
出所した悪女は、無双する
章 3
龍庭別荘。
小林美咲は、佐久間家の呼び鈴を鳴らした。
あえてこの時間を選んだのは、かつての記憶では、この時間帯の佐久間家はそれぞれが多忙で、家にいることは滅多になかったからだ。
門を開けた家政婦の佐藤さんは、美咲の姿を認めた瞬間、目を丸くした。
「お、お嬢様? あなた……お戻りになったのですか?」
言った直後、佐藤さんは自らの失言に気づき、慌てて手で口を覆った。
今の佐久間家のお嬢様は、佐久間美月ただ一人。
もしこの会話を聞かれでもしたら、どんな罰を受けるかわからない。
「ええ、少し取りたい物があって」美咲は淡々と応え、屋敷の中へと足を踏み入れた。
案の定、佐久間家には誰もいなかった。
美咲が二階へ上がろうとすると、佐藤さんが駆け寄ってきた。
「お嬢……いえ、美咲様。何をお探しですか、私がお手伝いします」
「大丈夫、佐藤さん。私の部屋にある物だから。取ったらすぐに行くわ」
そう言って美咲が再び足を踏み出そうとすると、佐藤さんは慌ててその行く手を遮った。視線を彷徨わせ、口ごもる。「美咲様……」
美咲はわずかに眉をひそめ、異変を察知した。
彼女は強い口調で問い詰める。「佐藤さん、一体何があったの?」
もはや隠し通せないと悟ったのか、佐藤さんは悲しげにため息をついた。「美咲様。あなたがいなくなった後、美月お嬢様があなたの物を全て処分するようにと……。 あなたのお部屋は……今では物置になっています」
美咲の瞳が、ぐっと見開かれた。
「全部、捨てたって?」
祖母が残してくれた、あのブレスレットまで?
美咲の問いに、佐藤さんは苦痛に満ちた表情で頷いた。
瞬間、美咲の頭の中で雷が鳴り響いたようだった。
佐久間美月が独断でそんなことをするはずがない。佐久間勝政と佐久間智子――あの夫婦の許しがあったに違いない。
両手を固く握りしめると、全身が小刻みに震えるのを止められなかった。
あれは、祖母が残してくれた唯一の形見だったのに!
心の底から怒りがこみ上げてくる。
もう二度と佐久間家とは関わりを持つつもりはなかった。だが今、彼女の胸は佐久間家の人間に対する憤怒で満たされていた。
その時、背後から聞き慣れた、そして聞きたくもない声が響いた。
「佐久間美咲、やはり戻ってきたか!」
美咲が振り返ると、 少し離れた場所に佐久間浩志が立っていた。 口の端を歪め、嘲るような笑みを浮かべている。
その隣では、佐久間美月が母である智子の腕に寄り添い、まるで母親に寄り添う娘のようだった。
三人の姿を認めると、佐藤は静かにその場を離れた。
最初に歩み寄ってきたのは浩志だった。美咲より頭半分ほど背の高い彼は、顎をしゃくり上げて彼女を見下すその態度に、侮蔑を隠そうともしない。
「今朝、刑務所の前ではずいぶん威勢が良かったじゃないか。 どうしてこそこそ戻ってきたんだ? ああ、そっかー、お前みたいな前科持ち、どこも雇ってくれないもんな!佐久間家以外に、お前に施しをくれるやつなんていやしないだろ?」
浩志は眉をつり上げ、その口調は皮肉と無頼な雰囲気に満ちていた。「こうしよう。今ここで俺たちに跪いて謝罪し、ネットで佐久間家に公式に謝罪声明を出せ。そうすれば、飯くらいは食わせてやる。どうだ?」
今朝から、浩志はずっと腹の虫が収まらなかった。
メディアの前で佐久間家の顔に泥を塗られたが、体面を気にしてその場では怒りを抑えた。
だが、ここは佐久間家だ。美咲が刑務所で身につけてきたあの生意気な態度を、ここで叩き直してやらねばならない。
それが、人としての道を教えてやる兄としての務めだ、 と浩志は思っていた。
彼女が謝罪し、心を入れ替えて美月と平和に暮らすというのなら、この家に再び迎え入れることを考えてやらなくもない。
佐久間家の財力をもってすれば、一人増えようが犬が一匹増えようが大差ない。
だが、犬でさえ主人に尻尾を振って媚びへつらい、居候の身分をわきまえるというのに、この女の態度はまるで佐久間家が借りを踏み倒しているかのようだ。
腹立たしいことこの上ない。
美咲が歩き出すのを見て、浩志は眉を上げ、腕を組んで彼女が自分の前に来て謝るのを待った。
しかし、美咲は彼に一瞥もくれず、その横を通り過ぎ、まっすぐ背後に立つ佐久間美月へと向かった。
浩志の顔が不機嫌に歪む。
だが、彼女が最も謝罪すべき相手は、確かに美月だ。
まあいいだろう、と彼は思った。
ところが、美月の前に立った美咲が発した第一声は、予想とは全く違うものだった。
「私の物をどこに捨てたの?」
美月は一瞬虚を突かれた後、戸惑ったような表情を装い、か細い声で言った。「何のこと? お姉ちゃん、何を言っているのかわからないわ」
美咲の双眸は、冷たさの中に鋭い光を宿していた。
彼女は目の前の女を、瞬きもせずに見据え、温度のない声で繰り返す。
「もう一度聞く。私の部屋にあった物、どこに捨てたの?」
美月は途方に暮れたように振る舞い、たちまちその目に涙がこぼれ落ちた。
「お姉ちゃん……わ、私、わざとじゃないの……。ただ、物が古くなって傷んでしまうのが心配で。あなたが帰ってきたら、新しい物を用意してあげようと思って、それで……」
パァン!
乾いた音が響き渡り、その場にいた誰もが凍りついた。
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