
その喜びようは, 私の胸を締め付けた. 結愛は, 幼稚園で「パパがいない」ことでからかわれたことがあった. 私はその時, どうすることもできなかった. ただ, 彼女のそばで, 一緒に涙を流すことしかできなかった.
「でもね, パパはね, 結愛たちのこと, 捨てたの? 」
結愛の喜びは, 一転して悲しみに変わった. 彼女の小さな瞳から, 大粒の涙が溢れ出した. 「パパ, 結愛のこと, いらないの? 」
成則は結愛をしっかりと抱きしめ, 背中を優しく叩いた. 「違うよ, 結愛. パパは結愛のこと, 捨てたりなんかしていないよ. 事情があって, 会えなかっただけなんだ. 結愛は, パパにとって大切な大切なお姫様だよ. 」
成則の言葉は, 結愛の心を少しだけ落ち着かせることができたようだった. しかし, 私の胸の痛みは増すばかりだった. 結愛がこんなにも父親の愛を求めているなんて. 私は, 彼女から全てを奪ってしまったのだろうか.
私は結愛を抱きしめようと腕を伸ばした. しかし, 私の体は, 結愛の小さな体をすり抜ける. 冷たい空気だけが, 私の腕に残った.
ああ, そうだった. 私はもう, 死んでいるんだった.
翌日, 結愛は幼稚園で, 先生の携帯電話を借りた. 私は, 彼女が何をしようとしているのか, 察することはできた. だが, 止める術はない.
結愛は一人でトイレに隠れ, 昨日高沢からもらった名刺の番号に電話をかけた. 幼い指が, 震えるように数字を押していく.
「もしもし…あの…佐々木結愛です…」
結愛の声は, 震えていた. 私は, 彼女が「パパ」と呼びそうになるのを寸前で止めたことに安堵した. しかし, 同時に強烈な不安に襲われた. 私は, 結愛の携帯を奪おうと手を伸ばした.
しかし, 私の体は再び結愛の体をすり抜ける. 無力感と絶望が, 私を襲った.
「あの…パパは…お母さんのこと, 好きだった? 」
結愛は, 震える声でそう尋ねた. 電話口の向こうから, 高沢の沈黙が聞こえる. 私の心臓は, 雷に打たれたかのような衝撃を受けた. 全身に, 電流が走ったように痺れが広がる.
この質問は, 私が結愛の日記に書き残していた問いかけだった. 私が高沢に一度だけ尋ねた, 「私のこと, 本当に好き? 」という言葉への答え. 結愛は, 私の日記の中から, その問いかけを見つけ出してしまったのだ. そして, その答えを, 今, 高沢に求めている.
お願い, 結愛. 聞かないで. その質問だけは, しないで.
離婚から五年. 私が死んでから, 四年. あの日の, あの質問の答えを, 幽霊となった私が今, 聞かされることになるなんて.
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