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離婚から始まる逆転劇:世界的権威の正体は私でした の小説カバー

離婚から始まる逆転劇:世界的権威の正体は私でした

財閥御曹司の妻として、自分を殺し飾り人形に徹した七年間。その献身は、病院に運び込まれた義妹と、彼女の手を握りしめる夫の姿によって無惨に打ち砕かれた。激しい情事の末に負傷した義妹を慈しみ、正妻である私を汚物のように見下す夫。周囲が二人を悲劇の恋人たちのように扱う中、私は突き飛ばされ、慰謝料なしの追放を宣告される。すべては愛する義妹を妻に迎えるための冷酷な筋書きだったのだ。しかし、彼には大きな誤算がある。私が密かに娘を産み、女手一つで育てていることも、医学界が血眼で捜索する伝説的な天才科学者の正体が私であることも、彼は露ほども知らない。心に宿っていた未練が完全に消え去った瞬間、私は夫の暴言を録音したスマホを掲げ、決別を告げる離婚届を叩きつけた。偽りの結婚生活という泥沼から這い上がり、隠された真の才能を武器に、私は輝かしい本来の人生へと突き進んでいく。どん底からの逆転劇が、今ここから幕を開ける。
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2

凛は蛇口を固くひねり、飛び散る水滴をペーパータオルで拭き取った。湿った紙を、まるで憎い何かを捨てるかのように、ゴミ箱に叩きつける。

洗面所のドアを開け、ナースステーションへと続く廊下を歩く。その足取りが立てる微かな風が、やけに冷たく感じられた。

ナースステーションの前まで来ると、同僚の中村美咲が、身を乗り出すようにしてVIP病棟の方を窺っているのが見えた。その顔は、下世話な好奇心で輝いている。

凛の姿に気づくと、中村はすぐに駆け寄ってきた。

「桐山さん、さっき鷹司様を怒らせちゃったの?すごい剣幕だったけど」

声を潜め、興奮を隠しきれない様子で尋ねる。

凛は無表情のまま、デスクの上に散らかったカルテを整理し始めた。プラスチックのファイルが、カチャリと乾いた音を立てる。

「知らない人よ」

冷たく、短く答えた。

その時、VIP病棟のドアが静かに開き、鷹司暁がスマートフォンを片手に姿を現した。その顔は不機嫌そうに歪み、電話の向こうの相手、おそらく秘書だろう、に転院の手続きを指示している。

「……ああ、すぐに手配しろ。ヘリオス・メディカルの特別室だ」

ドアの隙間から、彩萌の甘ったるい声が漏れ聞こえてきた。

「暁さん、ここのベッド、硬くていや……」

途端に、暁の声のトーンが変わる。氷のようだった声が、彩萌をあやすように、わずかに温度を取り戻した。

「ああ、わかっている。すぐに移るから、もう少しだけ我慢しろ」

凛の指が、無意識に強く握りしめられた。持っていたカルテの角が、指の腹に食い込み、深い赤い跡を残す。

「鷹司様って、本当に素敵な人よね。あんな風に愛されてみたいわあ」

隣で中村がうっとりとため息をつく。その言葉が、凛の胃の腑に溜まった鉛を、さらに重くした。吐き気がする。

暁が電話を終え、病室に戻ろうと体を翻した。その視界の端に、ナースステーションに立つ凛の姿が映る。彼の眉が、即座に不快そうに寄せられた。

大股で、迷いなくこちらに歩いてくる。

凛の目の前で立ち止まり、その長身が見下ろす影が、凛の体に落ちた。

「余計なことを嗅ぎ回るな。彩萌の名誉を傷つけるような真似をしたら、どうなるか分かっているな」

脅迫。その目は、まるで汚物でも見るように冷え切っている。

凛はゆっくりと顔を上げた。暁の、氷のような瞳を、まっすぐに見返す。

心の中で、冷たく嗤った。どうせもう終わる関係だ。詩織のことは絶対に知られない。暁は、自分が子供を作れないと固く信じている。その傲慢な思い込みこそが、彼にとって最高の目隠しになる。

