
From Horizon ~水天と白いレイス~
章 3
彼女が降りた駅からさらに列車に揺られること四時間。そこから駅を離れ三十分。早朝の始発駅に乗ったにも関わらず、すでに時刻は昼を過ぎていた。付近には家などなく、ただ田園に囲まれた未舗装の畦道が続く。ところどころ顔を覗わせる野花や蝶が郊外の雰囲気を漂わせる。戦場としてはたびたびこういった自然豊かな場所へ訪れる経験はあったが、そもそも戦以外で王都以外を訪れる機会がなかった私は、なんとなく気が落ち着かない。木立や背の高い野草に隠れて、斥候や狙撃手が隠れているのではないだろうか、そんな感覚がある。来た経験のない場所であるため、警戒心を巡らせると共に周囲の状況は常に心内で整理していこう。
列車を降りてから四十五分ほど歩いたが、ひと一人見当たらない。同じ国に住んでいるというのに、どこか異邦人のような孤独さを感じる。
その中を、がしゃりがしゃりという金属が揺れる音。私が持ってきた大荷物が揺れる音だ。騎士という称号を賜るにあたり、それ相応の鎧を授かることになった。今は洋服を着ているため鎧は入れ物に入れ、背負うことでそれを持ち運んでいる。それに加え日用品を入れたアタッシュケース。当初は最低限の物だけの予定だったが、必要のない華美な洋服を何着も持たされてしまったため、こちらもなかなかの重量になってしまった。最早訓練の域だろう。これからカルム辿り着くまでどれくらい時間を要するのかは不明だが、余計な体力を使うことだけは分かる。
そして鎧の入れ物に括り付けられた大剣。身軽とは正反対の武装だが、今まで影響を感じたことはない。一振りさえすれば勝負を決定づけることが出来るのだ、これほど簡単な武器はない。今の私が身軽かというと、また別の話だが。
村の騎士という任務にどれほどの戦闘力が必要なのか分からないため、一介の兵士である私が持ち出せる物は可能な限り持ち込んだつもりだ。村に隊を組んで攻め込んでくるようなことがなければ、十分に制圧が可能だろう。
自分の所持品をいま一度確かめ終えると、外套のフードを直しながら周囲を見渡した。敵意も、そして装備の不備もない。先ほどから一向に変わらない草原だけがそこにある。
装備を担いだまま長距離を移動する経験は、これまでに何度もあった。流石に雨の中湿地帯を行く任務には及ばないが、この長い長い畦道を何時間も歩くのは結構な苦行だ。町に用があるたび、カルム村の者はこの畦道を歩き列車へ乗るのだろうか。今まで首都で兵をしていた身から見れば、確かにここは辺境と言える。
そうして駅からおよそ一時間、カルム村へと辿り着いた。家は中央の広場を囲むように石造りで建築され、村というには田畑が見受けられない。恐らく別の場所に作っているのだろう。入り口に立ってその風景を眺めていると、珍しいのか何人かの村人が遠くから観察するようにこちらを見ていた。
事前に聞いた話によれば、カルム村に騎士が着任することは初めてだという。幸運なのか近くが戦地になったという記録もなく、恐らく自分のような者が村へやって来ること自体珍しいのだろう。それならば、村人が私をじっとこちらを眺めている行為には納得だ。
まずはこの村の村長と会うことになっているのだが、果たしてその住まいはどこにあるのか。当然、新参者の私には検討もつかない。単純に一番立派な造りをしている家が村長の家なのかと思ったが、見たところ大小の違いは多少あれど、抜きんでて大きな家はない。
自分の足で探すか、村人に聞くべきか。これから自分が取るべき二つの選択を捏ね廻す。どちらを選んでもメリットとデメリットは存在する。これからこの村に常駐することを考えると、村人に不信感を抱かせる行動は控えるべきだろうか。
考える。ここが戦場なら、とっくに死んでいるほどに。
「あの……」
無意識だった。その不意打ちのような呼びかけに、私は反射的に振り向くと同時に背負っている武器の柄を握っていた。
