
裏切りの夫を捨てて復讐の華となる
章 3
チャイムを鳴らすと、まもなく家政婦の田中がドアを開け、彼女の突然の帰宅に驚いた。
「しずえさん、出張中のはずなのに、どうして急に戻ってきたの?」
しずえは返事をせず、田中を脇に避けて屋内へ進む。
「奥様!しずえさんが出張から戻られました!」止められない田中は慌てて家の奥へ大声で呼び上げた。
しずえが階段の手前まで来た時、恵津子が丸鶏人参スープを持ってキッチンから慌てて出てきて行く手を塞いだ。
「あなた、どうして……」
「健吾、二階にいるでしょ?」
「いえ、外出しているわ……」
「二階へ探しに行く。」
恵津子の言葉を一切無視し、しずえは階段を上がっていく。
「しずえ、二階へ行ってはいけない!」恵津子は焦って後を追う。
しずえは速足で二階へ上り、二人の寝室へ突入する。同室で密会している二人の言い訳を聞いてやろうと決めていた。
ドアを開けると、クローゼットから出たばかりの健吾が目に入った。
しずえの姿を見た健吾は狼狽し、思わず一歩下がり、何かを隠そうとした。
「しずえ、なぜ……」
「突然帰ってきたのが不思議?」しずえは二三歩近づき眉を上げる。「どうしてみんな同じことを聞くの?私が帰っちゃいけないの?」
健吾は唇を固く結ぶ。「事前に電話してくれればよかったのに。」
しずえは薄く笑う。「サプライズを持ってきただけよ。」
「驚きだけで嬉しさは全然なさそうね。」
健吾は息を吐き、「そんなことない、ずっと会いたかった」と言い、抱き寄せようと近づいた。
静恵は何も気づかないふりをした。満面の笑みを浮かべて健吾に歩み寄り、甘えた声で尋ねる。
「健吾さん、サプライズって何?」
「あ、ああ……。そ、それは、まだ届いてなくて……」
健吾はしどろもどろになりながら、視線を部屋の隅にある巨大なウォークインクローゼットへと何度も泳がせた。
静恵がその視線を追うと、クローゼットの扉が完全には閉まっておらず、その隙間から、見覚えのあるドレスの裾が、ほんの少しだけ覗いていた。
間違いない。亜矢はさっき、別の階段からこっそりこの部屋に忍び込み、今、あのクローゼットの中に隠れている。
静恵の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
さあ、狩りの時間だ。
「そうだわ。今夜のディナーのために、新しいドレスを選ばないと」
静恵はそう言うと、まっすぐにクローゼットへ向かって歩き出した。
「ま、待て!静恵!」
健吾は真っ青な顔で、クローゼットの前に立ちはだかった。
「な、中は散らかっているから!見るな!」
「どうして?健吾さん、何か隠しているの?」
静恵は、わざと傷ついたような表情で健吾を見つめる。
「ち、違う!サプライズのプレゼントが、まだ包装できてなくて……。だから、今は見せられないんだ!」
健吾の額に、脂汗が滲んでいる。
静恵は半信半疑といった様子で一歩下がりながらも、その視線は、扉の隙間で微かに震えるドレスの裾に、釘付けになっていた。
「ふーん。サプライズなら仕方ないわね」
静恵はわざと大きな声で、クローゼットに向かって言った。
「じゃあ、今夜、楽しみにしているわ」
クローゼットの中から、息を呑む、ごくかすかな音が聞こえた。亜矢が、極度の恐怖に苛まれているのが手に取るようにわかる。
静恵はドレッサーの前に座ると、わざと引き出しを何度も開け閉めして、音を立てた。狭く暗い空間に閉じ込められた亜矢の、心理的な苦痛を長引かせるために。
健吾は、まるで針の筵に座っているかのように、落ち着きなく部屋の中をうろついている。
静恵は、鏡越しにその滑稽な姿を眺めながら、ゆっくりと髪を梳かした。
そして、不意に振り返ると、健吾に言った。
「ねえ、健吾さん。喉が渇いたわ。下からお水を一杯、持ってきてくださる?」
健吾は、まるで恩赦を受けた罪人のように、ほっとした表情を浮かべると、一目散に部屋を飛び出していった。
静恵と、クローゼットの中の亜矢。
二人きりの、静かな時間が始まった。
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