
今日から私、兄たちの最愛の妹です
章 2
「あなた!」林田莉子は言葉に詰まり、怒りで顔を真っ赤に染めた。
秋山美月が自分と賀崎正樹を犬呼ばわりするなんて、信じられなかった。
(よくもそんな口がきけるものだ!)
美月の笑みに、ひときわ真実味が増した。「人の弱みにつけこむ犬と、権力に媚びへつらう犬。確かにお似合いのカップルだわ」
莉子が林田家に戻ってわずか三日で、正樹は彼女と燃えるような恋に落ちた。美月にとって、それはただの茶番劇に過ぎなかった。
込み上げる怒りを抑えきれなくなった莉子が、美月を罵倒しようとしたその時、階下から母親が降りてくるのが見えた。途端に莉子は唇をきつく結ぶと、さも悲しげに涙を拭い、今にも泣き出しそうな表情を繕った。
その様子を目にした林田夫人は、怒りに燃えて駆け寄ると、口汚く罵った。「貧乏人の子はこれだから。まったく教養というものがない。 家を出ていく間際になってまで妹をいじめるなんて、今すぐ叩き出してやろうか!」
「教養がないですって? それはあなたの教育の賜物でしょうに」 美月は薄い唇の端を吊り上げ、フンと鼻で笑った。
美月はまだ実の両親に会ったことすらない。そんな彼女の教養を林田芳乃が侮辱するということは、すなわち林田家の教育そのものを貶めているのと同じことだった。
芳乃は、美月がこれほどまでに歯に衣着せぬ物言いをするとは思ってもみなかったらしく、怒りのあまり胸を押さえて卒倒しそうになっている。
対照的に、莉子は目を真っ赤にし、別れを惜しむような素振りで言った。「お姉さん、お気持ちはわかります。もうお嬢様としての暮らしはできませんが、田舎で仕事を紹介しておきましたから。真面目に働けば、ご自分の力で生きていけますわ」
そう言うと、莉子は一通の紹介状を取り出した。美月がちらりと目をやると、そこには村のホテルの清掃員と記されていた。
莉子が紹介状を美月の手に無理やり押し付けようとした拍子に、彼女の持っていたバッグにぶつかってしまった。中から、一冊の小さなスケッチブックが転がり落ちる。
その光景を目の当たりにした宴会場の人々は、皆一様に目を見張り、驚愕の表情を浮かべた。
このところ、林田莉子がファッションデザインの天才であり、例のスケッチブックを肌身離さず持ち歩き、近々林田グループのアパレル部門でデザインディレクターに就任することは、周知の事実だったからだ。
莉子は信じられないといった表情で口元を覆い、みるみるうちに瞳を潤ませた。「お姉さん、どうして私のデザイン画があなたのバッグに?」
美月はうんざりして眉をひそめた。いつまで続くのか、この見え透いた罠は。この偽善者にはほとほと呆れる。
「よくもまあ、莉子のデザイン画を盗んだわね!」
芳乃は顔を真っ青にしてわめき立てた。「この恩知らずが!莉子の未来を奪うつもりなの!?このデザイン画さえあれば、どんな会社にだって入れるというのに。 なんてことを!飼い犬に手を噛まれるとは、まさにこのことね!」
その騒ぎを聞きつけた林田大輔が、眉をひそめてやって来た。「一体何事だ?」
莉子は瞳に涙をいっぱいためて訴えた。「お父さん、お母さん、お姉さんを責めないであげてください。こんなことをしてしまったのは、きっとこの家を出るのが怖かったからなんです……私は大丈夫。デザインなんて、また一から描き直しますから……」
「これはあなたがディレクターに就任するための、大事なデザイン画なのよ!それに、私たち林田家にとっても不可欠なものなの。美月がこれを盗んだのは、あなたも林田家もめちゃくちゃにするため。なんて悪辣な心根でしょう。あの子をかばうのはおよしなさい!」芳乃は、まるで毒を塗ったかのような鋭い視線でわめき散らした。
「お母さん、お姉さんは悪気があったわけでは……」
莉子は母親をなだめ、いかにも物分かりの良い口調で美月に語りかけた。「お姉さん、この家を出て全てを失うのが怖いのでしょう。でも、このデザイン画だけは渡せません。代わりに、あなたの町の縫製工場で女工の仕事を探してあげますから、地道に一歩ずつやり直して。もう二度と、こんな後ろ暗い真似はしないでいただけませんか?」
事の成り行きを見守っていた招待客たちは、口々に林田莉子の懐の深さを称賛し始めた。
「林田家の次女、莉子様はやはり格が違う。デザインの才能に溢れ、これほど寛大とは。さすがは林田家の血を引くお方だ」
「そもそもデザインの才は盗めるものではないだろうに。あの秋山美月とかいう娘に、デザインが分かるとでも?身の程もわきまえずによくもまあ。やはり育ちが知れる。田舎者はやることが卑しい」
「莉子様がご自身のデザインをいかに大切にされているか、皆が知っております。 未来を台無しにされかけたというのに、それでも秋山美月を気遣うとは、なんという慈悲深さ。それに比べて秋山美月は、なんという恩知らずで悪辣な女でしょう!」
招待客たちの称賛を浴びながら、莉子は穏やかに顔を上げた。その姿は、まるで後光が差しているかのようだ。「どうあっても姉妹ですもの。私にできることがあるのなら、手を差し伸べるのは当然ですわ」
招待客たちはしきりに感嘆の声を漏らし、二人を比べるにつけ、美月の振る舞いがいかに下劣で、道徳心に欠け、そして性根が腐っているかを思い知るのだった。
やはり、美しい花には棘があるというものか!
莉子は容姿こそ美月に劣るものの、その心根は比べ物にならないほど清らかだ!
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