
嘲笑された妻の再出発
章 3
坂野麻衣子 POV:
私は予約したレストランの入り口で固まった. そこにいたのは, 栗田千里と星野春彦だった. 二人は窓際の席に座り, 楽しそうに談笑している. 春彦の後ろ姿からは, 私に向けられたことのないような優しさが滲み出ているように見えた. 彼は千里のために, 皿の上の魚を丁寧にほぐしている.
千里は自然にそれを受け入れ, 一口食べると, まるで世界一美味しいかのように目を輝かせた. 「うーん, やっぱり春彦さんの作ってくれるご飯が一番! ねえ, どう? 私の舌, 春彦さんの味を忘れられなくなっちゃったみたい」
春彦は少し照れたように笑い, 言った. 「どうかな? 俺の腕, 落ちた? 」
彼の背中が, 一瞬強張ったように見えた. 千里は唇を尖らせ, 少し不機嫌そうに言った. 「ねえ, ここって, 春彦さんが麻衣子ちゃんと来たかった場所なんでしょ? もしかして, あの女をまだ未練がましく引きずってるの? 」
千里の視線が, 私のほうを捉えた. 彼女は私に気づいたのだ. 彼女は優越感に満ちた口調で言った. 「麻衣子ちゃん, こんなところで何してるの? まさか, 春彦さんを尾行してるわけじゃないわよね? 」
春彦は即座に言った. 「千里, 何を言ってるんだ. 俺が麻衣子とこんな場所に来るわけないだろ」
私の手は無意識に, 強く握りしめられていた. そうか, 春彦はいつも「用事がある」と言っていたが, その実, 私をこんな高級レストランに連れて行く気など, 最初からなかったのだ. 私は, ずっと部外者だった.
千里は得意げな顔で私を見つめ, 言った. 「ねえ, 麻衣子ちゃん. 私たち, ただの友達だから, そんなに神経質にならなくていいんだよ? 春彦さんは, もう私のものなんだから」
彼女は春彦がほぐした魚を, 大きく一口で頬張った. そのわざとらしい仕草と, 私の神経を逆撫でするような言葉に, 私は苛立ちを感じた. 春彦はいつものように, 千里を子供扱いするように笑い, 彼女の要求に応じた.
千里は勝利者の笑みを浮かべ, 私に気づいたふりをした. 「あ, 麻衣子ちゃんじゃない! まさかこんなところで会えるなんて! 何か用事? 」
春彦は勢いよく振り返った. 彼の目に, 見たことのない緊張が走った. だが, その緊張はすぐに怒りへと変わる. 彼は私を指差し, 言った. 「麻衣子, お前, 何しに来たんだ? 俺のプライベートを詮索するストーカーか? こんな下劣な真似, やめろ! これ以上関係を悪化させたいのか? 」
彼の非難の言葉は, 私の赤くなった目元を見て, 一瞬止まった. 春彦は一瞬ためらい, 隣の空席を引いた. 彼の声のトーンが和らぐ. 「まあ, せっかくだから, 一緒に食事でもしていくか? 」
千里の得意げな笑みが凍りついた. だが, 私の心には, 彼への愛からくる悲しみはもうなかった. ただ, 過去の自分を不憫に思っただけだ. 私は静かに言った. 「ストーカーなんかじゃない. 食事に来ただけだ」
そして, 私は自分の予約席へと向かった. 春彦と千里をまっすぐ通り過ぎ, 窓際の席に座った. そこからは, 春彦の姿は見えなかった. ただ, 煌めく夜景が流れていく. 私は思った. ああ, 春彦のいない世界は, こんなにも素晴らしいのか.
その夜, 春彦は帰ってこなかった. だが, 夜中に珍しく彼からメッセージが届いた. 「食事会が終わった. 変なこと考えるなよ」
ぼんやりとメッセージを見つめる. かつて, こんな報告をどれほど求めていたことか. だが, 今, 私に喜びはなかった. ただ, 皮肉だけを感じた. スマートフォンの画面には, 千里から送られてきたばかりの動画が残っている.
開いてみると, そこには春彦と友人たちが「王様ゲーム」をしている様子が映っていた. 彼らは皆, 大学時代の共通の仲間たちだ. ゲームはなかなか決着がつかない. すると, 千里が突然春彦にキスをした.
キスは長く続いた. 千里は春彦を解放し, 勝利を宣言した. 「やったー! 私, 勝った! 」
千里は春彦の腕に絡みつき, 満面の笑みを浮かべた. そして友人たちに向かって言った. 「みんな, 見た? 私たちの友情は, こんなにも固いんだよ! 」
私は動画の中の春彦を見つめた. 彼はいつも冷静沈着で, 感情を表に出すことはほとんどなかった. こんなふうに緊張したり, 顔を赤らめたりする彼を, 私は見たことがなかった. 春彦にも, こんな激しい感情があったのだ. だが, それは私に向けられたものではなかった.
千里が自慢げに言っていたことを思い出す. 「春彦さんは, 私のために燃えるようなことをしてくれるのよ」
彼女は春彦を愛しているわけではない. なのに, なぜこんな挑発を? なぜ自分からキスまでするのだ? 私の心は, 混乱していた.
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