
美味に溺れて、血に染まる
章 3
【1】
あの瞬間、いっそ店長に殺され、その血を茶葉の肥やしにされるのではないか、そんな考えさえ頭をよぎった。
不意に腰に腕が回され、耳元で秦靖の声がした。「蓉おばさん、俺が小黛を遊びに呼んだんです。構わないでしょう?」
店長の氷のような眼差しが、秦靖を認めた途端に和らいだ。「構わないわ。二人でゆっくりなさい。私は先に帰って休むから」
私の横を通り過ぎる際、店長はちらりと睨みつけ、「用もないのに、うろつくんじゃないよ」 と言い捨てて去っていった。
店長の姿が見えなくなるまで、私は息を殺していた。まさか秦靖が助け舟を出してくれるなんて。
額の冷や汗を拭い、彼に礼を言うと、私はそそくさと茶室へ戻ろうとした。
だが、腰に回された腕は解かれるどころか、かえって強く引き寄せられた。
秦靖は口の端を歪め、私の耳に息を吹きかけるように囁いた。「助けてやったんだ。口先だけの礼で済むとでも?」
言い終わると、私を頭のてっぺんからつま先まで嘗め回すように眺め、満足げに頷いた。「小黛、分かっているだろう?ずっと君が好きだった」
私は黙り込んだ。
私の反応が気に入らなかったのだろう。「俺がお茶を盗んだことを蓉おばさんに話したら……どうなるかな」
(万事休すだ……)
秦靖はさらに身を寄せてきた。「で、どう礼をしてくれるんだ?俺の彼女になるってのはどうだ?」
私は拳を固く握りしめた。断れば……店長はきっと私を許さない。それに、あの垂涎茶に注がれていた液体は、本当に人間の血だとしたら……。
数日後には、あの水差しの中身が、私の血に入れ替わっているかもしれないのだ……。
「……いいわ」 承諾するしかなかった。生きていること以上に大切なものなどないのだから。
秦靖の瞳が欲情にぎらついた。「恋人同士になったからには、それらしいことをしないとな。そうだろ?」
私は固く目を閉じ、小さく頷いた。
……
情事を終え、満足げに私を抱きしめる秦靖。私は込み上げる吐き気を必死にこらえ、その背中に腕を回した。
こうなった以上、秦靖を利用してでも金を手に入れるしかない。
私は考えを巡らせ、口を開いた。「ねえ、お兄さん。私たち、もっとお金を稼がないと」
秦靖は眉をひそめた。「どうして? 蓉おばさんが毎月たくさん小遣いをくれるだろ」
私はぐっと奥歯を噛みしめ、甘い声を作った。「私と結婚したいんでしょ?結婚式にはお金がかかるわ。今のうちから貯めておかないと」
彼が訝しげな顔をしたのを見て、私は翻身して彼の腰にまたがった。「あなたが今日みたいに、また少しお茶を摘んでくるだけでいいの。そうすれば、お金が手に入るわ」
「分かった。君の言う通りにするよ」秦靖は承諾すると、再び私を組み敷き、体を動かし始めた。
【2】
秦靖に助けを求める前から、こうなるだろうとは分かっていた。
彼が欲していたのは、いつだって私の体。私がそれに気づいていないとでも思っていたのだろうか。
けれど、あの日の出来事を、私は鮮明に記憶している。
高校に入学したばかりの頃。ある晩、店長に別荘での夕食に呼ばれ、そのまま泊まることになった。
真夜中、夢うつつの状態でいると、誰かがベッドに這い上がってくる気配がした。
恐怖で声も出せず、眠ったふりをしながら、なすがままに体をまさぐられるしかなかった。
翌朝、目を覚ますと、部屋に秦靖の上着が脱ぎ捨ててあった。
昨夜、私を襲ったのが秦靖だったのだと、すぐに分かった。
私は泣きながら店長に訴えた。信じてもらえないかもしれないと思い、証拠としてあの上着も見せた。
しかし店長は、私の言葉に耳を貸そうともせず、秦靖を問い詰めることすらしなかった。
そして、問答無用で私を打ちのめした。
彼女に鞭で打たれたのは、それが初めてだった。
だが、同時に悟ったのだ。店長はどこまでいっても店長であり、秦靖の母親であって、私の母親ではないのだと。
翌日、私が店で通常通りに仕事をしていると、不意に店長が姿を現した。
胸がざわついた。秦靖は私を騙したのだろうか。やはり、裏切ったのだろうか。
店長はまっすぐソファへ向かうと腰を下ろし、私にドアを閉めるよう命じた。
私は何食わぬ顔で指示に従い、ドアを閉めると、お茶を淹れて店長の前に差し出した。
店長は湯呑みを手に取り、一口含むと、静かに言った。「昨日、茶畑で私の茶を盗んだね」
その言葉は、まさに青天の霹靂だった。(……やはり、バレていたんだ……)
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