「えっ!? いや、ちょっとちょっと!?」
少し考えれば、相手側からしたら今の私が不審者であることくらい分かることだ。村の入口で、しっかりと装備を整えた人間が突っ立っているのだから。にも関わらず反射的に武器を取ってしまったのは、私がそれほどに周囲を見ていなかったということなのだろう。
「申し訳ありません、突然のことでしたので」
面伏せな気持ちで、大剣から手を離す。見ると波打つ茶髪を後ろに纏めた、少女とも大人とも言えない二十前後ほどの女性だった。
「びっくりしたぁ、見慣れない顔だったから声掛けただけだったんだけど」
「失礼致しました」
頭を下げる。
「いやいやこっちこそ、いきなり声掛けてごめんね」
「いいえ、あやしい存在なのは事実ですので」
正直に答えると、彼女はどうしてかはなやかな笑みを宿した。その笑みはとても楽しそうな笑みだったのだが、それがどうしてなのかは感じ取れない。きっと私のコミュニケーション機能が低いせいだろう。考えても無駄なため、所感ではあるが友好的な雰囲気のある彼女に当初の目的を尋ねることにした。
「すいません。お尋ねしたいのですが、村長に会うにはどの場所に行けばよろしいのでしょうか」
「村長?」
「はい、私は騎士のエメ・アヴィアージュといいます。この村の村長に挨拶をしたいのですが、村長はどちらに……」
どちらにおいででしょうか、そう言う前に。彼女は私の手を取って握りしめた。それほど強くはない力ではあったが、突然のことに一瞬思考が停止してしまう。
「ホントに来たんだっ、この村に! 騎士様が!」
喜んでいる、と見るべきなのだろうか。きらきらと目を輝かせて、子供みたいに気分が昂揚しているようだった。この村が騎士を必要としているなどという話は聞いていないが、喜びようから鑑みて少なくとも彼女は嬉しがっていると見ていいだろう。
「聞いたときはこんな田舎に? って思ったけど、ホントに来てくれたんだ」
何故喜ばれているのかは分からないが、少なくとも私は彼女には歓迎されているらしい。それが喜ばしいことなのかどうかは、まだ判断に迷うところである。仮に私を必要としていた場合、村の状況はあまり芳しくないということになってしまう。仰せつかったその役目を考えるに、きっと出番は少ないほうがいい筈だ。
その昂揚が、単に騎士の物珍しさであることを期待しよう。だがその前に、
「申し訳ありません、村長の所在をお聞きしたいのですが」
この村でまず初めにすべきことが達成出来ていない。余計なことを考えるのは、その後でいい。
「あっ、そっかそっか、ごめん。村長のいるところだっけ、いいよ。案内してあげる」
「いえ、お時間を取らせるわけには」
「いいからいいから」
そう言って強引に、私の手を引く。村人とは言え、名前も分からない者に私の行方を預けるのは、あまり好ましくない。ただ、この手を振りほどいて不信感を生じさせるほうが、この先面倒事になりかねない。他の村人だって、遠巻きに見ているのだから。
曰く村長は自宅にいるらしく、そちらに向かうらしい。
「あたしはロラ。ここで薬師をやってるんだ」
「……ロラ」
復唱する。名前を覚えるには声に出すのが一番早い。そしてなにより、この村に住む住民だということが確定したことがなによりの情報だろう。
「というか、すごい荷物。よく持って来れたね、少し持とうか?」
「お気遣いなく」
やはり自分の装備が手元を離れるのは心許ないため断る。きっと、彼女からしたら何気ない善意なのだろうが。
ロラの後に続いて村を進んでいくと、次第に私への視線が増えていくことに気がついた。私が通った後ろで名残のように「騎士様?」「本当に?」などという囁き声が聞こえてくる。
「あはは、みんなも本当に来るの? って怪しがってたからさ、いざホントに来たから興味津々なんじゃないかな」