凛は、その確信を胸に、唇の端に嘲りの色を浮かべた。そして、自分の指先を軽くこすり合わせながら、二人だけにしか聞こえないような、囁く声で言った。

「鷹司様こそ、ご自分のお体をもう少し気遣われた方がよろしいのではなくて?七年間、妻に指一本触れられなかった方のようには見えませんから」

暁の目が、鋭く光った。彼が何か言い返す前に、好奇心に満ちた中村が顔を近づけてきた。

「え、桐山さん、今なんて?」

凛は、わざとらしく大きなため息をついた。そして、声を潜めたまま、中村だけに聞こえるように答えた。

「なんでもないわ。ただの夫婦喧嘩の延長よ」

だが、中村はその短い言葉だけで、自分の想像力を膨らませたらしい。目を大きく見開き、口元を手で覆った。鷹司暁を見る彼女の視線が、一瞬にして、憧憬から好奇心へと変わった。

「なっ……!」

暁の顔が、みるみるうちに鉄色に変わっていく。額に青筋が浮かび、怒りで肩が震えているのが分かった。彼の手が、凛の腕を掴もうと、素早く伸びてくる。

だが、凛は予測していた。

素早く半歩下がり、彼の接触を避ける。その目に宿るのは、汚いものに触れられたくないという、あからさまな拒絶だった。

「鷹司様、高田主任がお呼びです!」

廊下の向こうから、別の看護師の声が飛んできた。その声が、暁の爆発寸前の怒りを、かろうじて押しとどめた。

暁は、食いしばった歯の間から、獣のような唸り声を漏らした。人差し指で凛を突きつけるように指し示す。

「……覚えておけ」

それだけを言い残し、彼は踵を返して主任の元へと歩き去った。

その背中に向かって、凛は心の中で冷たく笑った。

もう何も、覚えておく必要などない。

凛はナースステーションを離れ、自分の当直室へと向かった。ドアを開け、内側から鍵をかける。カチャリ、という金属音が、外界との隔絶を告げた。

途端に、息が苦しくなる。閉ざされた狭い空間が、凛の奥深くに眠っていた幽閉恐怖症の引き金を引いた。ドアに背中を預け、ずるずると床に座り込む。浅い呼吸を繰り返し、額に滲んだ冷や汗を手の甲で拭った。

ポケットの中で、スマートフォンが震えた。

取り出すと、画面には暁からのメッセージが表示されている。

『今夜は別荘に帰ってくるな。目障りだ』

その無慈悲な文字列。

凛の脳裏に、七年前の新婚の夜が蘇る。

『鷹司の家に、お前が生んだ跡継ぎは必要ない』

そう言い放った彼の目は、今夜と同じ、氷のような色をしていた。

ずっと、分からなかった。なぜ、あれほどまでに子供を拒絶するのか。

今なら分かる。

彼は、彩萌との間に生まれる子供のために、その場所を空けておきたかったのだ。

胃が、鋭い痛みを伴って痙攣した。凛は床にうずくまり、痛みが過ぎ去るのをじっと待つ。どれくらいの時間が経っただろうか。

痛みが波のように引いていくと、凛はゆっくりと立ち上がった。

壁際のロッカーに向かい、自分のハンドバッグを取り出す。

その奥の、内ポケットに隠していた、一通の封筒。

外から、清掃員の女性たちの話し声が聞こえてくる。VIP病棟の片付けをしながら、鷹司様のお相手は本当に幸運だと羨む声。

凛は、その声をBGMのように聞き流しながら、封筒をバッグにしまった。

瞳には、もう迷いの色はなかった。

白衣を脱ぎ、ハンガーにかける。代わりに、クローゼットの奥から、自分のトレンチコートを取り出した。ベルトを、きつく締める。

当直室のドアを開ける。

廊下の突き当たりの窓から、朝の最初の光が差し込んでいる。

凛は、その光に向かって、迷いのない足取りで、まっすぐに歩き出した。

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