
愛を諦めた妻:冷酷な財閥夫の遅すぎる執着
章 3
正臣が主座に腰を下ろすと、執事の吉田が恭しく杖を預かった。彼の鋭い視線は文乃を通り越し、顔面蒼白の静へと注がれる。
「文乃」
正臣は眉を顰め、低い声で言った。「なぜ静を暁から一番遠い末席に座らせている。体裁というものを知らんのか」
文乃の顔色が変わる。「静さんは体調が優れないと仰るので、暁に病でもうつしたらいけませんから」――言い訳がましく答えた。
「フン」
正臣は鼻を鳴らし、杖で畳を強く打った。重く鈍い音が響く。「静、暁の隣へ行け」
有無を言わせぬ命令だった。
静の身体が硬直する。無意識に暁を見ると、彼の目は険しく、顎のラインが硬く引き締められていた。不快感を隠そうともしていない。
しかし当主の命令は絶対だ。静は歯を食いしばり、下腹部の激痛に耐えながら膝を動かす。暁の右隣へとにじり寄る。
静が座った、その瞬間。暁はわざとらしく身体を左に傾け、彼女との距離をさらに開けた。まるで汚物でも見るかのような仕草だった。
やがて夕食が始まった。美しい懐石料理が次々と運ばれてくる。しかし目の前の冷たい刺身を見て、静の胃は再び痙攣した。
「暁」
突然、正臣が口を開いた。「最近のお前はゴシップ誌を賑わせすぎだ。誰が九条家の正妻か、忘れたわけではあるまいな」
暁は箸を置いた。その口元に皮肉な笑みが浮かぶ。「五年前の命の恩に報いているだけです。まさか九条家は恩知らずの集まりだと仰るのですか、お祖父様」
命の恩――その四文字に、静の持つ箸が震え、小皿に当たって乾いた音を立てた。全ての視線が静に集中する。暁の目は嫌悪と侮蔑に満ちていた。
「詭弁を弄するな!」
正臣が怒鳴った。「わしが生きている限り、あの役者風情が九条家の敷居を跨ぐことはない。覚えておけ」
暁の目に暴戻な光が宿る。彼はすっくと立ち上がった。「お祖父様が私を見て不愉快なら、これで失礼します」
正臣の怒声も聞かず、暁は足早に部屋を出て行く。
静は取り残され、進むことも退くこともできなかった。正臣は深く溜息をつき、複雑な目で静を見た。「お前ももう行きなさい。暁の癇癪には…………もう少し我慢してやってくれ」
静は深々と頭を下げた。虚脱しきった身体を引きずり、暁の背中を追って和室を出る。
本邸の玄関を出ると、暁がロールスロイスの傍で煙草を吸っていた。静が近づくと、彼は吸いかけの煙草を灰皿に強く押し付けた。そして静の腕を掴むと、乱暴に車の中へ押し込む。
「爺さんを味方につけたつもりか」
車内で暁は静の顎を掴み、無理矢理顔を上げさせた。「思い上がるなよ」
静は赤い目で彼を見上げた。「何も言っていません。お祖父様を利用しようなんて、思ってもいません」
虚弱な声での弁明は、暁には届かない。彼は静の顔を乱暴に振り払い、運転手に命じた。「一番速く帰れ」
高級マンションに戻る。静が玄関で靴を脱ごうとした、その瞬間――背後から強い力で壁に押し付けられた。
「きゃっ!」
下腹部の傷に激痛が走る。冷や汗がどっと噴き出した。
「そんなに九条の奥様の座が欲しいか」
暁は怒れる獣のように、静のスーツを破りにかかった。「ならば妻としての義務を果たせ」
「やめて…………!今日は本当に…………だめ…………!」
静は恐怖に目を見開き、必死に抵抗した。しかしその抵抗は暁にとってただの媚態にしか見えない。彼は静の両腕を頭上で片手で押さえつけ、もう片方の手でスカートを引き裂いた。
――前戯など、あるはずもなかった。 懲罰的な暴力が静を襲う。
「あああああっ!」
静の悲鳴が迸り、涙が堰を切ったように溢れ出した。屈辱と痛みと絶望。静は目を閉じ、唇を噛み締める。身体が壊れた人形のように、されるがままになっていた。
どれほどの時間が経っただろうか。暁が静から身を引いたとき、彼女の下腹部からは新しい血がシーツを染めていた。しかし彼はそれを見て見ぬふりをした。
「今夜の見事な演技への褒美だ」
数枚の万札を床に倒れる彼女の上に投げつけ、冷たく言い放つ。そして浴室へと向かった。
静は冷たい床の上で、身動き一つできなかった。
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