「そうなのですか」
そう背中に問うとロラは一呼吸おいてから、大きく肩を振り回して振り向いた。そしてひらひらと白いロングスカートをなびかせ、「そうそう」と言って笑う。その子供のような無邪気さに、きっとロラという女性は世間的に見て魅力的な女性なのだろうと客観的ながら感じた。
短く切り揃えられた芝草の地面。そして意図的に作られたであろう石畳の広場と、そこに鎮座する風見鶏。家々には玄関先に花が咲いていたり、或いは収穫物だろう作物がぶら下がっている。
それらを抜けていくと、他の家より若干幅を取っている青い屋根の家があった。
「ここが村長の家だよ」
「感謝致します、ありがとうございました」
彼女に感謝の念を示すのは至極真っ当のことである。見知らぬ私に声を掛け、さらには案内までしてもらった。ロラがいなければ、村を延々と彷徨っていただろう。
「いいよ、こういうのお互い様だし」
そう言いながら、家の扉をこつこつと叩く。
何か厚意を受け取ったなら、それ相応に報わなければならないのではないか。少なくとも、首都ルユではそんな成り立ちだったはず。だとするなら、私もそれに則り恩を返すべきなのだろう。ただ生憎、提供出来るものが戦闘力しかないため、その恩返しはしばらく先の話になると思うが。
思いながら、家から現れた女性と会釈を交わす。ロラと親しげに会話しているところを見ると、どうやら親しい間柄らしい。
「騎士様、遙々ようこそおいでくださいました。あいにく主人は留守にしておりまして」
「そうですか。奥様、どちらへ行かれたか教えて頂いてもよろしいでしょうか」
「もうじき帰ってくると思いますので、家の中でお待ちください」
そう言って彼女は深くお辞儀した。頬から離れたもみあげが、力なく垂れる。村長の妻というには些か若い、娘と言っていい奥方だった。三つ編みにした髪を左肩に流し、しめっぽい瞳を輝かせている。肌の艶も良く、首筋の皺も少ない。
それに比較的茶髪が多く見られた中、金髪というのは珍しかった。どこか近隣から嫁いできたのだろうか。
最も、国内を見ればそれほど珍しい髪色ではない。素性の分からない私の白い髪よりよっぽど鮮明で綺麗な色だ。
「騎士様? どうかしたの」
奥様の風貌を見つめていた私にロラが呼びかけた。
「いえ、村長の奥様というにはお若いなと思いまして」
「あら、お世辞がお上手なのですね。騎士様」
そう言いながら、きちんと整った薄い唇が優しい笑みを作る。世辞など言えないので正直に言ったつもりなのだが、一歩引いた態度で微笑むところを見るに慎ましい女性なのだろう。
「若いよねぇ。でもこう見えて、オレリアさんは村長と三つしか違わないんだから」
「ちょっと、ロラ……」
近隣の若い女性を娶った、なんて私の稚拙な予想を上回る事実だった。直接村長を見たことはないため何とも言えないのだが、村長というからにはそれ相応の年齢のはず。それにも関わらず奥様がこんなに若々しい風貌なのは恐らく、何か秘訣でもあるのだろう。
「あの。すいません騎士様」
「いえ」
頬を赤らめて瞳を細め、手のひらで家の中を指し示す。そういえば、家の中で村長を待つという話だった。家の前で待機するというのも選択肢なのだが、奥様の厚意を無下にするわけにもいかないの
で敷居を跨がせてもらう。
「じゃあ騎士様、これからよろしくね」
ロラが軽く手を振ってくれる。これから何度も会うことになるというのに。
私はそれに、軽く頭を下げて応える。
そのときだった。
「騎士っていうのはそいつかい」
毒のある言葉が針のように背中を突き刺す。それは雷のように突然のことで、私は無意識に振り向いた。
「ちょっとちょっと、なんなのさアレクシ」
唐突に放られた言葉に対して、間髪入れずにロラが言い返す。
無駄な肉はほとんどなく、痩せすぎず引き締まった体を持つ男性だった。少し土で汚れた外套を纏い背には弓矢を携えた、逆立った赤茶の髪を持つ青年がそこに立っている。
