
アルファの後継者、私の望まぬ心
章 2
佳乃 POV:
一週間後、「影の聖域」から渡された使い捨ての携帯電話に、暗号化されたメッセージが届いた。
「新しい身元を確立。目的地:パリ、ヨーロッパ中立地帯。追って指示を待て」
パリ。
遠い世界。
私の名前、佳乃という名が、何の意味も持たない場所。
「月光院グループの未来のルナ」という肩書が、ただの亡霊と化す場所。
その考えは、安堵の波となって私を貫き、膝から崩れ落ちそうになるほどだった。
私は、この人生に私を縛り付けていた糸を切り始めた。
高級ブランド専門の委託販売店に入り、蓮がくれた、私の未来の役割を象徴する「月光石のネックレス」を匿名で寄付した。
あの綺麗で、空っぽな約束は、他の誰かが身につければいい。
その夜、私はペントハウスの壮大な暖炉に火を熾した。
一つ、また一つと、私たちの思い出を火にくべていく。
最初の記念日にもらったドライフラワーの薔薇。
雪の中ではしゃぐ私たちの写真。
プライベートな式で交わした、他愛ない手書きの誓いの言葉。
炎がすべてを飲み込み、長年の愛と嘘を灰に変えていくのを、私はただ見つめていた。
蓮が「国境への出張」から帰ってきたとき、彼は何も気づかなかった。
ネックレスがなくなった私の首筋を、彼は素通りした。
愛用の品々が消えた、がらんとした部屋の空虚さにも、彼は気づかなかった。
「俺たちの写真はどこだ?」
彼はネクタイを緩めながら、何気なく尋ねた。
「浄化に出しました」
私は平然と、穏やかな声で言った。
「長老が、ペントハウスのエネルギーが淀んでいると仰っていたので」
「いい考えだ」
彼はそう呟き、すでにスマートフォンに気を取られていた。
彼は何の疑いもなく、その嘘を信じた。
彼の心は、別の場所にあった。
彼女のところに。
しかし、彼の罪悪感は、公の場でのパフォーマンスを要求した。
彼は群れのグランドホールで、私のために豪華な「埋め合わせ」の誕生日パーティーを開いた。
それは私のためのものではなかった。彼自身のためのものだった。
世界に、そして自分自身に、彼がまだ完璧なアルファであり、献身的な夫であることを示すための。
私は自分の役を演じきった。
頬が痛くなるまで、微笑み続けた。
そして、彼女が現れた。
亜梨沙は、蓮のベータの腕に抱かれて入ってきた。
彼女はシンプルな白いドレスを着ており、その曲線が体にぴったりと張り付き、無垢でありながら妖艶に見えた。
別の群れから訪れていた長老が彼女を見て、私に温かく微笑みかけた。
「佳乃さん、妹さんはとても可愛らしい方ですね」
彼は言った。
血の気が引いた。
蓮は、いつものように抜け目ない政治家だった。
彼はその場をうまく収めた。
亜梨沙のそばに歩み寄り、彼女の腰のくびれに所有権を示すように手を置いた。
「こちらは亜梨沙・ディアスさんです」
彼はアルファの力に満ちた声で、部屋中に告げた。
「群れの大切な友人です。彼女は私のエネルギーを安定させる手助けをしてくれています。我々全員にとって、大きな貢献です」
彼は彼女を私の後釜だとは言わなかった。
その必要はなかった。
彼は彼女を自分の「安定装置」と呼び、そうすることで、私のパートナーとしての役割を、純粋に儀礼的なものへと貶めた。
私は会社の顔。彼女は、男の心臓。
私は一晩中、彼を見ていた。
彼の目が彼女を追う様子を。
彼が彼女の耳元に何かを囁き、彼女を赤面させる様子を。
ある時、彼女の黒髪が一筋、顔にかかった。
蓮は、考える間もなく手を伸ばし、優しくその髪を彼女の耳にかけた。
それは、小さく、親密な仕草だった。
彼が何年も私にしてこなかった類のもの。
それは、公の場での宣言だった。
後で、息を整えるために婦人用のラウンジに隠れていると、二人の女狼が囁き合っているのが聞こえた。
「…先週、トップクラスの不妊治療クリニックで二人を見たわ」
一人が、ゴシップに満ちた声で言った。
「手をつないだりして。すごく愛し合っているように見えた」
もう一人がため息をついた。
「可哀想なルナ佳乃。きっとご存知なのでしょうね」
私は冷たい大理石の壁にもたれかかった。
囁き声が、私の最悪の恐怖を裏付けた。
これは間違いではない。
これは、一時の気の迷いではない。
これは、クーデターだ。
私を追い出すために、慎重に計画され、意図的に実行された陰謀。
そして私は、その真っ只中に立ち、カメラに向かって微笑んでいた。
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