「なんでここにロラがいるのか知らねぇが、俺はそこの騎士に用があるんだ。黙っててくれ」
「なんで?」
「どうしても」
それにロラは眉を不満そうにしかめた。嫌だとでも言いたそうな顔で、下唇を突き出している。
「私に何か御用でしょうか」
当然、彼と私は初対面だ。従って、因縁をつけられる謂われはない。
「何か御用、だと」
顔が露骨に歪んでいく。まるで嫌なものをひたすら見せられているように。
「逆だ逆! この村は騎士に用なんてねぇんだよ」
初めてやって来た場所で、初めて会う人物に、訳の分からない嫌悪感をぶつけられている。分からない。なら理解の及ばないものは殺してしまえばいい。
そう至って剣の柄を握ったのは本当に、無意識だった。
「ちょっと騎士様!? ストップ! ストップ!」
そう言ってロラが私の肩に触れた。きっとそうしてくれなければ、そのまま鞘から剣を抜いていただろう。
「俺達自警団がずっと村を守ってきたんだ、今更のこのこ来られてもお呼びじゃねぇよ」
なるほど。その主張で私の中で納得がいき、柄から手を離した。
カルム村は住民の中で自警団を結成して自衛している。今までそうして村を守ってきたのだろう。その中に今さら私が来たものだから、自警団としては不満や拒否反応があってもおかしくない。
ただ、そんなこと私に言われても困る。
「私は軍の命令を受けここへ来ました。帰ることは出来ません」
「知るか、それはそっちの都合だろ」
その声色には隠そうともせず苛立ちが内包されていた。燃え盛る木炭のように、今にもかっと弾けそうな雰囲気だ。
「帰れません」
「うるさいな」
その二つの言葉だけが行き交う問答がしばらく続いた。帰れと言われたところで、しかし王都を追い出された私に帰る場所はない。任務を全う出来ない私など、塵芥も同然で価値もない。
「せっかく来てくれたのに、そんな言い方ないでしょ」
ロラが割って入る。終わりの見えない押し問答はそこでようやく区切りとなったが、根本的な解決にはならない。ロラには迷惑を掛けてばかりだが、恐らく私か彼のどちらかが譲歩しない限りは収束しないだろう。私は下された命令を遂行しなくてはならない。今更騎士は不要という主張など、私には関係のないことだ。
「あっちが勝手に遠いところから来ただけだろ、別に労わることじゃねぇ」
「アレクシ!」
「それに、こんな蹴ったら簡単に折れそうな奴にうちの村は任せらんねぇよ」
「いや蹴ったら折れそうって……」
その表現に、ロラは眉を顰める。
「私の戦闘能力を疑問視している、ということでしょうか」
もし私の体を一撃でへし折ることが出来る肉体を持っているとするならば、なるほど。それは村にとって頼もしい存在かもしれない。来たばかりの私とどちらを頼るかと言われれば、彼を頼るだろう。
「それもある。どう見ても強そうには見えないからな」
「そうですか。では、今ここで私があなたを制圧すれば認めて頂けるということでしょうか」
決して突拍子もないことを言ったつもりはない。実力を示すことは彼を納得させる手段としては一番適しているはずだ。ただ私以外驚きで目を張っているところを見るに、それは耳を疑うような言葉だったことが鑑みられる。一番手っ取り早い解決策だと思ったのだが。
「騎士様!?」
「舐めてんのかお前」
「いいえ、決してそのようなことは」
自信があるのだろう。今まで村を守ってきた自警団の一人として。その実績があるのは認めよう。ただ私も帰るわけにもいかないため、その自負を手折ることで任務を続行する証明にさせてもらおう。
「いいぜ、その挑発乗った。広場に来い」
自信を頬の冷笑に暗示させて、親指で石畳の広場を指し示した。
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